「バードは間違っている」ディジー・ガレスピーが語るバップの本質とビートの重要性(1949年インタビュー)
1949年10月7日号の『ダウン・ビート』誌に掲載された、ディジー・ガレスピーの独占インタビュー。前月のチャーリー・パーカーによる「バップはジャズではない」という衝撃的な発言に対し、ディジーが真っ向から反論し、バップの未来と「踊れる音楽」としての本質を語る。
(※原文のPDFはworldradiohistory.comで公開されています。▶︎Down Beat Magazine, October 7, 1949.PDF)
一定のビートが必要だ
ディジー・ガレスピーによれば、バップとジャズの関係について、バードは間違っているという。「バップはジャズの解釈の一つに過ぎない。すべては繋がっているんだ。」とディジーは本誌に語った。
先月、チャーリー・パーカーは「バップにはジャズのルーツはなく、古い伝統とは完全に切り離された別物だ」と述べた(ダウン・ビート誌9月9日号参照)。パーカーは、バップを特徴づける要因として「ビート」を挙げている。
「バップにはビートの連続性がなく、一定の『チャグ・チャグ』という刻みもない」とパーカーは言った。
ディジーによれば、この一定のビートの欠如こそが、今日のバップが抱える問題なのだという。
バップはジャズの一部だ。そしてジャズは踊るための音楽だ。今のバップの何が問題かって、客が踊れないことなんだよ。あの4拍子が聴こえてこないんだ。客が踊れるようにならない限り、バップを幅広い層に届けることはできないだろうね。踊れさえすれば、こっちが減5度を吹こうが、ぶっ飛んだ129thを吹こうが、気にしないのさ。
踊れる音楽へ
ディジーによれば、バップの重要な特徴はハーモニーとフレージングであり、ビートを闇雲に変化させることは本質ではないという。
これは、ディジーが1年以上にわたり、ビッグバンドでの全米ツアーをした末にたどり着いた結論だ。その結果、彼は自身の楽団を「踊れるバンド」へと変えるべく、レパートリーの見直しを行なっている。
ハーモニーは同じものを使う。でも、ビートははっきりさせる。観客がビートをしっかり掴めるようにね。今のレパートリーからも多くの曲を使うつもりだけど、映画の編集みたいにカットしてつなぎ合わせ、ビートが不規則に変わる部分を削ぎ落とすんだ。
だからといって、バップに背を向けるつもりはない。俺のバンドには独特のサウンドがあるし、それは守っていきたい。その上で、バップという音楽をより大きくして、幅広い層に届けたいんだ。
ここ1年のバップ界において、ジョージ・シアリングの存在は最大の救いだよ。バップを前進させてくれたのは彼だけだ。一般の人にも理解できる形でバップを演奏しているからね。
シアリングの音楽なら誰でも踊れる。そのおかげで、俺や他のバップ奏者たちも活動しやすくなったんだ。
ダンサーたちの不満
ディジーにこの方向転換を強く促したのは、元ダンサーである妻のロレインと、ブッキング・マネージャーのウィラード・アレクサンダーだった。この1年間、ロレインはツアー会場で客席を回り、観客の生の声を集めてきた。そして、ディジーの曲の多くが、踊りに来た客の期待に応えられていないことを、なんとか理解してもらおうとしていたのだ。
アレクサンダーにとって、ディジーのバンドが抱える最大の障害は、踊る客を呼べないビッグバンドをブッキングできる場所が極めて少ないことだった。その厳しい現実については、ディジー自身もこう語っている。
100人や200人しか入らない店では採算が合わないんだ。俺たちが演奏するのは数千人収容の大きなホールだ。一部のコアなファンだけで満員にすることはできない。
エリントンも「ダンスバンド」だった
アレクサンダーは、ディジーに「商業主義」に走るよう求めているわけではないと言う。
「エリントンは常にダンスバンドとして成功してきたが、誰も彼を商業主義だと非難しなかった」とアレクサンダーは語る。「音楽の質を落としたり、安っぽいウケ狙いの演奏をしてほしいわけじゃない。ただ、退屈そうな顔をせずに、しっかりとパフォーマンスを見せてほしいんだ。今後半年で改善されなければ、バップは死に絶えるだろう。今、バップという音楽をどうにか支えているのは、ジョージ・シアリングだけだ。」
新たな体制の下、ディジーは「ダンス用」「コンサート用」「劇場用」の3種類の譜面を用意することになった。ガーランド・ウィルソンとバスター・ハーディングが新しいアレンジを手がけている。J.J.ジョンソンも2つのメドレーを書き下ろし、それぞれ3曲のスタンダードに続いて、最新のヒット曲で締めくくる構成だ。
また、この方針転換の一環として、歌手のジョニー・ハートマンに代わり、ピッツバーグで見出した女性シンガー、タイニー・アーヴィンを起用した。
確かな手応え
新生ガレスピー・ダンスバンドの初演は、8月後半、ペンシルベニア州マハノイ・シティで行われた。そこは、昔ながらの大衆的なダンス音楽が根強く支持されている保守的な土地柄だ。アレクサンダーへの義理でしぶしぶ出演を承諾したプロモーターだったが、その圧倒的な結果に驚愕し、ニューヨークへ「ディジーが驚異的な大成功を収めた」と興奮気味に連絡を入れたという。
「みんなが俺のバンドを最高だと言ってくれるなら、バップと呼ばれようが何だろうが、一向に構わないよ」とディジーは語った。
チャーリー・パーカーのインタビューを読む
ディジーの発言のきっかけとなった、パーカーのインタビュー記事。