【日本語訳】ジョン・スコフィールド インタビュー:映画『Inside Scofield』より

ジャズギター界の巨匠、ジョン・スコフィールド。

2022年公開の映画『Inside Scofield』で使われた貴重なインタビュー音声を日本語に翻訳しました。

自分だけの「音」をどう見つけるか。才能とどう向き合い、どうやって音楽を自分のものにするのか。第一線で活躍し続けてきたからこそ語れる、音楽の本質が詰まったインタビューです。

(インタビュー収録:2020年)

※本記事は、Joerg Steineck監督の許諾を得て、翻訳・編集したものです。


目次

ギターとの出会い

ギターを始めたのは11歳のとき。当時はとても人気の楽器だったから、手にするのはごく自然なことだったよ。ラジオから流れてくる音楽やロックンロールに夢中だったし、テレビでもギタリストをよく目にしていたからね。

最初に手にしたのはレンタルのアコースティックギター。コードを覚えようと1週間くらい練習したんだけど、指が痛すぎてね。それで母に「ドラムがやりたい」って言ったんだ。そしたら「もう3ヶ月分のレンタル料を払ったんだから、ギターを弾くか、何もやらないか、どっちかにしなさい」と言われてしまって。それで、弾き続けることにしたんだよ。

ロックからジャズへ

1964年、衝撃を受けたのがビートルズの『エド・サリバン・ショー』出演だった。アメリカ中の子供たちが見ていたと思うけど、僕もギターを抱えながら見ていたんだ。あれがロックンロールやバンドっていう、巨大な文化的ムーブメントの始まりだね。

それから「ジャズ」っていうものを知った。まだ実際に聴いたことはなかったけど、みんなが「ロックやブルースに似ているけど、もっとスゴイものだ」って言うから、調べてみることにしたんだ。

本格的にジャズをやろうと決めたきっかけは、1968年頃に観たジミ・ヘンドリックスのコンサート。

彼のブルースとロックがあまりにも凄すぎて、「あんなプレイは一生できない」と思い知らされてね。ジャズなら地道に練習していればいつか習得できるんじゃないかと思って、ジャズの道に進むことにしたんだ。

人生の転機

人は誰でも環境に影響されるし、その後の人生を決めるような特別な時期っていうのがあるよね。僕の場合は13歳だった。

あるとき父が、僕ら中学のバンド仲間を車に乗せて、ブルックリン・フォックス・シアターへ連れて行ってくれたんだ。お目当ては、『マレー・ザ・K・ショー』。このショーに出ているバンドの曲を演奏しようとしていたからね。マーヴィン・ゲイ、ベン・E・キング、ウィルソン・ピケット、シュレルズ、パティ・ラベル、ブルーベルズなどをそこで聴いて、完全に音楽の虜になったんだよ。

普段は郊外で生活して、特別なご褒美にニューヨークへ行く……それが僕の原点だよ。60年代半ばの音楽が今の僕を作ったんだ。それは今でも続いていて、僕はまだ作られ続けていると思いたい。変わり続けられるって、本当に素晴らしいことだからね。

憧れのプレイヤー

僕はミュージシャンになる前から、根っからのジャズファンだった。「アイドルは誰?」ってよく聞かれるけど、長い間ジャズを愛してきたから、あまりにも多すぎるんだ。リストにしたら延々と続くだろうな。

でも、あえて「最初の一人」を挙げるなら、ジャンゴ・ラインハルトだね。12歳の時に、父がレコードを買ってきてくれて、大好きになったんだ。

自分で最初に買ったジャズのレコードは、ジム・ホールがアート・ファーマーと共演した『Live at the Half Note』、パット・マルティーノの『Strings!』、そしてウェス・モンゴメリーの『Smokin’ at the Half Note』だった。

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この3枚はすべて同じ週に買ったはずだよ。当時の僕は、ニューヨークには「Half Note」っていうクラブしかないと思い込んでいただろうね。

その後、コルトレーン、マイルス、ビル・エヴァンス、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンクのレコードも手に入れた。

それからサックスのソニー・ロリンズ、トランペットのリー・モーガン、クリフォード・ブラウンなど、あらゆる楽器の演奏を聴いたよ。楽器一つとっても、名手を挙げればキリがないね。

どれも擦り切れるまで聴き込んで、ジャズの偉人たちについて学び始めたんだ。

ニューヨークと巨匠たち

音楽に興味を持ち始めた頃、よくマンハッタンへ行って、今のブルー・ノートがある辺りを歩き回ってたんだ。まあ、当時はまだブルー・ノートなんてなかったけどね。

家からマンハッタンまでは電車で1時間ほど。友達とだったり、時には一人で行ったよ。48丁目でギターを眺めたり、クラブへ通ったり。当時は未成年でも入れたから、そこでたくさんの素晴らしい音楽を聴いたんだ。

60年代のグリニッジ・ヴィレッジが大好きでね。ヴィレッジ・ヴァンガード、ヴィレッジ・ゲート、ロウアー・イースト・サイドのスラッグスなんかでジャズを聴いて、フィルモア・イーストではロックを聴いた。

誰かが「ロックのルーツはブルース・ギターなんだよ」って教えてくれて、ブルースも聴き始めたんだ。ジミ・ヘンドリックスが一時期所有していた8丁目のジェネレーション・クラブでB.B.キングを観たし、ブリーカー・ストリートのカフェ・オー・ゴー・ゴーでは、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフ、ジミー・リードを聴いたよ。

フィルモアで観たB.B.キングやアルバート・キングも最高だったね。B.B.キングがギターから「歌うようなサウンド」を出しているのを聴いたときは、本当に衝撃を受けたよ。

僕が育った街

ウェスト・ヴィレッジには昔からずっと惹かれていてね。60年代の若者たちが作り出していた熱気もたまらなかったし、まさに音楽シーンの中心だった。

ニューヨークという街そのものが、すべてにおいて中心で、12歳の頃から僕にとっての「聖地」なんだ。

一時期ボストンのバークリー音楽大学に通ったこともあったけれど、1974年の11月に戻ってきてからは、1994年まで住み続けた。

この界隈でたくさんの素晴らしい音楽を聴き、最高のミュージシャンたちと出会い、ギグを重ねてきたんだ。ここには数え切れないほどの思い出が詰まっているよ。

ウエストベスでの日々

1977年に妻のスーザンと暮らし始めたのが、ベスーン・ストリートの『ウエストベス』だった。子供たちもそこで生まれたんだ。1994年にカトナへ越した時、息子は6歳、娘は12歳になっていたよ。

ウエストベスには、ギル・エヴァンスやビリー・ハーパー、ピーター・ウォーレン、チャック・イスラエル、フレディ・ウェイツといった、名だたるジャズ・ミュージシャンがたくさん住んでいてね。地下にはリハーサルができる場所もあって、本当に素晴らしい環境だった。

夜になれば、ヴィレッジの街を歩き回ってはクラブで過ごす毎日だったよ。ドラッグでハイになることもその一部だったけど、1998年からは完全にクリーンでシラフな生活を送っている。今の僕は、コーヒーと人生そのもの、そして音楽でハイになれるからね。

ロックの世界では「セックス、ドラッグ、ロックンロール」なんて言うけど、ジャズの場合は単に「ドラッグとジャズ」なんだ。だから、もしそういう動機だけでこの世界に入ってきたとしたら、きっと失望するだろうね。

ジャズの中心地

僕が駆け出しの頃は、ジャズ・ミュージシャンになるならニューヨークにいなきゃダメだった。他の場所でもやれないことはなかったけど、みんな「いつかはニューヨークへ」と思うものだよ。ジャズの中心だったからね。

それは今でも変わらないと思う。ジャズは、ベルリンでも、東京でも、ロサンゼルスでも、あるいはムンバイでも演奏できる。でも、世界中のプレイヤーがジャズのために集まってくる場所は、やっぱりニューヨークなんだ。

若いミュージシャンが成功を夢見て移り住み、お互いに出会い、ジャムセッションを重ねて、チャンスがあればクラブで演奏する。ニューヨークには今でも、世界のどこよりもたくさんのジャズクラブがあるんだ。

時々、どこか美しい場所へ引っ越そうかと考えることもあるけど、音楽のためにはニューヨークの近くにいなきゃって思い直すんだ。それに、どこへ行くにしても、乗り継ぎのためにわざわざニューヨークへ飛ばなくて済むような、便利な空港の近くにいたいからね。あちこち飛び回る生活だから、アメリカの小さな町に住むよりもニューヨークにいる方がずっと便利なんだよ。

ブルーノートの思い出

ブルーノートは、そこまで古いクラブじゃないけれど、長年演奏してきた大切な場所だよ。世界中からジャズを聴きにニューヨークへ来る人たちは、『ブルーノート』の名前を知っているから、必ず足を運ぶんだ。

オープンした最初の週に、ボブ・ブルックマイヤー、メル・ルイス、ジョージ・ムラーツ、ジム・マクニーリーと演奏したときのことはよく覚えているよ。その週は客が誰もいなくて、店内にいるのはブルーノートの衣装を着たウェイトレスだけだったんだ。

でもその後は、自分のバンドやジャック・ディジョネットのバンド、ボビー・マクファーリンとの共演などで、数えきれないほどの素晴らしい夜を過ごしてきたよ。

ミンガスとのレコーディング

僕にとっての最初の大きなギグは、ビリー・コブハムとの共演だったんだけど、その時のプロデューサーがアトランティック・レコードのイルハン・ミマールオールだったんだ。

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1977年のある日、彼から電話があって、「チャールズ・ミンガスのレコードで弾いてみないか?」って言われた。もちろん「イエス」と答えたよ。飛び上がるほど嬉しかったね。

いざリハーサルに行ってみると、そこはジャズ界の大物たちが勢揃いしたビッグバンドだった。ジョージ・コールマン、リー・コニッツ、ダニー・リッチモンド、ジミー・ネッパー、それにジミー・ロウルズ……レコードを聴いて憧れていたミュージシャンたちが、みんなそこにいたんだ。

結局、そのリハーサルにミンガスの姿はなかったんだけど、バンドメンバーのポール・ジェフリーが全曲の譜面を用意してくれていたよ。

翌日はアトランティック・スタジオで全員集合したんだ。そこはアトランティックのレコード・ジャケットでずっと見てきた、あの有名な「ブロードウェイ1860番地」のスタジオでね。最高に興奮したよ。

中に入って自分のギターをセッティングしていると、ミュージシャンたちが揃ってきて、ラリー・コリエルやフィリップ・カテリーンといった他のギタリストたちもいたんだ。

部屋の隅にはミンガスがいて、ベースのチューニングをしていた。すると彼が突然、「よし、始めるぞ」と言ったんだ。僕はまだ、彼と一言も言葉を交わしていなかったのにね。

譜面が配られ、演奏が始まった。最初の曲を弾き、もう一度プレイしたあと、ミンガスが「よし、次に行こう」と言った。結局、休憩を一切挟まずに、4時間ほどで全曲を録り終えてしまったよ。

ミンガスの合図でみんなが録音を聴きにコントロールルームへ向かったんだけど、僕がギターをケースにしまっている間に満員になってしまってね。仕方なく、そのまま家に帰ったんだ。

結局、レコーディングしたのに本人とは話せずじまいだったよ。あれが、彼がベースを弾いた最後のレコーディングになったんだ。ALSを患って、そのすぐ後に亡くなってしまったからね。

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マイルスとの記憶

1980年頃、僕はデイヴ・リーブマンと一緒に「7th Avenue South」というクラブで演奏していた。お客さんはほとんどいなかったんだけど、突然マイルスが取り巻きを連れて現れたんだ。白い大きな毛皮のコートを着てサングラスをかけた彼は、まさにロックスターだった。

マイルスは僕らの演奏を聴いていて、「お前、いい音出してるな」と言ってくれたんだ。思わず「ありがとうございます。僕はあなたの大ファンなんです」と伝えたら、彼は「うるせえ、黙れ」って言い放ったんだ。それが、僕たちの関係の始まりだったよ。

数年後、マイルスのロード・マネージャーから突然電話があって「今日クリーブランドに来て演奏してくれ」と言われたんだ。ニューヨークからすぐに飛んで行ったよ。

タクシーを降りてマイルスの楽屋に向かったんだけど、11月でとにかく寒くて、手はすっかり冷え切っていた。すると彼は「ギターを出して何か弾いてみろ」と言ってきたんだ。それで、彼の名曲である「Nardis」を弾いてみた。でも、手はかじかんでいるし、全くウォームアップもできなかった。当然ひどい演奏で、それを見たマイルスはドラマーのアル・フォスターに向かって、「お前の友達は、口ほどにもないな」とこぼしたんだ。

でも彼はステージに出る前、僕にこう言ってくれた。「いいか、今夜は弾かなくていい。ただ俺たちの演奏を聴いてろ。明日から一緒に始めよう」って。それで、翌日のライブからバンドの一員になったのさ。

よく「マイルスのエピソードを教えてよ」なんて言われるけど、パッとは思い浮かばないんだ。でも、ふとした時に記憶が蘇ってくる。彼のバンドで演奏し、数年間一緒に過ごすことができたのは本当に幸運だよ。

身近で接したマイルスは、横柄で他人にも批判的だったけれど、自分に対して誰よりも厳しく、同時にとても謙虚な人だった。何より、自分の感覚を信じることの大切さを教えてくれたよ。彼にとってジャズは、常に変化し続ける、未完成の音楽だったんだ。

ある野外ステージで雨が降ってきた時、感電しないかとビクビクしている僕を尻目に、彼は見たこともないほどクールな黒いレインコートを着て戻ってきて、何事もなかったかのように演奏を続けたんだ。こっちは死ぬかと思ったけれどね。

マイルスは本当に一筋縄ではいかない人でね。前の日はこっちが落ち込むほど厳しくしておいて、翌日には浮かれてしまうほど褒めてくれる。あのマイルスに「よかったぞ」なんて言われたら、天にも昇る気分でね。そうやってうまく人を乗せておいて、またすっと落とすんだ。

ある日、リズムギターを完全に間違えたことがあったんだ。その録音をみんなで聴き返していたとき、彼は突然テープを止めて、「おい、みんな。ジョンの演奏を聴いてみろ」と言い出したんだ。そして僕が間違えた箇所まで巻き戻すと、「ギターの音を上げろ」と指示して、全員に聴かせたんだ。ちょっと意地悪だけど、思い出すと笑えるよ。本当に刺激的で、とてつもなく面白い人だったよ。

ミュージシャンの哲学

僕は朝型人間なんだけど、夜中まで演奏しなきゃいけないジャズミュージシャンという職業にはあまり向いていないよね。でも、やっぱり朝が一番クリエイティブになれると思うし、作曲をするのも朝が好きだ。

ツアー中は朝早く起きて移動することが多いから、ライブが終わったらクタクタで、大抵すぐにベッドに入ってしまうね。

自宅にいるときは、朝起きてコーヒーを淹れ、それから練習をする。一日の始まりに音楽と向き合うのが好きなんだ。

実のところ、僕が何よりも好きなのは、家で一人ギターを弾くことなんだよ。誰にも邪魔されない、本当に心穏やかな時間でね。家にいるのが好きだから、離れるとやっぱり寂しくなる。でも、ツアーに出て演奏しているときも、同じくらい幸せを感じるよ。

教えるということ

20代の頃はお金のためにギターレッスンをしていたけど、正直に言うと、当時は乗り気じゃなかったんだ。生徒たちはいい迷惑だっただろうね。僕はただ演奏したかっただけだから、レッスン中も生徒とジャムセッションばかりしていたよ。

今はニューヨーク大学スタインハート校で教えているけれど、大学側が僕のスケジュールに合わせて、柔軟に対応してくれている。一学期間に教えるのは7回程度だし、学期まるまる休むこともある。そのくらいの頻度なら、僕自身も生徒たちとの交流を心から楽しむことができるよ。

1万時間の法則

どれだけレッスンを受けようが、学校に通おうが、YouTube動画を見ようが関係ない。とにかく時間をかけるしかないんだ。ひたすら練習するしかない。十分な練習を積めば、音楽の仕組みが自然と見えてくるけれど、時間をかけなければ何も起こらない。

音楽の幾何学を理解し、とにかく楽器をたくさん弾く。それは絶対に欠かせないことだ。マルコム・グラッドウェルも言っていたように、何かに秀でるためには1万時間を費やす必要があるからね。そうやって積み重ねていくと、ある日突然、音楽というものが腑に落ちる瞬間が来るんだ。どうやってそこまで辿り着いたのか、自分でも不思議に思うくらいにね。

理論と実践

音楽理論は決して音楽の邪魔をするものじゃない。そこはよく誤解されているね。12の音やハーモニーの仕組みを理解するのは、数学者でなくてもできる。実はそれほど難しいことじゃないんだ。だからハーモニーやリズムといった理論を理解しておくことは、ものすごく重要だと思う。

どんなに原始的な民族音楽であっても、演奏するときは必ず頭を使っている。指板のポジションを覚え、指の動きを筋肉に刷り込み、やがて何も考えずに弾けるようになる。それはどんなに複雑な音楽でも同じことなんだ。

もちろん、いかにも「理論をなぞって弾いています」という風に聞こえてしまうのはよくない。でも、今までとは違う新しい何かを弾きたいと思ったとき、理論的に考えることが新たな発見の手助けになってくれる。

そして、何も考えず自然と音が出てくるようになったとき、それは完全に君の一部になる。かつては単なる「理論」でしかなかったものが、君自身の生きた「言葉」になるんだよ。

10代の頃は練習が退屈に感じることもあったけど、今となっては、一日の中で一番好きな時間かもしれないね。

幅広く吸収する

「こうすれば、あの人のように弾ける!」みたいなYouTube動画がたくさんあるけれど、そういうので上手くいったためしがないんだ。というのも、僕は特定の誰か一人じゃなくて、他の色んなミュージシャンみたいにも弾きたいし、もっと幅広く学びたいと思っているからなんだ。

お気に入りのプレイヤーから知識を吸収することはあっても、特定のメソッドだけに頼ることはないね。いろんなメソッドから少しずつ「つまみ食い」をして、何かヒントが得られれば、くらいのものさ。

だから、僕の演奏を解説している動画を見ても、「いや、これ僕じゃないな」って思うんだ。あれは単に「その人には僕の音がそう聞こえている」ってだけの話だからね。

僕のソロをコピーして解説している動画を見ても、「なんでそのフレーズを選んだんだ? そこが一番ひどい部分なのに」なんて思ったりするよ(笑)。

ボキャブラリーと楽器

音楽での表現は、普段僕たちが話す「言葉」とまったく同じだね。自分の気持ちを伝えるために言葉を覚え、それを使って相手と話す。ミュージシャンも、やっていることは同じなんだ。ボキャブラリーを増やせば、より多くのことを語れるようになる。

でも、単にボキャブラリーが豊富だからといって、必ずしも良い音楽になるとは限らない。難しい言葉を並べているだけで、肝心の中身が伴っていないプレイもあるからね。

ジャズ・ミュージシャンの演奏は、いわばその人の「声」なんだ。楽器へのアプローチが違うことで、それぞれの「声」も少しずつ違ってくる。

自分の「声」で語るには、楽器が身体の一部でなければならない。何十年も弾き続けてきた今、ギターを弾くのはとても自然なことだし、筋肉そのものが弾き方を記憶しているよ。

音楽への情熱

音楽と相性が合わない人も中にはいるかもしれない。でも、音楽を愛している人なら、たいてい何かしらの素養は持ち合わせているものだよ。ただ、それは最初から備わっているんじゃなく、自分で磨いていくものなんだ。

僕よりずっと才能があって、絶対音感や楽器に対する類まれな能力に恵まれていながら、なぜか大成しなかった人たちを見てきた。結局のところ、彼らはどこか本気になれなかったんだろうね。

世の中には、いとも簡単に楽器を弾きこなしてしまう人もいる。でも、僕自身は必死で努力しなければならないタイプだった。特別に器用なわけでもないし、絶対音感もない。ただ、どうしてもやりたかったから、ひたすら取り組んだんだ。運良く、何とか形にできるくらいの頭と、ほんの少しの才能は持ち合わせていたけどね。

本当に大切なのは、愛情と、本気で取り組みたいという強い思いだ。音楽と向き合い、思い通りに弾けないもどかしさを乗り越えて、決して諦めずにやり続けること。それは人生の他のあらゆることと同じで、注ぎ込んだ努力の分だけ、結果は必ずついてくるものなんだよ。

ステージは予測不可能

僕たちはいつも音楽について語り合っているけれど、「音楽とは一体何なのか」を本当の意味で説明することなんて誰にもできない。

僕が気づいたのは、ライブの前に音楽の話をしすぎると、エネルギーが外へ逃げてしまうということなんだ。言葉では説明できない、自分の内側にある「何か」としっかり繋がって、ステージで素晴らしいプレイが自然と生まれるようにしなくちゃいけない。

ステージで何が起こるかなんて予測がつかないからね。くたくたに疲れていて、一日中移動が続いた後でも、素晴らしい演奏ができる夜がある。その一方で、しっかり休んで、ビーチを散歩して心身ともに完璧で臨んだはずなのに、まったく上手く弾けない夜もあるんだ。

だからこそ、音楽が「降りてくる」その瞬間のために、ステージに立ち続けるしかないんだ。大抵は何か良いことが起こるはずだけど、一晩中続くわけじゃない。ほんの数分の素晴らしい瞬間があるだけで、残りの時間はただ惰性で弾いているだけ、なんて夜もあるからね。

身体感覚

毎日ギターを弾いていないと、上手く演奏できないんだ。ウォーミングアップなしで弾き始めて上手くいくこともあるけれど、そうでないこともある。だから、演奏前には楽器に触れるようにしているよ。

ライブの最初の数曲と、1時間後の演奏では全く違うよ。セットが進むにつれて体が温まり、良くなっていく。もちろん、そうでない場合もあるけど。最初は素晴らしかったのに、最後には疲れ果ててしまったりね。

でも、演奏後はとても気分が良い。それが自分のやりたいことだから。終わってしまうのが寂しいこともあるし、疲れて休みたいと思うこともあるけど、大抵は「今日もやり切った、あとはゆっくりしよう」という達成感で満たされるよ。

観客との交流

終演後に観客と会って話すのは好きだよ。嫌がる人もいるけれど、僕は会いたいと思っている。もちろん、誰とでも深く通じ合えるわけではないけれどね。

ファンなら、「前回どこで聴いたか」や「初めて聴いた時のこと」を伝えたいって思うよね。僕自身も憧れのミュージシャンに会うと、「1969年にあのクラブで聴きましたよ」と言わずにはいられないよ。

言われた相手はいつも「ああ、そうかい。ありがとう」という顔で僕を見るだけで、彼らにとっては目新しいことはないけど。でも僕にとっては、その人の演奏を聴くことができた、たった一度の大きな出来事だったんだ。

同じ話をされると少し退屈してしまうこともあるけれど、彼らにとってそれが大きな出来事だったのであれば、それは素晴らしいことさ。それが、僕が今でも演奏し続けていられる理由なんだ。僕の音楽が、誰かにとって何か意味があったということだからね。

客席の景色

客席は残念ながら、ほとんどが男性だね。僕が出会った女性の多くはシンガーソングライターが好きで、ビバップや長いソロにはあまり関心がないらしい。

だから会場は、僕と同じベビーブーマー世代の、立派なポニーテールをした男たちばかり。時々、彼らの奥さんが一緒に来ているけれど、「夫のために来たけど、本当は家にいたいわ」という顔をしていたりするよ(笑)。

以前のジャズには「男たちの社交場」のような側面があったけど、今は違う。今の若い女性たちは、男性と同じようにジャズやその歴史を正当に評価しているよ。

ジャズを好む若い女性ミュージシャンも増えているし、それは素晴らしいことだね。女性がジャズから排除されていたのは、比較的最近まで続いていたことだから。

スマホ時代

スマホで録画して投稿される流れは止められないね。自分のコンサートが無料で見られたり、iPhoneの劣悪な音質で記録されたりするのは、決して好きじゃない。

演奏中に目の前でスマホを掲げられると、自分が博物館の展示品か、動物園の動物にでもなったような気分になるよ。でも、それが今の世界であり、もう無くなることはない。だから受け入れているのさ。

ツアーという生き方

1975年以来、僕は一年のほぼ半分をツアーで過ごしてきた。いわゆる「ロード・ドッグ(ツアーに明け暮れる人間)」だね。ジャズを演奏し続けるためには、ツアーをするしかないんだ。地元に留まっていると、みんな僕の音楽に飽きてしまう。だから旅をしなければならないのさ。

移動のためにいつも飛行機に乗っているけれど、時々それが嫌になる。でも、窓の外を眺めて、眼下に広がる地上や、すぐそばにある雲を見ている時は悪くないなって思えるんだ。ただ、厚い雲の中に入り込んでしまって、機体がひどく揺れるようなときは本当に嫌だね。

とはいえ、飛行機に乗らないわけにはいかない。決して快適な移動手段とは言えないけれどね。でもそのおかげで、ヨーロッパ、アメリカ、日本、あらゆる場所で演奏でき、キャリアを築くことができたんだ。

素晴らしいミュージシャンたちとコンサートホールやクラブで共演するのは最高に幸せなことだよ。でも、過酷な移動スケジュールだけは、今でも好きになれない。よく言うだろう、「もらっているギャラは過酷な移動に対してだ」って。演奏自体はタダでもやりたいくらいだからね。

だから、ふと家に帰りたくなることももあるよ。僕にとって「家」とは、家族のこと。妻のスーザン、娘のジーン、そして7年前に亡くなった息子のエヴァン。そして孫のウィラとフェリックスもいる。この素敵な町に帰って、家族と過ごす時間が何より大切だからね。

永遠の旅行者

ツアーに出始めた頃は、「寝るなんてもったいない、今夜はタクシーでローマの街を回りたい」なんて思っていたものさ。でもそれは昔の話で、今は寝ることを優先するよ。

ヨーロッパの主要都市や日本、南米には何度も足を運んできたからね。数時間オフがあれば街を眺めることもあるけど、あくまで演奏することが最優先なんだ。観光客ではないし、またこの街に戻ってこられると分かっているからね。

何度も同じ場所へ戻ってこられるのは本当に素晴らしいことさ。時々、自分がどの街にいるのか分からなくなることもあるよ。でも結局、どこにいようと目の前のギグをやり遂げるだけなんだ。

ヨーロッパでのツアー

初めてヨーロッパに行ったのは1975年。それ以来、毎年2ヶ月はツアーしているよ。この経験は僕の人生を変え、視野を広げてくれた。今ではヨーロッパにとても親しみを感じているんだ。

実際に住んでみたいとも思うけれど、家族や、ジャズの中心地であるニューヨークから遠く離れるわけにはいかないからね。

ヨーロッパでツアーをしていて感じるのは、彼らが「ジャズはアメリカの音楽だ」と強く認識していることだ。だから僕たちアメリカ人は、現地のミュージシャンよりもずっと簡単にギグを得ることができた。「本物のジャズマンだ」なんて言われてね。それは、現地の才能あるミュージシャンにとっては、少し不公平なことだったかもしれない。

また、文化的な違いも大きいね。アメリカでは音楽を「ダンスのためのもの」や「心地よいBGM」として捉える人が多いけれど、ヨーロッパには、じっと座って音楽に没頭するという、クラシック音楽から続く伝統がある。だからこそ、ジャズ本来の魅力が生きるんだ。

ツアーでの最悪の出来事

一番最悪なのは、誰かが怪我をしてしまうことだね。あとは、ギグに穴を開けてしまうこと。でも幸いなことに、そんなことは滅多に起きない。どうにかして会場には辿り着くからね。フライトがキャンセルになればレンタカーを8時間運転するし、車が故障したら電車に乗り、電車が止まればヒッチハイクだってする。とにかく、会場に着くためなら何でもやるさ。

以前、イスラエルの「レッド・シー・ジャズ・フェスティバル」へ行ったときは、空港で間違えて他人のギターケースを持って行ってしまったんだ。ホテルで開けたら見覚えのない安物のナイロン弦ギターが入っていて、その夜は、弾きにくいギターで演奏しなければならなかった(笑)。

後で自分のナイロン弦ギターは見つかったけど、あれは散々な夜だったよ。

Red Sea Jazz Festival, Eilat 2004

お気に入りの場所

フェニックスにある楽器博物館(MIM)は本当に特別な場所だね。あんな博物館は他で見たことがないよ。展示が地域ごとに分かれていて、アフリカ大陸の様々な国の楽器まで見られるんだ。

展示ごとにビデオがあって、ヘッドセットで音楽を聴きながら館内を歩き回れる。本当に面白くて素晴らしい博物館さ。あそこでは4回ほど演奏したかな。いつか「ジョン・スコフィールドの展示」も大々的にやってほしいね(笑)。

『Combo 66』

サウンドエンジニアのパット・マレーは僕の相棒で、もう長い付き合いになる。彼もマイルスの元で働いていたことがあったんだ。僕がいたのと同じ時期ではなくて、すぐ後のことだったけどね。

僕のバンドには以前、ニック・ジョイスという別のサウンドエンジニアがいたんだけど、彼が辞めた時にパットが引き継いでくれたんだ。たしか90年代の初め頃だったと思う。

だからもう、本当に長い付き合いになるね。彼は仕事の腕も最高だし、素晴らしい友人だよ。

ベースのヴィセンテ・アーチャーはここ数年の付き合いだけど、彼のグルーヴとスウィングは最高で、一緒に演奏していて本当に楽しいよ。ツアーを共にする仲間としても、最高にいい奴なんだ。

ピアニストのジェラルド・クレイトンは、生まれた頃から知っているんだ。 父親のジョン・クレイトンと友達だからね。 『Combo 66』を結成する時にビル・スチュワートに勧められて参加してもらったんだけど、最高のピアニストだと分かったよ。

そしてドラムのビル・スチュワートとはもう30年近い付き合いになる。彼は天才的なインプロヴァイザーであり、ドラムで音楽に命を吹き込んでくれるんだ。

このメンバーと演奏できるのは本当に幸運だよ。彼らは一人ひとり、少なくとも僕と同じくらい、ひょっとしたら僕より上手いかもしれない。彼らが僕のことをどう思っているのかは、分からないけどね(笑)。

でも、彼らは本当の友人なんだ。僕の調子が良い時も悪い時も、長所や短所もすべてひっくるめて知った上で、一緒にいてくれるんだからね。

ちなみに『Combo 66』という名前は、僕が66歳の時に結成したことと、子供の頃に好きだった「ルート66」に由来しているよ。

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バンドの絆

僕はリーダーだけど、演奏が始まればバンドの一員にすぎない。自分の曲であっても、全員がお互いの音を聴き、一体となって音楽を作らなければならないんだ。素晴らしい演奏をするなら年齢なんて関係ないし、若いプレイヤーとも一人の人間として対等に向き合うよ。

ツアー中は常にお互いを楽しませ、冗談やバカ話をしたり、音楽や人生について語り合っている。半分一緒に暮らしているようなものだから、お互いの人生観や、今何を感じているかを話し合ったりもするよ。「これは嫌だ」「これは好きだ」ってね。

だから、一緒に演奏するメンバーはすでに気が合う人間を選んでいるんだ。そうでなければ、そもそも声をかけないよ。

サウンドチェックの重要性

サウンドチェックは、パット・マレーがPAを正しく調整するためにも、僕たちが楽器の状態を整えるためにも、本当に重要なんだ。僕らは自分の機材をすべて持ち運んでいるわけじゃないからね。毎晩、違うアンプ、違うドラムセット、違うピアノ、それに違うアコースティック・ベースを使うんだよ。

だから、自分たちの音を作って、そこから本番に向けて調子を上げていく。リハーサルをすることもあれば、ジャムセッションをすることもあるし、新しいことを試したりもするよ。

レコーディング

アルバム『Combo 66』を作ったときは、まずリハーサルをして、それからブルーノートで6日間、毎晩2セットのライブをやったんだ。毎日その10〜12曲を演奏し続けたおかげで、曲が完全に身体に馴染んでいたよ。

その後スタジオに入り、わずか1日半でレコーディングを終えたんだ。素晴らしいエンジニアと最高のサウンド、何より、メンバー全員がお互いにどう演奏すべきかを完全に熟知していたからね。

お互いのスタイルがピタリと一致し、一緒に音楽を作り上げることができるのは、何事にも代えがたいことさ。たとえまったく違うタイプの人間同士であっても、そこで音楽が生まれていれば、うまくやろうと最善を尽くす。 それが本当の絆だね。

もちろん、僕らがこうして音楽に集中できるのは素晴らしいチームのおかげでもある。ツアー中はパット・マレーがマネージャーとして移動などを仕切り、妻のスーザンがギャラの管理などをしてくれている。

僕はリーダーとしてみんなへの責任を感じてはいるけど、長年ツアーをこなしてきた『ロード・ドッグ』ばかりだから、ツアーのことは知り尽くしているし自己管理もできるのさ。

最高の友人たち

自分がリーダーを務めてきたこれまでの経験は、良いサイドマンになるのにも役立っていると思う。今でも他の人のレコーディングやプロジェクトに参加する機会があるからね。

これまでの人生で、数え切れないほど多くの素晴らしいプレイヤーたちと一緒に演奏できたことを、本当に幸運に思っているよ。仲間のミュージシャンたちからは、信じられないほど多くのことを学んできた。僕のすべては彼らから学んだと言ってもいいくらいだ。

自分が大好きな音楽を奏でる人たちと一緒に、毎晩のようにステージに立ち、彼らから学び、共に学び、共に成長していく。これに勝る喜びはないよ。一緒に演奏している彼らこそが、僕の最高の友人なんだ。

作曲とレコーディング

必要に迫られない限り曲は書かないよ。書くのはレコード制作や、何か特定のプロジェクトがあるときだけ。何も理由がないのに「よし、曲を書こう」と机に向かうことはないね。

納得のいく曲を書くためには、2曲くらい駄作を書く必要がある。3曲目にようやく「これでいい」と思えるものができるんだ。

実際の作曲は、ゆっくりとしたプロセスだよ。今はレコーダーを回しながら、イメージに近いものを探っていく。小さなモチーフやコード進行を思いついたら、すぐに録音しておくんだ。譜面に書き起こそうとしている間に、頭から消えてしまうこともあるからね。そこから少しずつ音を積み上げていくのさ。

ノートには、20年前に書こうとしていた曲のメモがたくさん残っているよ。数年経ってから、ようやく完成させることもあるくらいだ。

ギターを弾くことは純粋な喜びだけど、作曲は本当に大変な仕事だね。でも、気に入った曲が完成したときは、やっぱり最高の気分だよ。

インスピレーションの源

雨の日や美しい夕焼けからインスピレーションを受けることはないね。無意識のうちに受けているかもしれないけど。僕が刺激を受けるのは、素晴らしい音楽や映画、アートなんだ。誰かが何かを作り上げたのを見て、「自分も何か作りたい」と思うのさ。

ギターのない音楽からも大きな刺激をもらってきた。コルトレーン、マイルス、ビル・エヴァンス、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカーなどを聴いていたし、ヴァイオリン、トロンボーン、サックス、トランペット、ピアノ、ベース、ドラムセット、それにエレクトロニック・ミュージックなんかもたくさん聴いたよ。

結局のところ、素晴らしい音楽であれば、それが何の楽器で作られているかは問題じゃないんだ。彼らは楽器という枠組みを超えて、自分の「声」で歌っている。楽器を通して表れるその人自身の強烈な個性、それこそが僕にとって最大のインスピレーションなんだ。

インプロヴィゼーションの本質

即興は人間にとってごく当たり前のことだよ。音楽を思い浮かべるとき、僕らは常に頭の中でアレンジしたり、メロディを自分なりに崩したりしているものだからね。

だからそこ、歌うべき「曲」がなければ、インプロヴィゼーションも存在しない。そもそも曲というのは、解体して再構築されるためにあるんだ。

メロディのフレーズを途中で切り取ってさらに展開させたり、音を足したり引いたりする。それがインプロヴィゼーションであり、作曲とは決して切り離せない表裏一体のものなのさ。

ミスも音楽の一部

自分の演奏を聴き返すと、「今の音は意図した通りじゃなかった」と思う瞬間がある。明らかなミスをすることもあるよ。もちろん好きではないけれど、ミスとはうまく付き合っていくしかないんだ。

どこまで厳密に捉えるかにもよるけれど、人間が楽器を弾く以上、ミスはどうしたって避けられない。たとえ意図した音が出なかったとしても、その一音一音には命がある。もしミスを許容できないなら、ジャズを演奏することなんてできないだろうね。

素晴らしい音楽は人間が作るものだから、そこには不完全さも含まれている。愛聴しているレコードや過去の名演にだってミスはあるけれど、時が経てば、それさえもミスだとは思わなくなるものさ。

自分が目指しているものと、実際に出てくる音が違うこともある。でも、その瞬間に起きていることに対して調整を続け、何かを引き出そうとする。音楽は常に『現在進行形』であり、そうやって変化し続けてこそ、新鮮さを保つことができるのさ。

音楽の探究

1800年代には、ギターなんて大した存在じゃなかった。全然人気がなかったし、今とはまったく意味合いが違っていたんだ。

今でこそロックの象徴になり、そこに政治的な意味を持たせる人もいる。でも、実際に楽器を演奏する立場になると、世間がどう思っていようと関係なくなるんだ。ギターを男性器の象徴のように捉える人がいたり、ロックギターの真似をしてエアギターを弾く人たちがいたりするけど、僕には何の意味もないことさ。

ギターを弾くとき、「テレビで見たクールな奴みたいになりたい」なんてことは考えていない。12歳の頃はそうだったかもしれないけど、ギターの弾き方を学んだ途端、音楽そのものと真剣に向き合うことになる。60年代のヒッピーの革命のシンボルだとか、そういう表面的なことはすべて吹き飛んでしまうんだ。音楽というのは本当に強力なものだからね。

『ローリング・ストーン誌が選ぶ最も偉大なギタリスト100人』には、僕のアイドルたちはほとんど入っていないけど、ギターが主役になれる音楽のジャンルは本当にたくさんあるんだ。

カントリー、ハワイアン、ブルース、ロックンロール、サーフミュージック……どれもギターが王様だ。それに、ギターで奏でるインド音楽なんて、全くギターの音には聞こえない。ウードのような音色など、東洋的で実に多彩な音をギターから引き出すことができる。ギターにできることの世界は、本当に巨大なんだよ。

AS200

僕は長年、アイバニーズ AS200を愛用している。1981年の日本ツアーで、使っていたギブソンのネックが反ってしまってね。当時はトラスロッドの調整方法すら知らなくて、弾きづらくて困っていたんだ。

そのときアイバニーズのスタッフが勧めてくれたのがきっかけだよ。最初はサンバーストのモデルを使っていて、今よく弾いている黒いモデルは1986年製だ。

世の中には素晴らしいギターがたくさんあるけれど、結局一番大切なのは、自分の指で弦を弾いた時に出るサウンドなんだ。その音をアンプに繋ぎ、アンプと向き合って音を作っていく。合わないアンプに当たると、本当に手こずるからね。

必要なのは、ちゃんと弾けて、自分に合った楽器だけ。ジム・ホールやウェス・モンゴメリーのように、一本のギターを熟知し、使い続けることが大切なんだ。彼らは12本もギターを持ち込んだりせず、手にした一本の楽器がどう反応するかを知り尽くしていた。だからこそ、一晩中素晴らしい演奏ができたのさ。

僕は最初から「こういう音を出したい」という明確な理想があったわけじゃないんだ。でも、自分が何が好きで何が嫌いかはわかっていたから、良いと思えた音は何でも取り入れてきた。それが年を追うごとに洗練されてきているといいんだけどね。

だから僕のスタイルは、要するに「ひどい音を出さないようにしているだけ」なんだ。

コピーから始まる個性

ジャズでは自分の「声」を持つべきだとずっと言われてきた。僕がこの音楽を愛しているのは、個性が許され、奨励されているからだ。音数が多い人もいれば少ない人もいる。激しく弾く人もいれば、美しく弾く人もいる。それらがすべてジャズの一部として共存している。そこには人間味が溢れているんだ。

僕はこれまで、ギタリストや別の楽器のプレイヤーを何度もコピーしようとしてきた。でも、手の大きさも、生まれ持った体のつくりも違うから、結局は同じようには弾けないんだ。

間違いなくコピーから始まっているのに、気づけば自分の音になっている。でも彼らのアプローチやスピリットは、自分の中に残ってるんだ。

チャーリー・ヘイデンが「友人が電話をしてきたら、声を聞いただけで誰だか分かるだろう?」と言っていたけど、音楽も同じだ。長く楽器を弾き続けていれば、自然と自分の「声」を持つようになるのさ。

演奏と向き合う

音数を減らしつつも、そこからより多くのことを語り、より叙情的に弾けるようになっていればいいなと思っている。でも、それはもうずっと前から望んできたことなんだけどね。30年前よりは上手く弾けているといいんだけど。

自分の昔の演奏を聴くことはあまりないんだ。上手くなっているとは思うけど、もしかしたらただの錯覚かもしれないね。でも、演奏のアプローチ全体としては、少しずつ良くなっていると思うよ。

レコードを作るときは、どのテイクや曲を使うか選ぶために、嫌になるほど何度も聴かなきゃいけない。だから完成した後は、もう聴くのをやめるんだ。自分のアラ探しばかりしてしまうからね。

たまにラジオなんかで20年前に作った自分のレコードを耳にして、「結構いいじゃないか」と思うこともあるけど……それは自惚れの始まりだね(笑)。

偉大なサックス奏者のズート・シムズは、自分のレコードを一枚も持っていなかったらしい。僕は持っているけど、当然聴くことはないよ。「自分が持っていなきゃ、誰も持っていないだろう」と思って保管しているだけさ。

過去のレコードを見て思い出すのは、一緒に演奏した仲間たちのことなんだ。彼らのことや、共に作った音楽のことを考えると、当時の思い出が蘇ってくるんだよ。

ニックネームについて

「スコ」というニックネームについては、自分では意識すらしていないんだ。苗字がスコフィールドだから、みんなが短く省略して呼んでいるだけでね。特に気に入っているわけでも、嫌いなわけでもないよ。でも、ニックネームをつけてもらえるのは嬉しいね。親しみを込めてくれていると思うから。

昔はスポーツ選手にもよくニックネームがついていた。有名な野球選手のベーブ・ルースだって、「ベーブ」は本名じゃないしね。アメリカ特有のものかもしれないけど、なんだか古き良き時代の匂いがするよね。

歳を重ねること

歳をとるほど、リラックスして演奏を楽しめるようになってきたね。ただ、歳をとることの最大の欠点は、やっぱり「老いる」ということだ。

今は補聴器をつけているよ。1965年からずっと大音量でギターを弾いてきたからね。昔は耳栓なんて誰もつけてなかったし、なぜ必要なのかも分からなかった。試したこともあったけど、音楽がよく聴こえなくなってしまうからやめたんだ。音楽を聴くことが何よりも重要だったからね。

ファンキーなジャズ・ロック・フュージョンを爆音で弾いてきたせいで、耳を痛めてしまったんだと思う。僕はもうすぐ68歳になるけれど、耳がもってくれるといいなと思っているよ。

それに、脳の働きが遅くなるという問題もある。人の名前や街の名前など、思い出すのに時間がかかることがあるんだ(笑)。でも、それが音楽そのものに影響しているとはまだ思わない。曲を覚えるのが少し大変になったくらいかな。だから大丈夫さ。手が動く限り、僕はこれからも上手くなり続けたいと思っているよ。

音楽における成功とは

成功とは、音楽で生計を立てられる、つまり自分の分野で名が知られているということだね。僕は決して有名じゃない。道を歩いていても誰にも気づかれない。

ごく稀に『ジョン・スコフィールドですか?』と声をかけられても、『君は何を弾いてるの?』と聞くと『あ、僕はベーシストです』なんて答えが返ってくる。相手はいつもミュージシャンなんだ(笑)。

でも、評判がなければ仕事は来ない。だから名前を知ってもらえるのは仕事の一部だし、誰だって自分のやっていることを認められたいものだよね。

運は重要だと思うけれど、良い状況に恵まれた時に、それをどう活かすかが大切なんだ。せっかくチャンスを掴んでも、自分自身の問題で自滅してしまう人も多いからね。僕は運が良かったんだよ。タイミング良くいい場所にいられたし、巡ってきたチャンスをしっかり活かすことができたからね。

よく「昔の方が良かった」と言うけれど、どんなジャンルであれ、じっくり聴かせる音楽にとって楽な時代なんて一度もなかったと思うんだ。多くの人は、笑えたり気分が上がったりするポップな曲を求めているし、それ以上は求めない人がほとんどだからね。それは昔からずっと変わらないんだ。

だから、ジャズのような音楽が大衆的になることはないし、いつだって簡単な道じゃない。でも、音楽はいつの時代も進化し続けている。ジャズの全盛期は過ぎたかもしれないけど、今この瞬間も、どこかで別の音楽の黄金時代が生まれているはずだ。

結局のところ、今ある現実を受け入れて、そこで自分にできることをやっていくしかないと思っているよ。


関連リンク

公式サイト:https://www.scofilm.com

翻訳元動画:John Scofield Interview – Inside Scofield (YouTube)

映画『Inside Scofield』は、ジョンの音楽と人生に深く迫るドキュメンタリーです。彼のサウンドの背景にある哲学や、ツアー中の様子が記録されています。

日本語字幕はありませんが、Vimeoで本編を購入・視聴することができます。

Inside Scofield 販売サイト:Inside Scofield Vimeo

監督であるJoerg SteineckのYouTubeチャンネルでは『Inside Scofield』に関連するアーティストたちへのインタビュー動画が公開されているので、ぜひチェックしてみてください。