ジャズギターのレジェンド、バーニー・ケッセル。彼が「僕のヒーロー」と呼び、16歳で運命的な出会いを果たしたのが、チャーリー・クリスチャンです。
ここでは、1981年に『ギター・プレイヤー』誌の元編集者ジャス・オブレヒト氏が行った、バーニー・ケッセルへの貴重なインタビュー音声を翻訳しました。
バーニー自身の熱い言葉を通して、チャーリー・クリスチャンがいかに革新的な存在であったか、その魅力に迫ります。
*本記事は、ジャス・オブレヒト氏から許諾を得て、日本語に翻訳・編集したものです。
インタビューを始める前に

1940年、16歳のバーニー・ケッセルは、大学バンド「The Varsitonians」でエレキギターを弾いていました。ある夜、クリスチャンの故郷オクラホマシティのクラブで演奏中、客席にチャーリー・クリスチャンの姿を見つけて驚きます。こちらを見て微笑んでいた彼に、バーニーは喜んでギターを貸し、そのままバンドに加わってもらうことになりました。
演奏後、クリスチャンはバーニーを夕食に誘います。当時のジム・クロウ法の影響で、2人が一緒に入れる店は限られていましたが、裏口から入れば同席できる店をなんとか見つけ、しばらく語り合いました。
翌日、チャーリーはピアニストとドラマーを連れて現れ、バーニーとジャムセッションを行いました。バーニーはこのとき、多くのことを学んだと語っています。特に「ジャズはフィーリングだ。魂を込めて演奏しろ」という言葉は、深く心に刻まれたそうです。
別れ際、チャーリーはこう言いました。「バーニーのこと、みんなに話しておくよ」。それが彼との最後の言葉になりました。しかし、バーニーにとっては人生のハイライトのひとつであり、決して色あせることのない思い出となったのです。
その後、バーニーはチャーリー・クリスチャンの精神を受け継ぎ、ジャズギター界を代表する存在となっていきます。
私が『Guitar Player』誌に入社したのは1978年。バーニーの月刊コラムの編集を担当することになりました。それから3年後、チャーリー・クリスチャン特集の準備をしていた私は、バーニーにインタビューを依頼。彼は快く引き受け、チャーリーへの想いを45分にわたって語ってくれたのです。
この会話の一部は、1982年3月号に掲載しましたが、今回、1981年11月に収録されたインタビューの全音声を初公開します。
チャーリー・クリスチャンへの想い

バーニー: 今回この企画に関われることを、心から嬉しく思っているよ。というのも、これは単なる仕事ではなく、僕にとって思い入れのあるテーマだからね。
チャーリー・クリスチャンには、昔から特別な想いがあるんだ。彼が何を体現し、何を残したのか。その偉大さは今でもまったく色あせていない。実際に会う機会にも恵まれたし、不思議な縁で、いま僕が暮らしてるこの街から、チャーリーはベニー・グッドマンのもとへ向かったんだ。
若い頃は、彼と共演したプレイヤーたちと演奏する機会もあったよ。彼らを通じて、チャーリーの音楽がどれほど深く、人の心に触れるものかを実感してきた。そして、いま改めて彼の演奏を聴くと、当時以上に心を打たれる自分がいるんだ。
だからこそ、彼について語る役目を担えることを誇りに思うよ。この話を君と共有できること、それ自体が、僕にとって大きな喜びなんだ。
なぜ今、彼の「魅力」を伝えたいのか
—— 若い世代のギタリストが、チャーリー・クリスチャンを改めて聴くべき理由は何でしょうか?
バーニー: これは若いギタリストに限った話ではないけれど、音楽や芸術に真剣に興味を持っている人なら誰でも、先人たちから学ぶべきなんだ。
ただ学ぶだけじゃなく、時系列に沿ってどのように発展してきたのかを理解することで、いまの音楽がどうやって作られてきたのか、その成り立ちがより鮮明に見えてくるんだ。
ジャズギターに起こした革命とは
バーニー: チャーリー・クリスチャンのエレキギターへの貢献は、トーマス・エジソンやベンジャミン・フランクリンが世界の流れを変えたのと同じくらい画期的なものだった。彼はギターの世界を一変させた。ただ単に卓越したギタープレイヤーだったからではなく、彼の音楽そのものが時代を変えたんだ。
彼を研究すれば、後に続いたギタリストたちが彼を起点に発展し、それぞれの個性に応じて独自の道を歩んでいったことがわかると思う。彼は新しい道を切り開いた存在だった。まるで哲学の巨人のように、後世のミュージシャンたちは彼に倣い、影響を受けてきたんだ。
彼の貢献は多岐にわたっていて、そのひとつが「タイム感」だね。他の楽器でも彼ほどのリズム感覚を持ったミュージシャンはほとんどいなかったと思う。音符を置く位置やフレージングの正確さは群を抜いていたよ。
そしてもうひとつ、彼が弾いていたラインは、同時代のミュージシャンよりも何年も先を行っていた。伴奏では鳴っていないコード進行が、彼のソロの中に明確に表れていたんだ。
—— 具体的な例はありますか?
バーニー: 彼の演奏そのものを聴いてもらうのが一番かな。細かく分析しなくても、彼のブルースを聴けばわかるはずだよ。彼のフレーズは、ほかの演奏者が誰も使っていないハーモニーの変化が聴き取れるんだ。それなのに新鮮で、しかも見事にハマっている。どの録音を聴いても、それがはっきりと感じ取れるはずだよ。

音を大きくするだけじゃない
バーニー: 彼の音色は今日のジャズのコンセプトに近く、柔らかくてベルベットのような響きだった。ロックンロールやポップ、パンクのように、ただ音量を稼ぐための音とは根本的に違ったんだよ。電子的なギターの音ではなく、まさしく「エレクトリックギター」の音だった。
これを誤解している人も多くて、僕やチャーリー・クリスチャンが「ギターの音をそのまま大きくすること」を求めていたと思ってるみたいなんだ。でも、それは違う。電気的な増幅とは別に、ギター独自の音を持っていたんだ。
音には実は3種類あって、ひとつはアコースティックギターに何かを取り付けて、単純に音量を上げるもの。音色は変わらないね。もうひとつは、特定のピックアップを通した「エレクトリックギター」の音。これはまったくの別物。そして今日のロックやポップで聞かれる「電子的な音」だね。
彼の音色は、むしろホーンに近かった。サックスやトロンボーンのような柔らかく深みのある響きだね。実際、多くの人は、それがギターの音だと気づかなかったんだよ。当時はエレキギター自体を知らない人もいたから、ほんの少しパーカッシブな、もしかするとスラップタンギングしているようなテナーサックスに聴こえたんだろうね。
ホーンと渡り合った圧倒的な実力
バーニー: 彼は、初めてホーン奏者たちと肩を並べて演奏し、その音楽の内容が彼らのレベルと同等か、場合によってはそれ以上だったんだ。
例えばベニー・グッドマンやジャック・ティーガーデン、トミー・ドーシーといったホーン奏者と共演するとき、それまでのギタリストは、ただ「ギタープレイヤーとして最高の演奏者の一人」と評価されるくらいだったんだ。
ギターとしては素晴らしいけれど、ホーン奏者と同じレベルで語られることはなかった。でもチャーリー・クリスチャンは、ホーンのようにソロを弾いた最初の人物だったんだ。
それから、1920年代から活躍していたギタリストは、ほとんどがバンジョー出身だった。ジョージ・ヴァン・エプス、アラン・リュース、ディック・マクドノウ、カール・クレス。彼らはバンジョーの感覚をそのままギターに持ち込んでいて、演奏にもそれが表れているんだよ。
多くの場合、経済的な事情でバンジョーからギターに持ち替えざるを得なかったり、オーケストラの指揮者が変更を求めたりしたんだ。これは、1950〜60年代にストリングベース奏者がエレキベースに持ち替えた状況にも似ているね。
だから1920〜30年代にかけてポール・ホワイトマンやビング・クロスビー、ジョー・ヴェヌーティらと一緒に演奏していたギタリストは、バンジョーからギターへと移ったプレイヤーたちだったんだ。
でもチャーリー・クリスチャンは違った。彼にはバンジョーのバックグラウンドがなかった。むしろ、トランペットやサックスを少し演奏していたという噂もあるくらいだ。ただ、健康上の理由で吹奏楽器は演奏できなかった。彼の家族には結核を患う者が多く、呼吸器系に負担をかける楽器を避ける必要があったからね。
でも、彼の発想には常にホーン的なアプローチがあった。まるでテナーサックスを吹きたかったけれど、代わりにギターを選んだ男のようだったんだ。
—— どんなホーンをイメージしていたんでしょうか?
バーニー: レスター・ヤングが彼の理想だった。ヤングが彼のインスピレーションの源だったんだ。
影響を与えた3つの要素
—— そうした新しい演奏スタイルは、どれくらいの速さでジャズ界に広まっていったのでしょうか?
バーニー: すぐだったよ。全米に波及したのはもちろん、彼がどこへ行ってもすぐに影響を及ぼしていたんだ。理由は大きく三つあると思う。
まず第一に、エレキギターという楽器自体がほとんど知られていなかったこと。彼の登場以前には、エレキギターでソロを弾く人なんていなかったからね。
第二に、ホーン奏者さながらのソロを弾いて、新しい表現領域を切り開いたこと。もし既存のフレーズをなぞるだけだったなら、あれほどの衝撃にはならなかっただろう。
第三に、圧倒的な独創性があり、生まれつきの才能が音に現れていたこと。
つまり、まったく新しい楽器を、まったく新しい奏法で、驚くほどハイレベルで演奏していた。だからこそ、彼の影響は即座に現れたんだ。
ただし、当時は「スーパースター」なんていう文化が存在しなかったから、彼の名声はミュージシャン仲間の間にとどまっていたんだ。現在のような大規模プロモーションもなければ、ギブソンが彼を広告に起用することもなかった。グラミー賞のような大きな賞も存在せず、世間の注目を集める仕組みがなかったのさ。そのせいで、知名度も収入も、才能に見合ったものではなかったよ。
いまでは、才能がそれほど突出していなくても、プロモーション戦略次第で大きな収入を得ることができる。優秀なマネージャーがいて、宣伝とマーケティングに力を注げば、瞬く間に名前が売れるんだ。 彼が生きた時代とは、その点で大きく異なるね。
後進ギタリストへの影響
—— ご自身以外で、チャーリー・クリスチャンの影響を受けたギタリストは誰だと思いますか?
バーニー: そうだな、まずはハーブ・エリスを挙げたいね。ただ実際には、エレキギターを弾くほとんどの人が、知らないうちに彼の影響を受けていると思うんだ。
例えるなら、エジソンが電球を発明したことを知らずにその恩恵を受けているようなものさ。それと同じように、本人が意識していなくても、間違いなくチャーリー・クリスチャンが作った土台の上にいるんだ。
—— それほどの影響なのですね。
バーニー: チャーリーはとても早い時期に現れ、あまりにも偉大なものを残したんだ。その影響があまりにも大きかったからこそ、彼のスタイルは「原型」にもなったんだ。それはまるでチャーリー・パーカーが唯一のアルト奏者ではないのに、彼のスタイルが「絶対的なもの」として確立されたのと同じようなものだね。
ただ、中にはチャーリー・クリスチャンの影響を素直に認めない人もいる。自分では気づいていないか、あるいはプライドやエゴから「このスタイルは自分ひとりで築き上げた」と思いたいのかもしれない。
その逆に、「チャーリー・クリスチャンの影響を受けた」と言う人の中にも、実際に演奏を聴いてみると「どこに影響があるんだろう」と思うこともある。もちろん、それぞれが素晴らしいミュージシャンであることに変わりはないけど、チャーリーが持っていたあの豊かさや感覚が感じられないことがあるんだ。
質問に戻ると、影響を強く感じるギタリストは、ハーブ・エリス、そしてジョー・パス、それから初期のジム・ホールあたりかな。もっとも、ジムはかなりスタイルが変わったけどね。多くのギタリストは、経験を重ねていく中でさまざまな要素を取り入れ、少しずつチャーリーの影響から枝分かれしていくんだ。
他にも、チャック・ウェイン、リーモ・パルミエリ、あとは「セメント・ミキサー」のヒットで知られるスリム・ゲイラード、それからタイニー・グライムスの名前も挙げておきたいな。
まず聴いてほしい名盤はこれ!
—— チャーリー・クリスチャンの音源で、おすすめのものはありますか?
バーニー: コロンビアから出ている2枚組のアルバム『ジーニアス・オブ・チャーリー・クリスチャン』だね。これは彼の名義で制作されたものではなくて、ジョン・ハモンドが再編集したものなんだ。
—— 『ソロ・フライト』ですね?
バーニー: それだよ。ただ、すべてを網羅しているわけじゃないし、ベストな演奏だけを集めたというわけでもないんだ。可能ならベニー・グッドマンのセクステット名義で出ている別のコロンビア盤も手に入れるといいよ。
アルバムタイトルは思い出せないんだけど、シングル盤を再編集した形で出ているものがある。そもそもチャーリーは正式なアルバムという形では録音していないからね。たいていはベニー・グッドマン名義になっているんだよ。
バーニー: それから、ウィルコックス・ゲイの録音機で録音されたジャムセッションもおすすめだ。一時期、VOX社のレーベルから出ていたと思う。今も同じ名前で販売しているかは分からないけど、おそらく入手可能なはずだよ。
片面にはミントンズでのジャムセッションが収録されていて、もう片面は、チャーリーは参加していないけど、初期のディジー・ガレスピーがモンクと共演している音源が収録されている。
バーニー: これは彼が一晩中ジャムをしたときのもので、収録されている曲のひとつが「ストッピン・アット・ザ・サヴォイ」だった。
もうひとつ紹介したいのが、『Edmond Hall Celeste Quartet』名義の録音。4曲だけだけどアコースティックギターを弾いているんだ。エドモンド・ホールがクラリネット、ミード・ルクス・ルイスがセレスタ、そしてイスラエル・クロスビーがストリングベースを演奏していた。
こんなところかな。彼はとても若くして亡くなったし、あまり多くの録音を残さなかったからね。でも、どの音源にも彼の魅力が詰まっているよ。
人生を変えた曲
—— 初めてクリスチャンを聴いたときのことを覚えていますか?
バーニー: 僕の生まれたオクラホマは、チャーリーが住んでいたこともある州で、レコードで聴く前から、彼のことは耳にしてたんだ。
10代の頃、14人編成の黒人バンドで演奏していたんだけど、そのメンバーたちはすでにチャーリーのことを知っていた。演奏を聴いてたり、共演した人もいたんだ。みんな口々に彼の話をしてくれたから、自然と名前を覚えたんだ。
それに、チャーリーの演奏を聴いたことがあるギタリストの友人がいて、彼からもよく話を聞いていた。だから、実際に演奏を聴くまでに、いろんな情報が頭に入っていたんだよ。
最初に聴いたレコードはベニー・グッドマンとの録音で「ソフト・ウィンズ」って曲だった。ただ、バンドの一員として数回フィルをいれるぐらいで、ソロは弾いていなかったんだ。それでも何か違う、いい音がするとは感じた。ただ、彼の凄さにはまだ気づいていなかったんだ。
フライング・ホームの衝撃
バーニー: その次に聴いたのが「フライング・ホーム」だった。
バーニー: これを聴いたときの衝撃を、今の若い人たちに伝えるとしたら……そうだな、16歳の少年が初めてエルヴィス・プレスリーを聴いたとか、テレビでビートルズを初めて観たとか、そういう衝撃に近いと思う。
チャーリーの演奏は、ギターでできることのすべて、いや、それ以上を体現していたんだ。自分には到底できないことばかりだったけど、もう完全に心を打ちのめされたね。あっという間に“ファン”になったよ。
彼の音をコピーした理由
バーニー: 当時はレコード店に通い詰めて、「ベニー・グッドマン・セクステットの新しいアルバムは入荷してる?」「届いたら連絡してくれ」ってしつこく頼みこんだよ。お金がなくても試聴ブースに入って、何度も何度も聴いた。店員から追い出されるまでずっとね。
僕がチャーリーの演奏を覚えようとしたのは、コピーしたかったからじゃないんだ。好きすぎて、その音を聴きたかったからなんだ。レコードプレーヤーが近くになくても、自分で弾ければ、その音楽を“聴く”ことができる。つまり、自分自身がその曲を聴くための「手段」になれると思ったからなんだ。
もし当時、ポータブルレコードプレーヤーがあったら、ギターで再現するんじゃなく、ひたすらレコードを聴いていたと思うよ。
—— ああ、なるほど。
バーニー: だから僕は、ただ自分でその音を聴きたいから弾いてたんだ。他の人に「これが弾けるんだぞ」と見せつけたいわけじゃなかった。
—— ものすごい影響だったんですね。
バーニー: ああ。 そうだね。彼の音をずっと聴いていたい、その一心だった。だから僕にとっては、「弾くこと」が「聴くこと」でもあったんだ。
チャーリーの何がすごいって、とにかくタイム感。それから演奏のすべてに意味があった。無駄なフレーズはひとつもなかった。単なる装飾じゃない。すべてが「主張」してたんだ。
あらため聴き直してみても、当時はまだハイファイ(高音質)なんてなかったし、ステレオも存在してなかった。それでも彼の演奏にははっきりと存在感がある。録音にはマイク1本しか使っていないこともあったけど、どうすれば自分のソロがしっかりレコードに残るかを理解していた。
当時はミックスなんてなかったし、録ったらそれで終わり。チャンネルごとに音を調整して、「ギターを上げてベースを下げよう」なんてこともできなかった。ただ録音するだけ。でも、彼のソロになると、ちゃんと“前に出てくる”。その場に彼が「いる」んだ。
奏法と人柄を語る
—— 実際に間近でみて、彼のテクニックについてどう感じましたか?
バーニー: 僕が考えるテクニックとは、「言いたいことを言えるかどうか」なんだ。多くの人が考えるような、速さとか器用さとか、そういうものとは少し違う。
つまり、表現したいことがあって、それを音で表現できるなら、その人には必要なだけのテクニックがあるということさ。逆にテクニックがない、というのは「やりたいことがあるのに、それができない」ということだよ。
例えるなら、お金と一緒さ。豊かさって、結局自分の欲しいものが手に入るかどうかで決まるだろ?食事をしたい、いいスーツが欲しい、新しい車に乗りたい、ヨーロッパへ行きたい、そういう望みを叶えるために必要なお金さえ持っていれば、十分に豊かって言えるよね。
テクニックもそれと同じなんだ。必要なことができるなら、それで十分なのさ。チャーリー・クリスチャンは特別テクニカルだったわけじゃないけど、表現したいこと全てを表現できていたんだ。
右手と左手の特徴

バーニー: 演奏の95%くらい、ほとんど全部ダウンストロークで弾いてたね。ピックは硬い三角形のもので、サイズも大きかったよ。右手は、親指と人差し指でしっかりとピックを握り、中指、薬指、小指はピックガードにピタッと固定してたな。まっすぐな棒みたいな感じだった。
—— 左手の指は全て使っていましたか?
バーニー: いや、小指はほとんど使っていなかったね。
ステージ上での様子
—— ギターソロ中はどんな様子でしたか?
バーニー: 目を閉じて弾いていることが多かったかな。開いていても視線は上の方を見ている感じで、完全に音楽に没頭してたよ。体を揺らしたり、派手に動いたりはしなかった。たまに顔を上げるくらいで、またすぐ演奏に戻っていた。
スウィングの本質
—— チャーリーはスウィングを大切にしていたと聞きました。
バーニー: そうだね。でも、「スウィング」について、多くの人はまだよく分かってないと思うんだ。体を揺らしたり、ノリノリでグルーヴィーに演奏することだと思ってる人もいるからね。でも実際は、演奏の中の「パルス」に関係してるんだよ。
大切なのは、演奏の速さや遅さじゃない。揺るぎないリズムの土台があるかどうかなんだ。例えば、連続する8分音符を演奏するとき、その一音一音のタイミングが正確なら、ベースやドラムがいなくてもテンポを感じることができる。チャーリー・クリスチャンの演奏にはそれがあった。
彼の音は本当に明瞭で、そのタイム感は完璧だった。リズム楽器がなくてもテンポがしっかりと伝わってきた。でも、多くのプレイヤーは、ベースやドラムがいないとテンポがはっきりしないんだ。
—— チャーリーは演奏中、足でリズムを取っていましたか?
バーニー: どうだったかな。覚えていないな。
人柄
—— 印象に残っている彼の人柄について教えてください。
バーニー: 彼はあまり雄弁なタイプじゃなかったね。少なくとも僕が一緒にいた3日間は、あまり多くの言葉を使わなかったよ。いわゆる洒落た言い回しやスラング、決まり文句なんかも使わなかったし。話すときは少しうなるような感じだったね。
例えば、ベニー・グッドマンやライオネル・ハンプトンのことを話すとき、「ザ・ベニー」とか「ザ・ライオネル」って呼んでいたんだ。普通なら「ライオネル」とか「ミスター・ハンプトン」とか「ベン」あるいは「ベニー」って呼ぶところをね。君が僕のことを話すときに、「ザ・バーニーがね」と言うような感じさ。
彼は深い哲学を語ることもなかったし、理論的な話をすることもなかった。どちらかというとストリートスマートなタイプだったんだと思う。まだ若かったし、ベニー・グッドマンのバンドに入る前は、その日を生き抜くために必死で働いていた。だから、いわゆる「教育を受けたタイプ」ではなかったと思うな。
—— そうだったんですね。
バーニー: 単純な男ってわけじゃなく、いわゆる「学識のある人間」ではなかったんだ。本をたくさん読んでいたわけじゃないし、言葉で表現するよりも音楽で語る人だったと思う。でも、考えはしっかり持っていたよ。
本質を捉えた言葉
バーニー: ある日、ジャム・セッションをしていたときのこと。招いてもいないのにひとりのテナーサックス奏者がやって来て、勝手に演奏に加わってきたんだ。正直、あまり上手いプレイヤーじゃなかった。
それでチャーリーはどうしたかというと、怒るでもなく、静かにギターをケースにしまい始めたんだ。まるで「もう終わりだ」って感じでね。
それを見て、さすがにそのサックス奏者も察したんだろう。すごすごと自分の楽器を片付けて、帰って行ったよ。そして彼が出て行った途端、チャーリーはまたギターを取り出して、何事もなかったかのように弾き始めたんだ。
僕はまだ若かったからさ。若いヤツって、たまに聞いちゃいけないようなことを平気で聞くだろ?子どもが「いくら稼いでるの?」って聞くみたいに。だから僕もつい、「どうしてギターを片付けたの?」って聞いちゃったんだ。
すると彼はこう言った。
「俺がギターをケースから出すのは、何かを学ぶか、楽しむか、金を稼ぐかのどれかのときだけだ。」
ってね。
よくよく考えてみると、楽器をケースから出す理由ってその3つしかないんだよ。だから、彼は口数こそ少なかったけれど、物事の核心を突く、とても実践的な考え方をする人だったんだ。

愛用したギブソン
—— 彼のお気に入りの機材は何でしたか?
バーニー: 何を好んでいたのかは正直わからないな。そのアンプを使っていた理由が、「ほかに選択肢がなかったから」なのか、「単に便利だったから」なのか、「それしか買えなかったから」なのか、それとも「特にこだわりがあったのか」はわからない。
でも、使っていたのは小型のギブソンのアンプだったよ。モデル名が「150」か「185」だったか、そこは定かじゃないけど、スピーカーは10インチか12インチのどちらかだったと思う。「エアプレイン・クロス」で覆われてて、オレンジ色の帯が3本入っているやつ。
アンプの裏面を外して使うタイプで、思っているよりも大きい音量だったけど、ロックバンドのような爆音ではなかった。
チャーリーを知る人
—— オクラホマシティにまだご家族が住んでいると聞いたことがあるのですが。
バーニー: 分からないな。彼にはクラレンスという兄がいたことは知っているけど、最近亡くなったんだ。でも会ったことはない。オクラホマに引っ越したら訪ねてみようと思っていたんだけどね。
—— それは残念です。
バーニー: ああ。
—— クリスチャンの特集記事を作るにあたって、ベニー・グッドマン以外で誰に話を聞くのがいいと思いますか?
バーニー: そうだな…メアリー・ルー・ウィリアムスに話を聞ければよかったけど、彼女は最近亡くなってしまったから…今ならCBSのジョン・H・ハモンドかな。ギタリストのジョン・P・ハモンドの父親だね。
それからベニー・グッドマン楽団でドラムを叩いていたニック・ファトゥールもいいと思う。
最高のバンジョー弾き?
—— クリスチャンがベニー・グッドマンのビッグバンドで活動するにあたり、人種差別によって何か影響を受けたのでしょうか?
バーニー: どうだろう。ただ、ルーズベルト政権時代は黒人を支援してくれていたし、チャーリーはベニー・グッドマン・セクステットの一員としてホワイトハウスで演奏したこともある。
そのときの話が面白くて、演奏中、観客は聴いているだけじゃなくて、音楽に合わせて踊っていたんだ。そしたら、ある女性が彼のところにやって来て、ギターソロを聴いてこう言ったんだ。「あなたは今まで聴いた中で最高のバンジョー・プレイヤーよ」ってね。
—— 笑。
なぜ彼の演奏は色あせないのか
—— いま改めて、チャーリー・クリスチャンの演奏を聴くと、どんなことを感じますか?
バーニー: 僕は子供の頃、本当にたくさんのミュージシャンを聴いたんだ。でも時が経つにつれて、「あの頃は良かったけど、今聴くとまあまあかな」とか「ちょっと古いな」と感じるものが出てくるんだ。
その一方で、当時と変わらず素晴らしいものもある。そして、ごく少数だけど、今聴く方がよりよく聴こえるものもあるんだ。
チャーリー・クリスチャンはまさにその一つで、子どもの頃、オクラホマ州マスコギーで初めて彼の演奏を聴いたときより、今聴くほうがもっと良く感じるね。
その理由を考えたんだけど、結局は、その音楽が最初からずっと偉大なものだったってことなんだ。今の方がよりよく聴こえるのだとしたら、それは音楽が変わったからじゃない。変わったのは自分自身なんだ。より多くの経験を積み、洞察を深め、教養を得たことで、正しくその音楽を評価できるようになった。そして、当時は気づかなかった素晴らしさに気づけるようになったんだ。
—— それは素敵な話ですね。
バーニー: まさに”クラシック”だよ。クラシック音楽じゃなくて、時代を超えて残る名作という意味でのクラシックなんだ。
例えば、昔「ハウディ・ドゥーディ」のバッジとか「デイビー・クロケット」の帽子があっただろ?そういう流行り物は、時間とともに忘れ去られてしまう。
うちの子供たちも、クロケットの帽子をかぶっていた。だから僕は言ったんだ。「いつか誰もこれをかぶらなくなるし、デイビー・クロケットのことを知る人もいなくなるよ」って。彼らは信じなかったけどね。ホパロング・キャシディが大人気だった頃と同じさ。フラフープだとか、そういう一時のブームって山ほどあったよね。
でも、本当の意味でのクラシックなものっていうのは、時代を超えて残るんだ。しかも、品格を保ったままね。絵画や文学だってそう。シェイクスピアなんて、いまだに読まれてるし、まったく古びてないよね。

個性の大切さ
バーニー: だから、チャーリー・クリスチャンの音楽は今でも輝いている。彼の演奏は、和声の知識がすごくあったわけじゃないし、世界一速いプレイヤーだったわけでもない。似たようなフレーズを弾くこともあるし、レパートリーが限られていたことも知っている。それに、テンポの速い曲を演奏することもほとんどなかった。
でも、大事なのは「何を持っているか」であって「何を持っていないか」じゃないんだ。
例えば、バナナを見て「なんでリンゴじゃないんだ!」と怒るようなものさ。バナナはバナナでしかない。僕たちはそれぞれ、自分のスタイルを持っているんだ。セゴビアはチャーリー・パーカーの曲を弾かないし、チェット・アトキンスはビバップを演奏しない。タイニー・グライムスが『月の光』を演奏することもない。僕らは自分にできることをやるんだよ。
—— その通りですね。
バーニー: みんなそれぞれのやり方で音楽をやっている。そしてチャーリー・クリスチャンがやったこと、それはジャズのすべてではないけれど、「ジャズそのものの体現」なんだ。彼の演奏は、ジャズにおけるひとつの完成形なんだよ。レスター・ヤングやビリー・ホリデイと並んでね。
たしかに、彼がいつも新しいことをしていたわけじゃないし、今のジャズのすべてを代表するものでもない。でも彼の演奏は、明らかにその後の音楽へとつながっているし、今聴いてもまったく色あせていない。
今のミュージシャンは、音を詰め込むような演奏が多いけど、チャーリーが持っていたような「タイム感」で演奏している人はほとんどいない。ギターに限らずね。何かを表現しようとしている人も少ないし、何よりも「自分自身を表現できている人」が本当に少ないんだ。
でもチャーリー・クリスチャンの演奏を聴くと、「ああ、チャーリーだな」ってすぐわかる。だから僕は、彼を「ギタリスト」としてじゃなく、「ジャズを表現する才能を持った人」として見てるんだ。彼はギターを選んだけど、本質的にはジャズそのものを語る人間だったんだ。
最後に伝えたいこと
—— 今日はありがとうございました。素晴らしいお話でした。
バーニー: そう言ってもらえて嬉しいよ。決して昔を懐かしんで、「あの頃はよかった」なんて言いたいわけじゃないよ。
若い子と話すと、「バディ・ホリーって最高だったよね。僕はずっと彼のファンなんだ」なんて言うことがあるだろ?それは、単に学生時代の記憶や、当時付き合っていた女の子の思い出に結びついてるだけだったりするんだ。つまり、音楽そのものというより、人生のある時期の感情と結びついてるってことさ。
でも僕が言ってるのは、そういう感傷的なことじゃない。もっと客観的に、チャーリー・クリスチャンがどれだけすごかったかってことなんだ。だから、こうして彼の特集をやってくれるのが嬉しいし、僕を選んで話を聞いてくれたことにも感謝してるよ。
インタビューを終えて
バーニーのアドバイスに従い、ベニー・グッドマンとコロンビアのプロデューサーであるジョン・ハモンドに連絡を取りました。二人ともインタビューに快く応じてくださり、今後その会話も公開する予定です。
最後に、このポッドキャストを実現するために尽力してくれたプロデューサーのニック・ハント、Southern Folklife Collection のスタッフ、そしてすべての購読者の皆さんに心から感謝申し上げます。
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