ジャズギタリスト、ピーター・バーンスタインが自身のキャリアや音楽への向き合い方を語ったインタビュー(2020年11月20日公開)を、日本語に翻訳しました。
ソニー・ロリンズとの共演エピソードや、ソロ演奏を通して見えてきた発見、そしてエフェクターや音作りに対する独自の考え方まで。
長年にわたって第一線で演奏を続けてきた彼の言葉には、シンプルだけど深い真実が詰まっています。
ジャズギターを愛する人はもちろん、音楽を続けるすべての人に響く内容です。
*本記事は、Samo Šalamon氏の許可を得て日本語に翻訳・編集したものです。
パンデミック下で生まれた『What Comes Next』
—— 新しいアルバムが出るんですよね?
ピーター : 僕自身そんなつもりはなかったんだけど、たまたまいい機会があってね。2週間で全部終わったよ。スタジオには6時間しかいなかった。「1曲ずつじっくりやろう」とか「2日かけて録ろう」みたいな感じじゃなくて、「1日でやりきろう」「できるだけ短くしよう」って感じだったんだ。6月の中旬だったから、みんな長く屋内にいたくなかったんだと思う。全体的に「よし、やろう!」という勢いはあったけど、でも「以前のように戻った」という感じではまったくなかったね。
—— なるほど。
ピーター : でも、とてもいい時間だったよ。最初は「演奏が鈍っているだろうし、リハーサルなしでうまくいくかな」という不安が大きかった。たとえうまくいったとしても、どこかにぎこちなさとか、久しぶりの緊張感みたいなのがそのまま記録されるんだろうなと思ってたんだ。
ライブで何度か演奏したり、しっかりリハーサルを重ねれば、そういう感覚は自然に消えていくんだけどね。だから「これは結構リスクあるな」って思いつつも、同時に「ギターを持って外に出たい」っていう気持ちが強かったんだ。毎日ギターを見ながら「今日もどこにも行けないね」って語りかけてたから。以前はどこへ行くにも一緒だったのに。本当に不思議な気持ちだったよ。
ニューヨークでのレコーディング
—— 実際のレコーディングではマスクをしてたんですか?
ピーター : うん。ドラマーはブースの中だから外してたけど、僕とサリヴァンは同じ部屋で演奏してたからつけたままだったよ。
ピーター : 当時のニューヨークの雰囲気としては、「これだけ大変な思いをしてきたんだから、せめてマスクくらいはしよう」という感じだった。「政府が自由を奪おうとしてる」なんて言う人もいたけど、ニューヨークは早い段階で感染が広がって、本当にひどい状況だったんだ。みんなかなり打ちのめされてたと思う。だから、マスクをつけるのは自然なことだったし、ちょうどマスクが当たり前の時期だったから、外すのはなんだか違う気がしたんだ。
—— 新しい曲もいくつか書いたんですよね?
ピーター : うん、そうだね。「Empty Streets」とか、あの期間にちょうど何曲か書いてたんだ。家にある小さなウーリッツァーでね。そこから2曲くらい生まれて、あと以前に作ってたけどまだ録音していなかった曲もあって、次のチャンスで録ろうと思ってたんだ。それらがうまく一つにまとまった感じだったね。
正直、「自分の曲をその場で初めて演奏してもらうのは悪いな」とも思ったんだ。譜面は事前に送ったけどリハーサルの時間はゼロだったからね。でも、よくあるジャズ・スタンダード・アルバムにしたら、ただ「演奏しました」で終わってしまう気がした。だから、「よし、自分の曲で行こう」と決めたんだ。「とにかく譜面を持っていって試してみよう。うまくいかなかったら、それはそれでいいさ」って感じだったよ。
『What Comes Next』に込めた希望
—— このアルバムは、ある意味ではとても前向きな作品だと思います。少なくとも私にはそう聴こえました。タイトルが「What Comes Next(次に何が来るのか)」ですし、そういう意味でも希望を感じさせますよね。
ピーター : そう感じてもらえたなら嬉しいな。僕らは本当に、演奏できることが嬉しかったんだ。曲の中には少し物悲しいものもあるけど、全体としてはいろんな雰囲気を持たせたかった。少なくとも前向きな雰囲気の曲は入れたかったんだ。たとえば「Con Alma」はすごくポジティブだし、それからカリプソ調の「Newark News」もね。これはロリンズの曲で、わりと最近の作品なんだ。彼自身は録音していないけど。
ソニー・ロリンズとの繋がり
—— どういった経緯でロリンズの曲を録音することになったのですか?
ピーター : 2010年から2012年にかけて彼のバンドで演奏していて、全部で30本くらいギグをやったんだ。最初は代役として4〜5本くらい参加して、そのあと正式に加入することになった。
あるとき、ドラマーが出演できなくなってしまって、新しいドラマーのオーディションがあったんだ。4人のドラマーが順番に来て、1人あたり40分くらい僕たちと演奏した。かなりプレッシャーがあったと思うよ。
そのときロリンズが、この「Newark News」を持ってきたんだ。カリプソのリズムどう演奏するか試すためにね。それから何度かライブでも演奏したけど、僕はこの曲のメロディが本当に好きでさ。あるときロリンズが手書きの譜面をくれたんだよ。「これが君の譜面だよ」って。
—— うわ、それはすごいですね。
ピーター : それで「もし許可がもらえるなら、この曲を録音してみたいな」って思ってね。彼に手紙を書いて、甥のクリフトン・アンダーソンにも「ソニーに録音していいか聞いてくれない?」とお願いした。そしたら数日後に、「もちろんいいよ」と返事をもらったんだ。
ソニー・ロリンズという“生きる伝説”
—— ソニーと実際に演奏してみてどうでしたか?
ピーター : 本当に信じられない体験だったよ。何度一緒に演奏しても、「うわ、ソニー・ロリンズがいる!」って心の中で叫んでたよ。歴史上の人物を目の前で見ているような感覚で、まさに“生きる伝説”そのものだった。
ステージだけじゃなく、サウンドチェックの時間でさえ特別だった。ソニーが気まぐれにスタンダードを吹き始めて、それに合わせてセッションが始まるんだ。
あと、ボブ・クランショウと一緒に過ごせたのも大きかった。ソニーはリハのあと自分の時間を大切にする人だったから、むしろボブといる時間のほうが長かったかもしれない。
僕がソニーに会ったのは彼が80歳になる前だったけど、すでに股関節に問題を抱えていたんだ。もともとすごくアクティブな人だったのに、思うように動けなくなっていた。でも彼の世代の人たちって、そういうことを口にしないんだよね。我慢強くて、決して弱音を吐かない。そして何より自分に厳しいんだ。どんな演奏の後でも満足している姿は一度も見たことがない。常に理想を追い続けていたんだと思う。
「俺の足を踏むのを恐れるな」
ピーター : ソニーと過ごした時間は、本当に大きな学びの連続だった。相手に敬意や尊敬の念を持つのは当然なんだけど、「一緒に演奏する」となると、遠慮していては成立しない。それだと、自分がその音楽に何を持ち込めるのか、相手に伝わらないんだ。
それを見抜いたかのように、ソニーが言ってくれた。「俺の足を踏むのを恐れず、思いっきり来い」って。「ただコンピングしてるだけじゃなくて、もっと会話をしよう」ってね。
あるとき、フランスのヴィエンヌのフェスティバルで、「Our Very Own」というちょっと珍しいバラードを演奏したんだ。ソニーが1コーラス吹いて、身体の動きで「次はお前の番だ」って合図をくれたんだ。ベースのボブ・クランショウが「ソニーが下がったら、それがお前のソロの合図だ」って教えてくれてたんだけど、ソニーは完全には止まらなかった。でも僕も止まらず、結局2コーラス丸々一緒に弾いたんだ。
そしたら終わったあと、ソニーが「それだよ。それが俺の言ってたことだ」って。つまり、どんなに敬意を持っていても臆せず一緒に混ざれということだった。僕は「あなたは神様みたいな存在で、自分はそんな立場じゃ…」って思っていたけど、ソニーは「ぶつかり合ってこそ会話になる」と教えてくれた。その瞬間、気づいたんだ。本当に偉大な人の前では、恐れずに向かうことこそが、いちばんの敬意なんだって。この経験が僕にとって最大のレッスンだった。
“勇気”と“確信”
ピーター : それ以来、人と演奏するときの気持ちが変わった。「ソニー・ロリンズとやったから怖いものなし」って意味じゃなくて、「誰とでも対等に向き合える」っていうポジティブな感覚になったんだ。
音楽的にわからない状況や、自分の理解を超える演奏に出会っても、「今はまだ理解できない会話なんだな」って受け止められるようになった。
だからソニーとやってからは、本当に誰も怖くなくなった。曲を理解していて、何が起こっているか分かっていて、自分のアイデアがあるなら、あとはやるだけなんだ。自分の選択を疑ったり、「あの人の前だから…」なんて考える必要はない。強い人と一緒に演奏すると、自分の演奏にどれだけ確信を持てているかが試されるんだ。その教訓は、「自分を信じること」。
もしまだ信じきれていなくても、それを表に出しちゃいけない。とにかく、確信を持っているようにプレイする。結局、音楽って「選択」と「その選択を信じる勇気」なんだ。
大胆さの源は、身体だった
ピーター : ソニーはまさに「勇気の人」なんだ。いや、「大胆さ」 と言ったほうが近いかな。多くの曲はシンプルな調性で、たとえば「Newark News」は I–IV–V、せいぜいVIくらいで完結してるような構造なんだけど、ソニーはその中であらゆるキーを自在に吹くんだ。しかもそれが自然なんだよ。
「そんな発想ある?」って思うようなフレーズが次々出てくる。しかも、それがすべてメロディから生まれていて、曲の核とつながっているんだ。彼にとって音楽は「シンプルなものを無限に変奏する遊び」だった。
そして、その“遊び”の根底にあるのが、身体と音楽の一体化。ソニーはリズムを演奏していたんじゃなくて、リズムそのものになっていたんだ。身体が動くたびに音が生まれ、音が鳴るたびに身体が反応する。単に拍の終わりにフレーズを置くとか、機械的に鳴らすとか、そういう理屈じゃない。彼の演奏は、全身で音を感じ取り、動きながら鳴らすことだった。
だから、ソニーの演奏は常に生きている音だった。どんなに身体が痛んでいても、彼のリズムは全身にみなぎっていた。リズムが身体の中に宿り、身体がそのまま楽器になっていたんだ。
大空間で「親密な音楽」を鳴らす挑戦
—— 僕の愛聴盤のひとつが、ソニーロリンズとジムホールが共演した『The Bridge』なんです。
ピーター : 僕もだよ。あれは本当に特別なアルバムだ。
—— ソニーと共演したとき、その『The Bridge』を意識しましたか?
ピーター : もちろん、いつも頭にあったよ。しかもボブ・クランショウも一緒だったからね。「1962年の『The Bridge』を作ったあの二人と、今同じステージにいるのか」って思うと、その重みは相当だったね。でも、演奏のアプローチはまったく違っていた。
僕らのサウンドはもっと大きくて、スケールが違った。大きなステージで繊細な音楽をどう表現するか、常に考えさせられたよ。だって、ほとんどロックコンサートみたいな環境だったからね。
ベースはエレキが中心で、ときどきスティックベースも使っていたけど、全体の音量はものすごかった。ドラムも力強く、さらにコンガのプレイヤーも加わって、音の世界がどんどん広がっていった。まるで音の壁の中で、自分の声をどう響かせるかを探っている感覚だったよ。
—— アンプの音量も上げたのですか?
ピーター : できるだけ抑えようとはしたけど、それでも全体的にはかなり大きな音だった。フランスのヴィエンヌみたいな野外フェスでは、広い空間を満たすサウンドが必要だった。以前、ダイアナ・クラールとも共演したモントレー・フェスティバルなんて、8,000人くらい入るんだ。
ピーター : もちろん小さい会場でもやったよ。たとえばアンティーブ・ジャズ・フェスティバル。観客が何千人も並ぶ場所じゃなくて、もっとカジュアルでリラックスした雰囲気だったんだ。そういう会場では、より親密な空気を感じたね。でも、それでもソニーの音は大きかった。マイクをサックスのベルにぴったりつけてたからね。
ピーター : 『The Bridge』は、「親密さ」があるよね。ジム・ホールのギターもそんなに大きな音じゃなくて、ただ美しくて、繊細なバランスがある。ラルフ・グリーソンのテレビ番組で演奏してる映像では、みんな近い距離で向き合って、耳を傾けあいながら、完璧に溶け合ってる。おそらくベースにもアンプなんて使ってなかったと思う。
つまり、あの時代は「音の作り方」が全然違うんだよね。でもソニーはそれをちゃんと理解してたと思う。今はもっと大きな空間で、何千人もの人に向けて演奏しているっていうことを。だから音楽の中に親密さがあっても、同時に「広く響かせる」という意識も常にあったんだ。
—— なるほど。
ピーター : 僕自身は、ああいうスケール感に完全に慣れたとは言えないけど、ダイアナ・クラールやジョシュア・レッドマンと一緒に大きなホールで演奏して、だいぶ経験を積めたと思う。
でも正直言うと、僕は観客が10人でも1万人でも、やっていることは基本同じなんだ。いつも自分の世界にいて、周りのミュージシャンと音でコミュニケーションを取ることに集中している。もちろん観客の存在は大好きだし、たくさんの人の前で演奏するのも楽しいよ。
—— すごくわかります。
ピーター : でも僕は、ショーマン的な意味でのエンターテイナーではないんだ。サミー・デイヴィス・ジュニアみたいなタイプじゃない(笑)。だから、見せるっていうより聴かせるに近いんだと思う。
でもソニーは本当にすごかった。彼は努力なんて全く見せずに、ただ自然にカリスマ性が溢れてるんだ。しかも、それをちゃんと外に向けて発してた。彼の演奏には内向的な要素なんて一切なくて、
完全に外へ、聴衆へ、世界へ向かっていたんだ。それが本当にすごかった。
「それは君が決めることだ」
ピーター : すごく印象に残ってる出来事があってね。あれはちょうどさっき話した別のドラマーが来てたリハーサルのときだったと思う。「Newark News」をやってたんだけど、どうもグルーヴしなくて、ソニーが明らかに不機嫌だった。
ドラマーたちは頑張ってたけど、ソニーが求めてるものが出てこない。ソニーもいろいろアドバイスしてたけど、なかなかうまくいかなくて。でも、ある瞬間にテンポを変えたのか何かが噛み合って、突然グルーヴし始めたんだ。そのときソニーがピタッと止まって、「そう、それだ! 今の感じだよ! それがグルーヴってもんだ!」って言ったんだ。ドラマーはめちゃくちゃ喜んでたよ。
で、その勢いでソニーを喜ばせようとしたのか、こう聞いたんだ。「ロリンズさん、こういうカリプソの曲では、スネアはオープンにしたほうがいいですか?クローズですか?」って。
ドラマーにとっての技術的な質問で、どう叩けばいいのか、どういうサウンドを出せばいいのか知りたいっていうね。でもそのとき、ソニーが20秒くらい黙り込んだんだ。すごく長い沈黙でさ。ちょうど良い空気になった矢先に静まり返って。僕は「やばい、怒ったかも…」って思ったよ。
で、ようやく口を開いたソニーはこう言ったんだ。「それは君が決めることだ。音楽っていうのは、選択の連続なんだ。君は音楽のためにここにいる。演奏の中で自分の判断をしていくためにいるんだ」って。
僕の意訳になるけど、彼の言いたかったことは、「君はいま、決断を下す側にいる。そしてそれは、何よりも恵まれた立場なんだ」と。
自由を裏切るな:即興に伴う「責任」
ピーター : 彼は続けて「世界中には交響楽団がたくさんあって、何千人もの素晴らしいミュージシャンがいる。彼らは素晴らしい演奏技術を持っているけど、指揮者に従って、譜面に書かれたことを演奏しなきゃいけない。でも僕らは即興してる。自分で何を弾くか決めてるんだ。つまり、それはとても恵まれたことなんだ。自由を持ってるってことなんだよ」って。
でもね、その自由には前提がある。音楽のために演奏しなきゃいけないんだ。もし自由なんだから何をやってもいいと思って、自分の自由だけを優先したら、その自由を裏切ることになる。逆に正しくやらなきゃと思いすぎると、今度はロボットみたいになっちゃう。誰もロボットになることなんて求めてないのにね。
「大事なのは選択することなんだ。音楽の中に深く入り込んでいれば、音楽が何をすべきか教えてくれる。信じることだ。自分の感覚を信じろ。信じた上で、勇気を持って決断しろ」そんなふうに言ってたんだ。そして、「一度決めたらそれを貫け」って。つまりね、スネアを開けるか閉じるかなんていう伝統的なカリプソのルールはどうでもいい。重要なのはフィールなんだ。音楽のためにプレイすること。
その話を聞いて、僕の考え方が完全に変わったんだ。それまでプロとして演奏して、たくさんの人と共演して、レコードも作ってきたけど、即興って「特権」なんだって考えたことは一度もなかった。即興できない人がどれだけ多いかを考えてみると、自分がやってることの意味が全く違って見えてきた。
もちろん、僕にも素晴らしい先生がいたよ。ジム・ホールみたいな人とか、あるいはレコードから学んだ先生たち。彼らはいつも言ってたんだ。「即興はただ弾くことじゃない。ちゃんと意味を持たせろ。物語を作れ」って。
最高のソロには必ず物語がある。構成や語彙、フレーズは他のソロと似ている部分もあるけど、でもそれはひとつの物語として成立している。演奏者は語彙を持っていて、即興しているけど、その中に”瞬間の決断”があるんだ。
だから、ただフレーズを並べるんじゃなくて、即興で「小さな歌」を作るのが大事なんだ。それをソニーが“特権”として語ってくれたのが衝撃だった。「既に書かれた美しい物語を何度も朗読する」のではなく、“いまこの瞬間に物語を作る”ことこそが、僕らに与えられた特権なんだよ。
—— 本当にそうですね。
ピーター : たとえ1日だけのリハーサルだったとしても、1年半の間で他に何も得られなかったとしても、この言葉だけで十分だったと思う。「ああ、そうか。そういうことなんだ」って。
“特権”を与えられて、自分の好きなように演奏できる“自由”を持っているということは、同時にそれが「挑戦」でもあるんだ。つまり、扱う“題材”をちゃんと理解していなきゃいけない。曲を学ぶ。音楽を学ぶ。もっと深く掘り下げる。自分の演奏を“飾り立てる”ことよりも、音楽そのものを知ることに集中するんだ。
—— 内容そのものに、という意味ですね。
ピーター : そう、曲の“中身”を知ること。音楽のために弾く。曲を理解して、その曲の中から弾く。つまり、即興っていうのはすごく重いものなんだ。自由とか力っていうのは、それだけ大きな責任を伴う。まるで「大いなる力には、大いなる責任が伴う」みたいにね。だからこそ、即興する人間は「誰かに聴かれてるから、かっこいいフレーズを弾かなきゃ」なんて思うのではなく、この責任をちゃんと意識しなきゃいけない。
名ソロの秘密「Pantomime」
—— “ソロの物語性”という点で言うと、ジョシュア・レッドマンの『Freedom in the Groove』に入っている「Pantomime」でのソロが素晴らしくて。もちろん即興なんでしょうけど、まるで作曲されたように聴こえます。
—— 間の取り方やインターバルの使い方が本当に絶妙で、弾きすぎないバランスも完璧なんですよね。どうやってそういう感覚を身につけたんですか?
ピーター : うーん、どうだろう。あのとき何を考えていたかまでは覚えていないんだけど、基本的には「曲が自分に何を与えてくれるか」を見ようとしているんだ。
僕にとって即興というのは、「今この瞬間、自分の手元にあるもので最善を尽くすこと」なんだ。たとえば——「しまった、鍵をなくした!」ってときに、「どうやって家に入ろう?」と考える。そこにハシゴがあれば、「よし、これを使おう」ってなる。つまり、“今あるものでどうするか”を考える。それが即興なんだ。
これを音楽に置き換えると、「曲そのものを使う」ってことになる。曲を理解して、そこから何かを見つけ、自分にしかできない演奏をする。ただ、続けていくうちに「この曲ではこう弾く」と決めつけてしまう危険もある。自分の“お決まり”に閉じこもるのは怖いことだ。だから、そうならないように気をつけているよ。
大事なのは、「今、自分が持っているもので、曲全体をどう見るか」なんだ。コード進行を追うだけじゃなくて、メロディやインターバル、曲の感情まで見渡す。だって辞書のどこを探しても、「即興とはスケールやアルペジオをコードに当てはめること」なんて書いてないだろ?
そんな定義を作ったのは、きっとどこかの教育機関の誰かだよ(笑)。でも実際の即興はもっと深いものなんだ。もし曲の中にたったひとつでも遊べる要素があるなら、それを掘り下げてみるといい。そうすれば、自分の弾く音がその曲の中で意味を持つようになる。逆に、ただ定番フレーズを並べても、曲と関係なければそれは“独り言”みたいなもの。説得力なんて生まれない。
だから僕は、どんな曲でも、人のオリジナル曲でも「そこに何があるのか」を見て、それをもとに何かを作り出すようにしているんだ。
ジョシュア・レッドマン・バンドでの“葛藤”と“成長
—— 「パントマイム」を聴いたのは僕がジャズを始めたころで、1997年のことでした。「なんて最高なギタープレイなんだ!」って思ったんです。
ピーター : ありがとう。ロック・バラードみたいな曲だよね?あのレコーディングのとき、実はまだこのギターを持ってなかったんだ。手に入れたのはその翌年、1998年なんだよ。
—— えっ、そうだったんですか?
ピーター : うん。当時はL-5を弾いてたんだ。それまで使ってたES-175よりもずっと大きくて、慣れるのに苦労した。まるでモンスターみたいなギターだったよ。ES-175では何枚かレコードを作ったんだけど、L-5は完全に“上位モデル”って感じだった。サスティンも長いし、鳴りも強い。ネックの角度も深くてテンションが高い。とにかく弾くのが大変だった。
だから、ジョシュと演奏してたときは、もうね、彼らがあんなに滑らかに演奏する中で、自分だけ泥の中でもがいてるような気分だったんだ。「なんでこんなに流れに乗れないんだろう」ってね。
ギター本来の音をつかむまで
ピーター : 今のギターを手に入れてからも、“慣れの壁”はかなり高かった。それまでのどんなギターより倍音が豊かで、初めて「音をどう制御するか」を真剣に考えさせられたんだ。ピアニストが普段は小さなアップライトで練習していて、いざライブで12フィートのスタインウェイを弾くような感じだね(笑)。「うわ、こんなに音が広がるのか!これは手に負えないぞ!」って。
そのとき、自分の奏法の甘さとか不正確さが全部見えた。まるで鏡で顔を見たときに、細かいシワまでくっきり見えるようなものさ。柔らかい照明じゃなくて、現実が全部見えるリアルな照明の下みたいなね。
このギターを手にしてから数年かけて、ようやく「こうやって音を出すんだな」って感覚が少しずつ掴めてきた。今でも修行中だけどね。年を重ねるにつれて分かるのは、テクニックを伸ばすのと同じくらい、自分の限界の中でどう音楽を作るかを学ぶことが大切だってこと。
生徒にもよく言うんだ。「自分の得意なことがあるなら、それを活かしなさい」って。もちろん、それを起点にして少しずつ広げていく努力も大事だけど、無理に全部をやろうとするより、自分にとって気持ちよく弾けることを磨くほうがずっといい。だって、弾いてて気持ちいいものは、聴いても気持ちよく聴こえるからね。でも多くのギタリストは、自分を追い込みすぎるんだ。とにかく速く弾こうとして、まるでチャーリー・パーカーみたいに弾こうとする。そのフレーズが本当に自分の耳に聴こえているならいいけど、そうじゃないなら、ただの模倣でしかない。
結局のところ、今の自分にあるものでどうするかなんだ。たとえ限られた色鉛筆しかなくても、美しい絵は描ける。すべてが揃っていなくてもいい。今ある色で描けばいいんだ。そして、最終的に大切になってくるのが“タッチ”だよ。もちろん、いい楽器を手に入れるのも大切だけど、その楽器のポテンシャルに自分が追いつく努力も必要なんだ。
グルーヴとストレートアヘッドの狭間で
ピーター : ジョシュアのバンドには1995年から97年まで参加してたけど、あの頃の僕は本当に苦労してた(笑)。新しいギターに慣れてなかったし、ツアーに出るのも初めてだった。フェスティバルを1か月にわたって回るようなツアーは、毎晩同じメンバーと同じ曲を演奏して、自分の演奏とも向き合う日々。本当に“深い経験”だった。続けること、一貫性を保つこと、そしてツアー中に音楽を新鮮に保つこと。その大変さと、そこから得られる学びの大きさを痛感したんだ。
—— あのバンドは本当に凄かったですよね。
ピーター : ツアー自体はすごく楽しかったよ。1996年の終わりから翌年の夏前までは、フェスティバルを中心に各地を回った。全部がフェスってわけじゃなくて、規模が小さい会場も多かった。そんなに長い期間じゃなかったけどね。
ヨーロッパやアメリカでのパスツアーも何度かやったよ。朝、バスを降りてホテルにチェックインして休んで、夜のギグが終わったらまたバスに乗ってそのまま寝る。あれは最高だったな。移動時間をムダにしないって意味でもいい方法だったし、いろんな場所を見られて、本当にいい経験だった。
当時はまだ、ありがたみを実感するほどの余裕はなかったけど、それでも楽しかったし、音楽を学ぼう、ついていこうって必死だった。だって、僕が入る前からもう彼らはバンドとして出来上がっていて、すでにヴィレッジ・ヴァンガードでライブ盤も出してたからね。僕は後からそこに加わった立場だったんだ。
ジョシュはギターを入れることで、サウンドをより現代的にしたかったんだと思う。いわゆるジャズ・クインテットっぽさを減らしたかったんじゃないかな。
—— もっとグルーヴィーにした感じですよね。
ピーター : そうそう。ジョシュはその方向を意識して曲を書いてたと思う。でも、たぶん僕は彼が望んでたことを完全にはできてなかったんじゃないかな。というのも、バンドの中で僕がいちばんストレートアヘッド寄りだったんだ。僕はただ、グルーヴのある曲やブルースを弾いたりしただけだったから、そこに“新しい何か”を吹き込めていたかというと、自信はないんだ。
—— なるほど。
ピーター : まあ間違ってるかもしれないけどね。ジョシュから「がっかりした」なんて言われたことは一度もない。でも今になって振り返ると、彼がどんな音を求めてたのか、なんとなく分かる気がするんだ。たぶんジョシュはジャズ・クインテット的な響きから抜け出したかったんだと思う。もしそれを求めていたら、トランペットを入れればよかったわけで。そうじゃなくて、ギターを入れることで音楽をもっと現代的で、グルーヴのある方向に持っていきたかったんじゃないかな。でも僕は、ストレートアヘッドなプレイをしようとしてたんだよね。
—— そうだったとしても、僕にとってあのレコードは最高の1枚です。
ピーター : あれはジョシュの作曲が、あのアルバムのサウンドそのものを作ってるんだ。
—— でも、あなたの演奏も素晴らしいです。まさに“曲のために弾いている”という感じなんです。だから僕の耳には、あなたの存在があのアルバムにものすごく大きく貢献しているように聴こえるんです。
ピーター : ありがとう。
アルバム『Signs of Life』とその再結成の裏側
—— ブラッド・メルドー、クリスチャン・マクブライド、グレゴリー・ハッチンソンと一緒にやったカルテット『Signs of Life』は、どういうきっかけで始まったんですか?
ピーター : あれはね、僕の最初のギターのES-175を使ってた頃の録音なんだけど、
—— そのギターは今も持ってるんですか?
ピーター : うん、あのギターは今も持ってるよ。L-5はもう手放したけどね。当時はブラッドとよく演奏していて、ジミー・コブとも一緒にやってたんだ。いろんなグループやリズムセクションで演奏したけど、僕の最初のレコード『Somethin’s Burnin’』はブラッド、ジョン・ウェバー、そしてジミー・コブと一緒だったんだ。それでカルテットのサウンドが気に入って、新しい曲もいくつかあったし、「じゃあ次のアルバムでやってみよう」と思ったんだ。
あるとき、マクブライドとハッチンソンが一緒に演奏してるのを聴いて、「なんてすごいリズムセクションだ!」って思ってね。グレッグとは以前からの知り合いで、クリスチャンとも少し面識があったから、「このメンバーでやってみよう」と思ったんだ。
実はあのカルテットはもともと活動してたバンドじゃないんだよ。リハーサルを1回やって、その翌日に録音したんだ。ライブは一度もやってない。
—— えっ、本当に?
ピーター : うん、一度も。
『Signs Live!』誕生の舞台裏
—— 再結成したSigns Live!のときはどうだったんですか?
ピーター : あのときはDizzy’s Clubで3日間だけやったんだ。その最後の2日間を録音した。もともと「アルバムにしよう」と思って録音したわけじゃなくて、最後の夜の演奏を聴いて「これを出そう」って話になっただけなんだよ。
—— このアルバム、1曲目の“Blues for Bulgarian”からすごくて。17分もあって、まさにライブの勢いを感じました。
ピーター : 実は、「これはアルバムにはしないほうがいい」って思ってたんだよ。でもレーベル側が「いや、このままで出そう。あの夜の演奏をそのまま収録したい」って言ってきてね。最初は「3枚組にしよう」なんて話まで出てたけど、「それは無理だろ!3枚組なんて狂ってるよ」って(笑)。結局2枚組になって、ほとんど両セットをまるごと収録することになったんだ。
—— そうだったんですね。
ピーター : 録音を聴き直したりもしなかったよ。2日目の夜を使うって言うから、「まぁ、あの夜のほうが良かった気がするし、それでいいか」ってね。ただ、曲の長さには驚いた。みんな思いっきり伸ばしてたから。録音してるのは分かってたけど、Dizzy’sはいつもライブを録音してるから、とくに意識してなかったんだ。「曲は長いけど、それがその夜の演奏だったんだよ」って言われて、「まあ、いい話ではあるよな。20年ぶりにまた集まれたんだし」って思ったよ。
—— 実際すごくいい作品ですよ。演奏も素晴らしいです。
ピーター : ありがとう。ただ、正直に言うと録音のサウンド自体はあんまり好きじゃない。ギターの音なんてひどいと思う(笑)。でもDizzy’sであのメンバーと演奏できたこと自体が最高だったし、本当に嬉しかったんだ。
だから、僕はむしろスタジオに入って、新しい曲を録ったほうがいいんじゃないかと思ってた。でもレーベル側が「すごくいい演奏だからこれを出そう」って言ってね。「メンバーも満足してるし、2枚組で出せるよ」って。だから僕は「まあ、いいか」って(笑)。
たしか、ジェラルド・クレイトンとビル・スチュワートとやった別のセッション(Let Loose)よりも前に録ったんだ。このときの曲のいくつかは、そっちでも演奏してる。だから『Signs of Life』再結成の録音が先で、ジェラルドのセッションのほうが後なんだよ。結局、ジェラルドとのやつも”Let Loose”というタイトルでリリースすることになったんだけどね。
ピーター : 話をSigns Liveに戻すけど、あの2人は本当にすごいよ。マクブライドは自然現象みたいな存在だし、グレッグは驚異的なドラマーだし。20年があっという間に過ぎちゃって、また一緒に演奏できたのは本当にうれしかったよ。
—— 見ていても楽しそうでした。
ピーター : あの3日間はほんとに楽しかった。まさにライブって感じだったよ。
ソロ演奏への挑戦と発見
—— ソロ・ギター・アルバム「Live at Smalls」は、まったく別の作品というか、まるで違う生き物のようですね。
ピーター : 実は、これも録音するつもりじゃなかったんだ(笑)。
—— そうなんですか?このアルバムは、あなたのソロ演奏の魅力がすごくよく出ています。僕も去年、ロックダウン前にソロ・ギターのコンサートをやったんですが、最初は本当に怖かったんです。今でもまだ怖いくらいで……。あなたはどうやってソロ演奏に向き合っているんですか?
ピーター : 僕も最初はとても怖かったよ。今でも怖い。もともと録音する気なんてなかったからね。ソロをやり始めたのは、Smallsで18時から19時半のセットにソロ・ピアノをやっているのを見たのがきっかけだったんだ。オーナーのスパイクに「なんでソロ・ギターはやらないの?」って聞いたら彼が「誰もやりたがらないからね。やりたいの?」って言うんだ。それで僕が冗談半分で「まあ、やってもいいけど」って言ったら「じゃあやってみてよ」って返されて。そんな流れで、本当にやることになっちゃったんだ。
実を言うと、僕がいちばん怖かったのは「ひとりでイントロを弾く」ことだった。誰かに「ギターでイントロつけて」って言われるだけで、もう心臓がバクバクした。「ひとりでどうすればいいんだ?」って(笑)。だから、これはもう正面から向き合うしかないと思ったんだ。「もし1セット、いや2セット弾ききれたら、もうイントロくらい怖くないだろう」って思ってね。
当時は自分でアレンジした曲があって、「Blood Count」なんかはメロディだけソロ・アレンジを作っていたんだ。それで、いくつか小さなアレンジを作って、それを出発点に演奏してみようと思った。というのも、僕は一度にたくさんのことを覚えておくのが苦手でね。曲の最初は覚えていても、2コーラス目に入ると「さて、次どうしよう?」ってなる。だから、短いアレンジを足がかりにして、そこから少しずつ広げていくようにしたんだ。単にアレンジを弾くだけじゃなくてね。
練習していくうちに、「ソロならもっといろいろできるじゃないか」と思うようになったんだ。他の楽器を気にせず、いろんな代理コードを試せるし、誰ともぶつからない。だから、伴奏しながらソロを弾く感覚を模索していた。音がふわっと宙に浮いてしまわないように、どう支え、どう全体を満たすかを考えながらね。
僕にはフィンガースタイルの技術はないし、全部ピックで弾いているから、ジョー・パスのようなスタイルはできない。だから、自分にできる形で、とにかくやってみようと思ったんだ。
偉大なオルガン奏者たちとの経験
—— モンクの曲も最高ですけど、「Giant Steps」も本当に素晴らしいですよね。
ピーター : 「Giant Steps」はよくドクター・ロニー・スミスと演奏してたよ。彼はあの曲をまるで“溶かすように”すごく抽象的な形にしていくんだ。で、たまに僕をステージに置き去りにする。テンポを止めちゃうんだ。だから僕は「ロニーに置いていかれたとき、どうすればいいんだ?」っていう練習をしたことがある。
ピーター : それで気づいたんだ。「自分でもテンポを止めたり動かしたりできるようにならなきゃ」って。ソロ演奏を学ぶことは、つまりルバートの使い方を学ぶことでもあった。ルバートからテンポのある演奏にどうやって戻るか、その流れをどうコントロールするか。自分が本気で信じて演奏すれば、聴いている人にもそれが本物として伝わるんじゃないかと思ってね。だから、どうやって前に進む感覚を保つかを常に考えてる。
—— なるほど。
ピーター : だって、ドラムいないからね(笑)。リズムを合わせる相手は“自分”しかいない。ルバートって本当に奥が深いんだ。テンポを止めてゆっくり弾くことじゃなくて、音楽の流れをコントロールすることなんだ。
偉大なシンガーや伴奏者を聴くと、必ずしも一定のテンポで演奏しているわけじゃない。でもそれが本当に美しいんだ。その瞬間の音楽に合わせて、ハーモニーがメロディを導いたり、メロディがハーモニーを導いたりする。まるでテニスのラリーみたいに、音が行き来するんだ。その“キャッチボール”のようなやり取りを作ることが大事なんだ。
—— まさにそれがあなたの演奏から伝わってきます。単音を弾いているときでもスウィングしていて、まるでドラムが聴こえるようなんです。
ピーター : ありがとう。でも、やってみると分かるけど、簡単じゃないんだ(笑)。だから今でもその感覚は練習してる。最近は時間があるから、前よりもっと掘り下げているよ。
スモールズでの苦い経験と成長
—— 「ソロギター」って聞くだけで身構えてしまうんですが。
ピーター : わかるよ(笑)。僕もそう。毎回ソロで弾くたびに、必ず途中で「うわ、やらなきゃよかったな」って思う瞬間があるんだ。
—— 本当に?(笑)。
ピーター : 「ベースプレイヤーを呼べばよかった」とかね(笑)。最初にSmallsでソロを始めた頃、1セット60分って決めていたから、時々店の壁にかかってる時計を見てたんだ。で、数曲弾いたあと、「これはもう限界かも」と思って時計を見ると、まだ6分しか経ってない。「うそだろ…あと54分もあるのか!? 何やればいいんだ!?」って(笑)。
でも不思議と、いつも2セット目の方がうまくいくんだ。落ち着いて、「もうどうにでもなれ」って吹っ切れるんだよ。そうすると自由に弾けるようになる。演奏の中で4小節くらい、「今のはよかった」って思う瞬間があるんだ。「4小節できるなら、1曲まるごとできるはずだろ?1曲いい演奏ができるなら、1セット全部だっていい演奏ができるはずだろ?」って思うようになっていった。
結局のところ、すべては集中力なんだ。その瞬間、自分が何をすべきかに集中して、「ひとりでステージに立っている」ことを怖がらずに、音楽のために演奏する。それが一番大切なんだよ。
—— なるほど。
伝統と継承──巨匠たちとの出会い
—— では最後に、あなたが共演した人たちについてお聞きします。まずリー・コニッツと共演したアルバム『Parallels』について。「How Deep Is the Ocean」でのコンピングが本当に素晴らしくて…。
ピーター : 彼とは、僕が高校生のときに出会ったんだ。僕が育ったアパートに彼が住んでてね。たしか中学から高校に上がる頃だったかな。ある日、同じアパートの知り合いの女性が「あなたジャズにハマってるのね?じゃあリー・コニッツを知ってる?8階に住んでるのよ」って。僕は「もちろん知ってます!本で読んだことあります!」って答えたけど、まさか同じ建物に住んでいるなんて思ってもみなかった。
それで、ある日エレベーターで偶然会ったんだ。僕は12階に住んでいたんだけど、そのときはリンカーン・センターの図書館で借りていたレコードを返しに行くところだった。何枚か抱えていた中の1枚が、リー・コニッツのレコードでね。8階で乗ってきたのが彼だった。すると僕の持っていたレコードを見て「おい、それ、俺のレコードだ」って言ったんだ(笑)。
それが最初の出会いだった。僕は「こんにちは、ミスター・コニッツ。僕、ピーターです。この建物に住んでて、知り合いの女性からあなたのことを聞いて、いつかお会いしたいと思ってました!」って。もう、めちゃくちゃ緊張してたよ。
それから、彼がアッティラ・ゾラーの友人だと知って、僕は別のきっかけでゾラーに習うようになったんだけど、その縁でリーとも自然に仲良くなった。彼は僕にとって、人生で初めて間近で出会った有名なジャズミュージシャンだったんだ。だから特別な存在なんだよ。
—— そうだったんですね。
ピーター : 彼はいつも優しくて、演奏のたびに僕をステージに上げてくれた。レッスンを1回受けたあと、「今度は一緒に何曲かやろうよ」って言ってくれてね。音で会話をするのが好きな人だったんだ。サイドでコンピングしてくれる人がいるのを楽しんでたんだと思う。一緒にテーマをユニゾンで弾いたりもしたし、本当に気さくで、ジャムするのが大好きな人だったよ。
『Parallels』録音秘話とマーク・ターナーとの共演
ピーター : 90年代の初めごろは、いくつかのギグに呼んでもらってね。そのあと、チェスキー・レコードの録音の話がきたんだけど、あれはちょっと変わったセッションだった。
—— それが「Parallels」ですね。
ピーター : そう。彼らは1本のマイクを中央に立てて、全員がその周りを囲んで録るんだ。完全にオーディオマニアの世界って感じで(笑)。でもすごく楽しかった。録音場所が教会で、独特な響きのする空間だったけど、それがまたよかったね。マーク・ターナーも一緒で、本当にいい経験だったよ。
その後もリーにはたびたび会っていて、いつもあの独特の温かい雰囲気があった。
ルー・ドナルドソンとリー・コニッツ
ピーター : 22、23歳の頃、ルー・ドナルドソンのバンドで弾き始めたんだけど、ルーとリーって同じ世代なのにまるで正反対の存在なんだ。ふたりともチャーリー・パーカー以降の世代だけど、音楽の方向性がまったく違ってね。リーはよく僕に、「お前、ルー・ドナルドソンとやってるのか。ああいう感じの音楽をやるのか」って、ちょっとからかうように言ってきたりして(笑)。
ピーター : 僕はオルガン・カルテット系の演奏もしていたから、リーのリニアで前衛的な音楽とは少し違ってたんだ。だからリーとやるときは、彼が求めてたようなもっと遠くへ行く感じにはまだ届いてなかったと思う。でも、リーやマーク・ターナーのためにコンピングするのは本当に楽しかった。ただ、あの頃はまだ、コンピングを理解できてなかった時期でもあったんだ。
—— いやいや(笑)。
ピーター : ほんとに(笑)。今はだいぶマシになったけどね。でも楽しかったし、あの人たちと一緒に演奏できたのは最高だった。
4〜5年前にリーから電話があってね。「昔のCDをいろいろ聴き返してたら、お前とマークとやったやつを見つけたんだ。あれ、すごく良かったよ」って言ってくれたんだ。「発売当時は聴いてなかったけど、今聴いたらいいね」って。僕も自分の作品は出したあとあまり聴かないから、その気持ちよくわかる(笑)。
でも、そんなふうに言ってもらえて本当にうれしかったよ。「当時は気づかなかったけど、お前いい演奏してたな」って言われてね。心から幸せだったよ。
—— いい話ですね。
ピーター : うん。リーは本当に唯一無二の人格者だったよ。
ウェスからグラント・グリーンへ
—— あなたはこれまで、本当に多くの偉大なミュージシャンと共演してきましたよね。
ピーター : そうだね。本当に運が良かったと思うよ。
—— 例えば、ウェスと共演したオルガン奏者のメルヴィン・ラインとか。
ピーター : うん。僕はずっと、憧れの人たちと直接じゃないけど一歩手前の距離で繋がってきたんだ。メルヴィンからはウェスの話をたくさん聞いたし、ルー・ドナルドソンからはグラント・グリーンの話をたくさん聞いた。そうやって、ヒーローたちと間接的に繋がれる機会をもらえたのは、本当に幸運だった。
—— 素晴らしいですね。
ピーター : メルヴィンもドクター・ロニー・スミスも、本当に多くのことを教えてくれた。ルーやロニーと一緒に演奏できたのは最高の経験だったし、ロニーとトリオでもレコーディングできたんだ。
ピーター : ルーのバンドでロニーが弾くときは、彼は完全にルーの音楽の中で自分の色を出してた。ルー自身もすごく強いキャラクターだから、僕ら全員が彼を支える形だったんだ。でもロニーがリーダーのときは、音楽がまったく違う方向に広がっていった。
—— もっと自由な感じなんですね。
ピーター : うん。ロニーは本当にクレイジーなことをいろいろやってた。あれは本当に貴重な経験だったよ。ちょうど僕もどうやって一緒に演奏すればいいのか、少しずつわかってきた頃でね。
でも彼はもっとファンク寄りに進もうとしていた。ある日、彼の家に呼ばれて「おい、ペダル持ってるか?」って言うんだ。彼は“ちょっと変わった音”とか、もっとディープなファンクのサウンドを出したかったみたいなんだ。
僕が持っていたのは緑色のエフェクターと、あとはワウペダルくらいでね。それを彼の家に持っていって、いくつか試してみたんだ。面白かったんだけど、「きっと彼はもっとファンク寄りで、ペダルを自在に使える人を探してるんだろうな」と感じた。僕はまだ、自分の音を作ってる途中だったし、ペダルをギターに繋ぐと、音の出方やフレージングに何かしら影響が出るような気がしてたんだ。
だから、そういう音を前提にしたフレージングには馴染めていなかったそれで、「まあ、いつかやろう」って感じで、ずっと後回しにしてたんだ。自分の音楽の中でそういうサウンドをちゃんと活かせるようになったら、また挑戦しようってね。
ペダルを使わない理由──“楽器そのもの”への敬意
ピーター : 今も僕はペダルを使っていないけど、「ペダル使うな」なんて言うつもりは全然ないよ。ギターとアンプっていうのは、まだまだ発展の余地があるし、止まるべきじゃない。ただ、「ペダルを使わないギタリスト」が特定の見られ方をするのは、ちょっと不思議だなと思うんだ。
だって、ピアニストに向かって「ピアノ上手いね。でもなんでシンセサイザー使わないの?」なんて言わないでしょ?ピアノトリオで演奏していても「ローズはどこ?」「シンセは?」なんて言われない。ピアノという楽器そのものが尊敬されているからだよね。
でもギターは違うんだ。「ペダルー使わないの?」「ただのギター?」って言われる。まるで、僕が中世の音楽でも弾いてるみたいに思われるんだよ。でも僕は、この楽器そのもので音楽を作りたいだけなんだ。ペダルを使うかどうかじゃなくて、何を弾くか。その内容こそが古いか新しいかを決めると思ってる。ギターって、どうしても機材文化と切っても切り離せない楽器だから、そこが難しいところだね。
―― たしかに。
ピーター : ペダルって、「足でも音を操れるようにしよう」っていう発想から始まったものなんだ。つまり、音をコントロールする手段がひとつ増えただけなんだよ。そういう意味では、ピアニストって本当にすごいと思うよ。彼らはその場にあるピアノで勝負するしかないし、もし調律が悪くても、スイッチひとつで音を変えることなんてできない。すべてを受け入れて弾くしかないんだ。
その点、ギタリストにはアンプがある。ベースやトレブル、リバーブをいじりながら「どうやったら理想の音になるか」っていつまでも調整できる。でもピアニストはそれができない。だからこそ、音楽そのものから出る力っていうのをすごく尊敬してるんだ。
とはいえ、やっぱりちょっとダブルスタンダードを感じるよね。アコースティックピアノを弾けば「かっこいい」って言われるのに、ギターをペダルなしで弾くと「なんでペダル使わないの?」って聞かれる。僕はいつも「いや、理由なんてないよ。他の人たちはペダルをうまく使ってるし、それも素晴らしいと思う」って答えてる。
Samo SalamonのYouTubeチャンネル
今回のインタビュー動画を公開しているのは、スロベニア出身のギタリスト、Samo Salamon(サモ・サラモン)さんのYouTubeチャンネルです。
ジャズギタリストへの深いリスペクトと鋭い洞察にあふれた内容で、見ごたえのあるインタビューばかり。
ぜひチャンネルでチェックしてみてください。

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