ラーゲ・ルンドが語る作曲、コンピング、そして『Terrible Animals』誕生の裏側
ノルウェー出身のジャズ・ギタリスト、ラーゲ・ルンド。
バークリー音楽大学を経てニューヨークの最前線で活躍し、近年発表した『Terrible Animals』や『Most Peculiar』は現代ジャズ・ギターの傑作として高く評価されています。
本記事は、2024年10月に公開された貴重なインタビュー動画の日本語訳です。
作曲プロセスやコンピング哲学、メリッサ・アルダナとの共同制作、そして自宅スタジオでのマニアックなオーバーダブの実験まで。
第一線で活躍するミュージシャン同士ならではの、ギタリスト必読のディープな内容が語られています。
(本記事はDR JazzのSamo Salamon氏から許諾を得て日本語に翻訳・編集したものです。)
新プロジェクト
Samo: これまであなたのレコードをたくさん聴いてきました。そこでまず、あなたのリーダー・プロジェクトについてお聞きしたいのですが、新しい曲を書いたり、何か準備しているものはありますか?
Lage: そうだな、曲作りに関してはいつも突発的というか、波があるんだ。次々とアイデアが湧き出てくる時期もあれば、しばらく何も出ない時期もある。そもそもたくさん曲を書く方じゃないから、「今日は腰を据えて書くぞ」みたいに時間を確保することはなくてね。ただ何かが頭にポンと浮かんでくるのを待つ感じなんだ。
リーダーとしては、もうすぐ新しいレコードが出る予定だよ。マット・ブリューワー(b)、タイショーン・ソーリー(ds)、マーク・ターナー(ts)と組んだ共同プロジェクトで、ブルックリンにある「Ornithology」というジャズクラブで2日間演奏したのを収録したんだ。
プロデューサーのジミー・カッツのレーベル『Giant Step Arts』からリリースされる予定だよ。さらに同じメンバーで年内にもう一度、別のライブ・レコーディングをやる予定もある。レコーディングの面では、今のところそんな感じかな。
タイショーン・ソーリーとの出会い
Samo: あなたとタイショーン、それにマットの組み合わせは、これまでとは違う新しいリズムセクションの形ですよね。タイショーンとはどうやって知り合ったんですか?
Lage: タイショーンと初めて演奏したのはずいぶん前で、2007年か2008年頃だったと思う。SmallsかFat Catのどちらかでやった、マーカス・ストリックランド(ts)のギグだった。もともとはマイク・モレノのバンドの予定だったんだけど、彼が都合がつかなくなって、マーカスがギグを丸ごと引き継いだんだ。それでモレノのバンド編成をそのまま残しつつ、そこに僕を加えた。それがタイショーンとの初共演だったよ。
彼はおそらく覚えてないだろうけど、と言いたいところだけど……彼は何でも記憶しているから、きっとこのことも覚えているだろうね(笑)。
それから数年間は一緒に演奏する機会がなかったんだけど、コペンハーゲン郊外のワークショップで、タイショーンと久しぶりに再会してね。その時、ラリー・グレナディア(b)も一緒で、あの二人と演奏したのはそれが初めてだった。
それから少しして、マット・ブリューワーとよく演奏するようになって、ピアノは主にサリヴァン・フォートナー、そこにタイショーンが加わって……それが『Terrible Animals』や『Most Peculiar』のリズムセクションになっていった感じだね。ツアーでは他のメンバーとやることも多かったけど、ニューヨークでリーダーとして演奏するときは、この組み合わせが一番しっくりきていたんだ。
タイショーンと演奏していて何が楽しいかって、彼が次に何をするか、音楽がどこへ向かうのか全く予想がつかないところなんだ。不安というより、常に緊張感のあるスリリングな感じ。それに、タイショーンとサリヴァン、サリヴァンとマットという、全く違う個性がうまく機能しているところもすごく気に入っている。
実は『Terrible Animals』は、本当ならその数年前に録音されているはずだったんだ。別のレーベルと話が進んでいたんだけど、結局それが流れてしまって。全員のスケジュールを合わせるのに2〜3年くらいかかったのに、それでも結局合わなくてね。
ようやくタイショーンとサリヴァンの都合がつく日を見つけたと思ったら、今度はマットが無理だった。「じゃあ、代わりのベースはどうする?」ってなったんだけど、実はずっと頭の片隅で、タイショーンとラリー・グレナディアの組み合わせでまた演奏できたら面白いだろうなと思っていたんだよ。ラリー自身もタイショーンともっと一緒にやりたがっていると知っていたからね。それでラリーが参加することになったんだ。
Samo: そういえば、私も初めてタイショーンと演奏した時のことは覚えています。2003年にヨーロッパに呼んだんですが、セットリストは12曲で、中には7ページにも及ぶ変拍子だらけの曲もあったんです。でも、2回目のギグの時に「もう譜面は要らないよ」って言うんです。僕は「おいおい、マジか?」って言ったんですが、彼は「大丈夫、心配ない」って。それで、見事に全曲完璧に叩き切っちゃって。「一体どうなっているんだ。どうやったらこんなことができるんだ」って思いましたね。本当、クレイジーでした(笑)。
Lage: 本当にどうかしてるよね(笑)。
作曲のプロセス
Samo: 『Most Peculiar』を改めて聴き直したんですが、「Circus Island」や「Warsaw」をはじめ、どの曲も本当に美しいですね。普段、曲作りはどのように始めるんですか?先ほど「アイデアが浮かんできたときに書く」と言っていましたが、ギターでインターバルを探ったりするんですか?それとも別のプロセスがあるんでしょうか?
Lage: 時と場合によるかな。ギターを練習している最中に浮かぶこともあるけど、家の掃除をしていたり、車やバスに乗っているときにひらめくことも多いんだ。頭の中で何かが聴こえてくる感じでね。ベースラインみたいなものだったり、メロディのアイデアだったり、あるいはハーモニーの動きだったり。
大事にしているのは、アイデアが浮かんだら、とにかくできるだけ早く展開させてみること。僕の経験上、「今はちょっと都合が悪いから、明日また来てくれないか」なんて言ってしまうと、もうそのアイデアは完全に死んでしまうんだ。その瞬間の鮮度がないとダメなんだよね。
だから、まずは何かしらの形でなるべく早く記録するようにしている。最初はスマホのボイスメモにハミングしたり、ベースラインやグルーヴを歌って吹き込んだりしてね。そういうメモが山ほどあるよ。その後、ギターかピアノを使ってそれを展開させていく。その段階では良し悪しの評価を下さずに、「頭で鳴っているのがこれなら、とにかく書き出してみよう」という感じで、どんどんアウトプットしていくんだ。
というのも、4小節や6小節だけの断片で終わらせたくないからね。昔はそういう未完成の断片をよく放置していたんだけど、そうするとその6小節が、家の中に住み着く幽霊みたいになっちゃうんだ。新しい曲を書き始めるたびに、「やあ、僕のこと覚えてる? どこかにねじ込んでくれない?」って現れる(笑)。
だから今は、1ページでも2ページでも、とにかく「一曲」と呼べる形にまで持っていくようにしている。サクッと演奏を録音するだけの場合もあるし、家にいて時間があれば本格的なデモ音源を作ることもある。とにかく目標は、アイデアが浮かんだら、その日のうちに『よし、これが曲だ』『これが譜面だ』と言える状態にすること。
そして、そこから数日寝かせる。その後で聴き直してみると、どこを取捨選択すべきかがすごくはっきりと分かるんだ。「この部分は必要ないな」とか「ここは良いアイデアだけど埋もれちゃってるな」とかね。曲の良し悪しを判断するのもその段階で、そこで初めて「1拍足すべきか、引くべきか」「メロディが動きすぎていないか」といった、骨の折れる細かい取捨選択をしていくんだよ。
Samo: バンドに曲を渡した後で、修正を加えることはありますか?
Lage: 大抵は、バンドに渡す時点で完成しているけど、まだ仕上がっていなくても、「とりあえずサウンドチェックで試してみよう、どうなるか見てみよう」ということもあるよ。
というのも、「ああ、これはイマイチかな」と思っている曲でも、とりあえずやってみたら誰かが面白いアプローチをしてくれて、「おっ、待てよ。これは化けるかもしれないぞ」と気づくこともある。もちろん逆もあって、「よし、これは絶対みんな気に入るぞ!」って自信満々で持っていって通して弾いてみたら、「ああ……いや、ダメだこれ」ってなることもね(笑)。
過去に何度もこういう経験をしているから、細かい修正を加えることはもちろんあるよ。でも基本的には、譜面に書き起こす前に音の取捨選択を済ませているんだ。できるだけシンプルにするためにね。音楽自体がプレイヤーの邪魔にならないようにしたいから。
それに、徹底的にシンプルにすることで、「僕は今、良い『曲』を書いたのか? それとも、ダメな曲をカッコよく『アレンジ』しただけなのか?」ってことに気づけるんだ。分かるかな? いろんなボイシングなんかを全部削ぎ落として、シンプルなコードとメロディだけにしたとき、そこに魅力が何も残っていなければ意味がない。
だから、僕の譜面はなるべくフレンドリーで読みやすくしているよ。ただ、フレーズの長さとか曲の構成のせいで、見た目以上に複雑な譜面が多いとは思うけどね。
Samo: あなたの曲を聴いていると「今、何が起きてるんだ?」「これ、何小節あるんだ?」ってなることがよくあります(笑)。
Lage: 僕もそう思うことがあるよ(笑)。
Samo: 特にタイショーンたちと演奏していると、より一層そうなりますよね。拍の頭がどこにあるのか全く分からなくなる瞬間があったり。でも、彼らが音楽を自由にしてくれるからこそ、次に何が起こるかわからない面白さがあるんですよね。
メリッサ・アルダナとの共演
Samo: ラーゲさんはサックス奏者との共演が多いですよね。最近だとメリッサ・アルダナ、昔だとジャリール・ショウから始まり、ジミー・グリーン、シーマス・ブレイク、ダヴィッド・サンチェスなど。あなたのギターはサックスとすごく相性が良くて、サイドマンとしてのあなたの演奏も本当に素晴らしいです。
メリッサとの出会いはどんな経緯だったのでしょうか?
Lage: メリッサとはニューヨークで出会ったんだ。彼女は僕より10歳くらい年下でね。初めて聴いたのは彼女が飛び入りで参加したスモールズのジャム・セッションだった。スモールズって、ギグを終えたミュージシャンたちがフラッと立ち寄って、バーの端っこでたむろしているような場所でね。近況報告なんかをしてワイワイやっていることが多いんだけど、彼女が吹き始めた瞬間、みんなピタッと黙ったんだ。「おい、何が起きてるんだ?」って感じでね。その場にはビル・マッケンリーもいたし、たしかオーランド・ル・フレミングもいたと思うんだけど、みんな口を閉じて聴き入っていた。
それくらい、彼女のプレイには強烈な存在感があったんだ。もちろん色々な影響は聴き取れたけど、当時からすでに凄まじい説得力があった。それが彼女を初めて知ったきっかけだね。
その後、彼女から声がかかるようになって、デュオでの演奏から始まって、パンデミックの1〜2年前くらいには彼女のカルテットでも演奏するようになった。
そしてパンデミックが始まる少し前に、彼女から「次のレコードをプロデュースしてほしい」と打診されたんだ。彼女は僕の『Terrible Animals』をすごく気に入ってくれていて、あのアルバムで僕がやったポストプロダクションの要素を自分の作品にも取り入れたいと。それが、彼女のブルーノートからのデビュー作『12 Stars』になったんだよ。
パンデミックの最中、彼女はこのアルバムに向けた音楽を作り始めていて、僕らはいくつかの曲を共作するようになった。僕が素材をアレンジして送り返したり、お互いにメールでデータをやり取りしたりしてね。ほかにやることもなかったから(笑)。すごく特殊な状況だったけど、パンデミック中に具体的で明確な目標があったことは幸運だったよ。
そんなやり方で、今までに彼女と2枚のレコードを作った。いくつか曲を共作して、僕がプロデュースとポストプロダクションを担当するという形でね。
あのバンドのメンバーは全員、僕自身がリーダー作でも呼びたいと思うような大好きなプレイヤーばかりだし、バンドで演奏しているレパートリーもすごく気に入っているんだ。そこに自分の曲や共作という形で貢献できるチャンスがあるなんて、本当に恵まれた状況だったと思っているよ。
コンピングについて
Samo: コンピングについても聞かせてください。あなたのコンピングを聴いていると、どこかジム・ホールを彷彿とさせる瞬間があるんです。
Lage: コンピングのルーツは、ある意味「切羽詰まった状況」や「必要性」から生まれたものだと思う。やらざるを得ない状況だったから、たくさん弾くようになったんだ。
僕が最初に得た本格的なギグは、ボストンのバークリー音楽大学にいた頃、週末に『ウォーリーズ・カフェ』というクラブで弾くことだった。ギターが必要とされた最大の理由は、店のピアノの状態がひどかったか、そもそも置いてなかったからだと思うけど、先にそこで演奏していたジャリール・ショウの紹介で、僕が弾くことになったんだ。
当時のギグは、21時から深夜1時半まで。その間20分の休憩が1回あるだけ。一晩に4,000曲くらい演奏するような感覚だよ(笑)。だから、いろんな形で失敗するチャンスが山ほどあった。
今思えば、ああいう状況に放り込まれたのは本当に幸運だったよ。自分から進んで選ぶような状況じゃないし、練習室で再現できるようなものでもないからね。「アルトのソロがあって、テナーのソロがあって、たぶんトランペットのソロもあるな。シダー・ウォルトンのこの曲で9分間……ただ伴奏をこなすだけじゃなく、僕に何ができるだろう?」と常に考えなきゃいけなかったから。
それが現場での経験だけど、影響という意味では、やっぱりジム・ホールのコンピングが大好きなんだ。ポール・デスモンドとのレコードや、ソニー・ロリンズ、ビル・エヴァンスとのデュオ……あれこそ最高だよ。時にたっぷりと間を取ったり、ごく少ない音数でハーモニーの全体像や特定の色彩を提示したりするアプローチが好きでね。
それに、セロニアス・モンクからもたくさん吸収した。でもギタリストにとって、ピアニストみたいな演奏をするのは簡単じゃない。パスクァーレ・グラッソみたいなプレイヤーなら別だけどね(笑)。
ギターのボイシングをそのままリズムセクションの中で弾くと、どうしても重くなってしまう。だから、ジム・ホールのコンピングを聴いた時は目からウロコだったんだ。
あと、自分のスタイルを決定づけたレコードがいくつかあるんだけど、そのうちの2枚は、パット・メセニーがサイドマンとして参加したアルバムだった。
一つはジョシュア・レッドマンの『Wish』。あのコンピングと、バンドのサウンドは本当に美しい。ジム・ホールとポール・デスモンドの時と同じように、極上のグループサウンドなんだ。ピアノとは違うけど、良い意味で違う。
もう一つは、コルトレーンの曲を演奏したケニー・ギャレットの『Pursuance』。純粋に、「すごくカッコいい!」と思ったんだけど、後になって、ああいうセッティングでああいう音楽をやって、あんなにカッコよく聴かせるのは普通じゃないって気づいたんだ。
ジム・ホールもパット・メセニーも、決して「ピアニストのモノマネ」をしようとはしていない。とてもギター的なアプローチなんだよね。
もちろん、その後になって、ジョー・ロヴァーノとのジョン・スコフィールド・カルテットや、ビル・フリゼールのテクスチャー的なアプローチ、カート・ローゼンウィンケルのカルテットやトリオでの演奏からも影響を受けた。彼らのコンピングを採譜したことはないけど、そのエッセンスやフィーリングは僕の中にしっかりあるよ。
特に、『Wish』やポール・デスモンドのレコードで聴けるような、「静かな緊張感」のあるバンドサウンドが大好きでね。
だから僕自身のコンピングの目標としては、「うるさくなりすぎず、弾きすぎず、かといって無個性なただの伴奏にもならない」こと。控えめな表現の中に、何らかの緊張感や危うさを見つけ出そうとしているんだ。うまく言葉にできないけど、そういう感じだよ。
Samo: あなたのコンピングからは、カウンターポイントやインターバルの動きが聴こえてきて、とても美しいんです。まさに、ジム・ホールはそのアプローチの達人でしたよね。僕が初めて彼の演奏を聴いた時、「うわ、ほとんど何も弾いてないのに、これで完璧に成立してる!」と衝撃を受けたのを覚えています。
Lage: 彼の「取捨選択感覚」は本当に異次元だよ。ジムの録音を聴いて、「いや、この音は弾かなくてもよかったんじゃないか」なんて瞬間は皆無だからね。彼は、実際に音を出す前に、頭の中ですでにその取捨選択を完璧に終わらせているんだ。それって、僕らミュージシャンが到達すべき、大きな目標の一つだと思うよ。
ノルウェーで育つ
Samo: ギターのアプローチについてパット・メセニーやジム・ホールといった名前が挙がりましたが、あなた自身のバックグラウンドについても聞かせてください。
出身のノルウェーには確固たる音楽シーンがありますよね。例えば、ヤン・ガルバレク(Jan Garbarek)やアリルド・アンデルセン(Arild Andersen)といったECM系のミュージシャンたちがいて、2000年代初頭にはフリー・ジャズも台頭してきました。
そうした環境で育ったことや、彼らの音楽は、あなたにどのような影響を与えたのでしょうか?
Lage: 間違いなく重要なルーツになっているよ。それが周りに溢れていたし、一番身近な音楽だったからね。大きなフェスティバルとか特別な機会でもない限り、地元のライブに出演しているのはノルウェーのシーンで活躍している人たちだった。彼らの多くが、いわゆる北欧のECM的なサウンドを演奏していたんだ。僕は当時からあのサウンドがすごく好きだったし、今でもとても魅力を感じているよ。
でも、ある時期から――さっき挙げたジョシュア・レッドマンのレコードやケニー・ギャレットから始まって、コルトレーンのカルテットやマイルスのクインテットなんかを聴くようになったんだ。その音楽の中で「何かが起きている」ことに気づいて、強烈に惹きつけられた。ブランフォード・マルサリスやウィントン・マルサリスのレコードもそうだった。
ただ、当時の僕には「一体何が起きているのか」が全く分からなかったんだ。すごく好きだけど、彼らが何をやっているのか理解できない、という感じでね。
逆に、ECMや当時ノルウェーで演奏されていた音楽については、「なんとなく分かるぞ」という感覚があったんだ。自分がうまく演奏できるかは別として、バンドがどう機能しているか、その音楽がどういう仕組みで成り立っているかは理解できた。
だからこそ、コルトレーンやエルヴィン・ジョーンズの演奏を理解するためには、「どこか別の場所へ行かなければ」と感じたんだ。
地元の音楽を否定するわけじゃないけど、当時の環境では、アメリカン・ジャズの源流に近づいたり、本質を理解したりするのは難しいと思えた。だって、ライブに行っても誰もそんな音楽をやっていなかったし、高校の友達もそういう演奏をしていなかったから。要するに、その音楽は僕にとって遠く離れた世界のもので、直接肌で触れられるものじゃなかったんだよ。
バークリーからニューヨークへ
Samo: 源流を求めて、まずはバークリーへ行き、その後ニューヨークへ渡ったわけですね。2000年代初頭のニューヨークにおけるギタリストの数と質って、本当に異常でしたよね。上の世代から私たちの世代まで、名前を挙げ始めたらキリがないほどで。
そのクオリティを目の当たりにして、ニューヨークに来た当初はどう感じましたか? もちろん後になってモンク・コンペティションでの優勝が大きな助けになったとは思いますが、最初に繋がりを持てた相手や、どうやってギグを得ていったのか教えてください。
Lage: 僕の場合、最初にバークリーへ行ったことが、ある意味でニューヨークでの衝撃を和らげてくれたんだ。当時は、YouTubeもなければSNSすらない時代だったからね。「自分と同い年で、ブランフォード・マルサリスみたいな音を出すやつがいる」なんて思いもしなかった。
入学して1、2週間くらい経った頃にジャリール・ショウの演奏を聴いたんだけど、「えっ待って、俺たち同い年だよね? なんでケニー・ギャレットと全く同じ音がするの? 」って、もう理解が追いつかなかったよ。僕より遥かに進んだレベルの素晴らしいプレイヤーがゴロゴロいたんだ。
でも、あの環境に身を置けたことが僕を鍛えてくれた。もし直接ニューヨークに行っていたら、圧倒されて「やっぱり帰ろうかな」と引き返していたかもしれない。だから、まずはバークリーに行って本当に良かったと思っているよ。
当時のボストンのシーンは基本的に学生中心で、演奏できる小さな場所が山ほどあったんだ。『ウォーリーズ・カフェ』もあったし、いろんなレストランとかね。だから数週間もすれば、現場で演奏する仕事をもらえるようになって、とにかくたくさん弾いていたよ。もし最初からニューヨークにいたら、あそこまでの経験は積めなかったと思う。
だからニューヨークに来た時には、すでにそっちへ移っていたバークリー時代の仲間たちがいるというアドバンテージがあった。ジャリールをはじめ、ケンドリック・スコット、ウォルター・スミス3世、デイナ・スティーブンス……バークリーで知りあった仲間の多くがニューヨークに来ていたから、それが良いクッションになってくれたんだ。
それに、ジャリールが『ジャズ・ギャラリー』や『スモールズ』といった場所で、頻繁に演奏するようになっていたのも大きかった。彼のバンドで弾くことで、他のいろんな人たちと出会えたんだ。ジョナサン・ブレイクやロバート・グラスパーもそのバンドにいて、彼らを通じてまた別の人たちと知り合いになり、そこからマーカス・ストリックランドのバンドで弾くようになり……という感じで、少しずつ広がっていった。
でも同時に、ニューヨークのシーンがどんなものか、どういう環境なのかを目の当たりにしたのはやっぱり衝撃的だったよ。さっきも言ったように、ボストンはのんびりした学生の街だからね。クラブもいくつかあって素晴らしいミュージシャンの演奏も観られるけど、ニューヨークみたいに「ここにはヴィレッジ・ヴァンガードがあって、あっちにはスモールズがあって、そこら中に信じられないようなプレイヤーがうようよしている」という状況とは全然違うんだ。
初めてアメリカに来てボストンに着いた時、そこまで魅了されたわけじゃなくて、「ふうん、まあ悪くないね。アメリカってこんな感じか」と思っていたんだ。でもニューヨークに着いた途端、「ここは最高だ!ボストンと全然違う!」ってなったんだ(笑)。
ある程度心の準備はできていたつもりだったけど、それでも圧倒されることばかりだったよ。ただ何よりも、僕はずっとニューヨークに行く日を夢見て、どうやって辿り着くか模索し続けてきたから、とにかく本場の音楽に飢えていたんだよね。
バンドリーダーとしての始まり
Samo: ニューヨークに来て、すぐにリーダーとしてバンドを率いるようになったんですか? クリス・クロス(Criss Cross)から出した『Early Songs』や『Unlikely Stories』、その前にはスタンダードを中心に演奏した『Romantic Latino』もありましたよね。バンドリーダーとしての活動はいつ頃、どうやって始まったんでしょうか?
Lage: ニューヨークに来た当初は、「自分のバンドを持とう」という野心は全くなかったんだ。当時の僕の目標は、ボストン時代から一緒にやっていた仲間たちと引き続き演奏すること、そしてニューヨークにいる他の素晴らしいプレイヤーたちとも演奏することだった。「大好きなプレイヤーや、心から良いと思える音楽をやっている人たちのサイドマンになりたい。そこで全てを吸収したい」というのが僕のモチベーションだったんだ。
でもしばらくして、特にジャリールやマーカス・ストリックランド、少し後にウィル・ヴィンソンたちのバンドでいろんなクラブに出演するようになってね。そうしたら、『ジャズ・ギャラリー』のリオ・サカイリから「たまには自分のバンドを連れてきてよ」と声をかけられたり、『スモールズ』のミッチ・ボーデンから「2週間後に空きがあるんだけど、君のバンドで出ないか?」って言われたりするようになったんだ。
僕は「もちろん」って答えたよ。自分のバンドなんて持っていなかったけどね(笑)。でも、曲はずっと書き続けていた。サイドマンとして参加しているギグでも「何か曲を持ってきてよ」って言われることがあったからね。ただ、自分の曲だけでフル・コンサートをやるなんて、バークリーの卒業リサイタル以来だったんじゃないかな。
自分の音楽を演奏するのは嬉しかったけど、これもさっきのコンピングの話と同じで、「どうしても自分のバンドをやりたい!」と意気込んで始めたわけじゃないんだ。「目の前にドアが開いているんだから、入らない手はない」という感じで始まった。
それ以来、ニューヨークでバンドリーダーとしても頻繁に演奏するようになったんだ。メンバーは流動的だったけど、初期の頃はアーロン・パークス(p)、シーマス・ブレイク(ts)、ベン・ストリート(b)、マーカス・ギルモア(ds)という編成でしばらくやっていた。その後は色々な編成を経て、後になってサリヴァン、タイショーン、マットの編成になっていった……というのが大体の流れだね。
Samo: バンドをまとめるのは簡単でしたか?
Lage: いや、全く簡単じゃなかったし、今でも簡単だとは思っていないよ(笑)。
ただ、ニューヨークにいるおかげで、「ある意味では簡単」な部分もあるんだ。というのも、一緒に演奏したいと思える人が山ほどいるからね。すでに特別な関係性があってそれを深めていける相手もいれば、新しく試してみたい人たちもいる。「このドラマーとやったらどんな音になるだろう?」ってね。
僕がすごく好きなのはそういうところで、ドラマーが変われば僕自身のプレイも変わらざるを得ないし、音楽全体のフィーリングも全く違うものになる。
バンドへの指示という意味では、僕は基本的にほとんど何も言わないんだ。誰かに「ここではコレを弾いてくれ」と指定することは本当にない。メンバーに何を弾いてほしいかを伝える仕事は、「曲を書くこと」そのものの中にあるべきだと考えているからね。
もしその曲に明確な個性があって、強固なものであれば、譜面を見た瞬間に「ああ、なるほど。こういうことか」と意図が伝わる。そこから先は、彼らがそれをどう解釈するかに完全に委ねられるんだ。
逆に、曲自体に明確な芯がないと、誰が弾いても同じような無個性な音楽になってしまうんだ。昔の僕はそのことに気づかなくてね。「あのドラマーはもう二度と呼ばない。俺の曲の良さを全然引き出してくれなかったからな!」なんて文句を言っていたんだよ(笑)。それが曲を書いた自分の責任だとも気づかずにね。
だから、今はもう完全に放任主義だよ。もし特定の方向へ持っていきたいと感じた時は、言葉ではなく、音楽的なアプローチの中で伝える方法を探している。「この部分はこうして、ここはこうやって」みたいに、ガチガチに決まったアイデアを押し付けることはないんだ。
もちろん、そういう風に作られた音楽もあるし、僕もそういう音楽を演奏してきてそれはそれで楽しいんだけどね。でも、自分が曲を書く立場としては、違う人たちと演奏するたびに──あるいは同じメンバーであっても夜ごとに──全く違うフィーリングになる音楽であってほしいと思っているんだ。
ツアー中のメンタル管理
Samo: 私がこれまでに経験した長いツアーは17日間で16本のギグだったんですが、7本目が終わった頃には、自分自身のプレイにすっかりウンザリしてしまいました(笑)。
もちろん、観客は入れ替わるわけですが、ツアー中はどうやってフレッシュな状態を保っているのでしょうか。
Lage: そうだね……どんな仕事でもそうであるように、少なくとも音楽の面においては常に「波」があって、良い日もあれば悪い日もある。それを完全に無くすことは僕にもできない。でも僕が心がけているのは、その悪い日の「谷」のレベルを底上げすることなんだ。たとえ不調な夜で、自分やバンドメンバーがそれに気づいていたとしても、お客さんには気づかれず「おお、今日も良かったね」と楽しんでもらえるレベルを保ちたい。
だから、「ああ、今夜はどうも上手くいかないな」とか、「自分と楽器が上手く連動してくれない」と感じるような夜があれば、自分自身から意識を逸らすようにしているんだ。
「この音楽は僕が主役じゃない。『さあ、俺のプレイを見てくれ!』ってアピールするためのものじゃないんだ」とね。一番大事なのは、楽曲そのものをしっかりと届けることと、バンドメンバーとリアルタイムの「会話」をすることだから。
だから、もしその夜の僕自身にいいアイデアが浮かばなかったとしても、「いいね、君のアイデアをもっと聞かせてよ」という感じで、周りの音をよく聴いて引き出すスタンスに切り替えるんだよ。
Samo: それは素晴らしいアプローチですね。
Lage: 僕が思うに、一番最悪なのは「ああ、今日の俺は最低だ」なんて落ち込んで、自分のプレイのひどさばかりに気を取られてしまうことなんだ。そうすると、プレイの良し悪し以前に、僕のネガティブな『態度』のせいで、他のメンバーまで台無しにしてしまうからね。
もちろん、口で言うほど簡単なことじゃないけど、そこを目指すようにしているんだ。
自分が「こう弾きたい」と願った通りに弾けなかったとしても、実のところ誰もそんなことは気にしていない。だって、僕自身が誰かのライブを観に行く時も、「こういうプレイをしてほしい」なんて具体的な期待は持っていないからね。
それに、もしステージ上のプレイヤーが僕の期待・予想と寸分違わぬことしか弾かなかったら、逆に「なんだ、がっかりだな」ってなるだろうし(笑)。
『Terrible Animals』制作秘話
Samo: 私にとって『Terrible Animals』は、ギター・アルバムにおける最高傑作の一つなんです。このアルバムで、あなたの中の何かが変わったように感じます。作曲面でもそうですし、エフェクトを多用したり、全体に変化がありましたよね。この作品の背景にはどんなストーリーがあったのでしょうか?
Lage: そうだね……いくつか理由はあると思う。まず一つは、タイショーン、サリヴァン、ラリーというメンバーで演奏していて、過去のどのリーダー作品よりも、このバンドならではのサウンドが確立された、という明確な手応えを感じていたこと。
それから、作曲面での取捨選択が上手くなったことだね。初期の頃の僕の曲は、色々な要素を詰め込みすぎていた。ところどころに良い部分があっても、本来必要のない要素で散らかってしまっていたんだ。それが整理できるようになったのは大きいね。
あとは、ギタリストとして自分自身を受け入れられるようになったこともある。「ああ、これが僕の頭の中で鳴っている音なんだな。だったら、そのまま出せばいいじゃないか」と、自然に思えるようになったんだ。
もう一つの決定的な違いは、制作プロセスにある。基本的には他のアルバムと同じように、アコースティック・カルテットとして数時間でパッと録音したんだ。切り貼りも、オーバーダブも、修正も一切なしでね。でもその後、録音したデータを持ち帰ってから、「ここの良いフレーズ、もう少し前に出したいな」「これをダブルにしたらどうだろう」「ここにレイヤーを一つ足してみようか」と考え始めた。
そうやって、ブルックリンのアパートの地下室で、本格的にスタジオ作業を始めたんだ。高いスタジオ代を払うわけじゃないから、何時間でも費やせるし、「いや、これはダメだったな」とやり直すこともできる。
一番重要なのは、元々のセッションには一切手を加えていないということ。オーバーダブで足した音も、基本的には実際のギターの音とは全く違うサウンドなんだ。深いリバーブをかけたり、エフェクトを通したりして、もはやギターには聴こえないような音。あるいはフレーズをダブリングさせて、トレモロをかけて極端にパンを振ったりね。
そうやって、アンビエントな雰囲気を持った全く別の「音の層」を、元の録音に重ねていったんだ。最初は単なるギグのように演奏して録音したものを、スタジオ・アルバムとして作り込んだというわけ。ライブでそれを再現しようなんて全く思っていないよ。あれはあくまでスタジオ・アルバムだからね。
面白い例を一つ挙げると、ラリー・グレナディアが「Brazilia」でソロを弾いているんだけど、そのソロを採譜して、僕がユニゾンで弾いて重ねているんだ。たぶん彼自身も気づいていないと思うけど(笑)、「これは美しすぎる、何か加えたい」という衝動に駆られてね。ほとんど聴こえないんだけど、気づかれないくらい自然に溶け込んでいるのが理想なんだ。
Samo: 初めて聴いたときは「おいおい、何だこれは? 今度はどんな手を使ったんだ?」と度肝を抜かれました。もう、お見事としか言いようがありません。あなたのこれまでのレコードも素晴らしいと思ってきましたが、この一枚は「ワオ! マジでどうかしてる!」って突き抜けたレベルでしたから(笑)。
Lage: ああいう編集作業を取り入れることで、作曲家やアレンジャーとして、それまでとは違うアプローチで自分を表現できるようになったんだ。「いちギタリストとしての自分」を前に出すのではなく、もっと音の質感を構築するような感覚でね。そういう遊びができるのはすごく楽しい。
それに、スタジオ代やエンジニア代を気にせず、好きなだけ時間をかけられるのは本当に贅沢な環境だよ。時には何十時間、あるいは何日もかけた細かい作業が、誰の耳にも留まらないことだってある。でも、もしその音を消してしまったら、リスナーは「あれ?何か足りない」と感じるはずなんだ。あまり前面に出すぎず、「何かあるけど、はっきりとは分からない」というくらい自然に溶け込ませるのが、僕の目標だからね。
でも一方で、それとは全く対極にあるアプローチも大好きなんだ。例えば、スタジオに入って「よし、4時間テープを回しっぱなしでいこう」と一気に録り終えて、それがそのままレコードになるようなやり方。ほぼミックスも終わっているような状態で、「よし、できた」ってなるやつだね。
Samo: クリス・クロス・ジャズのレコードは、大抵そういう感じですよね。
Lage: そうだね。タイショーンとマットと一緒にやった『Ashes』というトリオのレコードは同じようなアプローチをとったよ。リハーサル一切なし。アンドリュー・ヒルの曲なんかを、それまで一度も一緒に合わせたことがない状態で録音したんだ。60年代のレコーディングとほぼ同じやり方で、テープへの一発録りだよ。全曲をたぶん2回ずつくらい演奏して、それで終わり。今みんなが聴けるのは、ほぼその時の生の音なんだ。
録り終えた後にテープでプレイバックを聴き直すのは、本当に楽しいよ。「ワオ、最高だ。これで完成! 家に持ち帰って、これから何時間もデータと睨めっこしなくていいんだ!」ってね(笑)。
じっくり作り込む作業も最高だけど、そういう生々しいプロセスも同じくらい大好きだよ。
今後の予定
Samo: 最後になりますが、今後のスケジュールについて教えてください。ニューヨークを拠点に活動されていますが、自身のバンドを率いてヨーロッパをツアーするような計画はあるんでしょうか?
Lage: ヨーロッパに関しては、基本的にメリッサ・アルダナとの活動になるね。10月にスウェーデンのフェスティバルに自分のバンドで出演する予定があるんだけど、実はそのためにメリッサとのギグを1日休まないといけないんだ。だから、今年のヨーロッパではリーダーとしての活動はそれほど多くない。来年は間違いなく、もっと自分のバンドで動くつもりだけどね。
今年はメリッサとのツアーが中心で、ヨーロッパ、アジアを回って、11月にはヴィレッジ・ヴァンガードに出演する。そして12月には、マーク・ターナー、タイショーン、マットたちと再びレコーディングをする予定なんだ。
そんな感じで色々とリリースも控えているから、少しずつ「バンドリーダー・モード」に切り替えようとはしているんだけど……。メリッサのバンドで弾いていると音楽的に満たされてしまって、「自分のバンドをやらなきゃ!」という焦りみたいなものがなくなってしまうんだよね。
充実しているのはすごくありがたいことなんだけど、そのせいで、自分のバンドを動かすための『事務作業』に向かうモチベーションを、無理やり捻り出さなきゃいけなくてね。僕にとってあの作業は、トイレ掃除と同じくらい「魅力的で楽しい」ことだからね(苦笑)。
でも来年こそは、ちゃんとトイレの掃除をする(自分のツアーを組む)と誓うよ(笑)。
Samo: 楽しみにしています(笑)。今日は素晴らしいお話をありがとうございました!
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