コラム

アダム・ロジャースの音楽はどこからくるのか?ジョシュ・スミスがインタビューで解き明かす

ジャズギター界で圧倒的な存在感を放つアダム・ロジャース。

その音楽ルーツ、卓越したテクニック、そして揺るぎない哲学に、盟友ジョシュ・スミスが切り込みます。

「超絶技巧の秘密は?」「巨匠たちとの共演で得たものは?」「これから見据える未来とは?」

ジョシュだからこそ聞き出せた本音、ユーモラスあふれる素顔、そして音楽への尽きない情熱。

ファン必読の濃密な言葉を、たっぷりとお楽しみください。

本記事はジョシュ・スミス氏から許諾を得て日本語に翻訳・編集したものです。

アダム・ロジャース:音楽のDNA

ジョシュ・スミス(以下、ジョシュ):こんにちは、ジョシュ・スミスです。スタジオ「フラット5」からライブでお届けします。今日は僕が心から敬愛し、大きな影響を受けているギタリスト、アダム・ロジャースが来てくれました!

ジャズの巨匠たちのサイドマンとして活躍し、自身のバンドでの成功、数えきれないほどのセッションワーク。その輝かしいキャリアは言うまでもありません。あのマイケル・ブレッカーと共演していたというだけで、僕にとってはもう言葉もありません。今日は来てくれて本当にありがとう。

アダム・ロジャース(以下、アダム):ありがとう。呼んでくれて嬉しいよ。

音楽一家に生まれて:ブロードウェイとジャズの響きの中で

ジョシュ:少し調べたんですが、ご両親はミュージシャンなんですよね?

アダム:そう、今も現役だよ。

ジョシュ:今も!では、それが音楽の道に進んだ直接の理由でしょうか?

アダム:どうだろうね。確かに大きな影響はあったよ。両親はただのミュージシャンじゃなくて、ブロードウェイのシンガーでありダンサーでもあったんだ。

ジョシュ:へえ!

アダム:父はクリーブランド出身で、タップダンスから始めたんだ。ドラムは20世紀を代表する教育者、チャーリー・ウィルコクソンに師事した。チャーリーは多くのドラム教則本を残していて、フィリー・ジョー・ジョーンズもその本で学んだ一人だよ。

両親ともに楽器を演奏し、歌い、踊る――まさにミュージカルパフォーマーの流れを受け継いでいた。父はピアノ、歌、踊り、ドラム、タップ。母はバレエを習い、オペラ歌手でありブロードウェイ女優でもあった。二人ともブロードウェイの舞台に立っていたんだ。

父は1940年代に、ニューヨークで『オクラホマ!』の初演に参加していたし、母親は『ハロー・ドーリー!』や『ワンス・アポン・ア・マットレス』に出演していた。

その後はそれぞれ別の道に進み、母は食品業界へ。父はニューヨーク演劇界やショービジネスでの経験を活かし、1970年代にLAでテレビ番組の監督を務めるようになったんだ。

でも、僕の家はいつも音楽であふれていた。父のドラムセットは常にセットアップされていたし、よくピアノを弾いて歌っていた。母も同じで、両親の友達もみんなそうだった。

だから、音楽はごく自然な形で僕の一部になっていったんだ。小さい頃から父がピアノやドラムを教えてくれたり、一緒に音楽を聴いたりしていた。特に両親が演奏する姿を見るのが大好きで、夢中になっていたね。

ジョシュ:それはすごいですね!メル・ブルックスとか、あの世代は本当に多才ですよね。彼のドキュメンタリーを見たら、ドラムを叩き、ピアノを弾き、歌っていたんです。もちろん歴史上最高に面白い人ですが、その世代の人たちは創造的なことにとてもオープンで、「素晴らしいものを生み出したい」という情熱にあふれていたんでしょうね。

アダム:そうだね。詳しい経緯は分からないんだけど、父は50年代初頭にサミー・デイヴィスJr.と一緒に仕事をしたことがあるんだ。確か、どこかのクラブで同じステージに立って、それがきっかけで友人になったらしい。サミーは本当に才能の塊だった。ダンス、歌、ドラム――何でもこなした。

そういう環境で育ったからこそ、自然と音楽に興味を持つようになったんだと思う。もっとも、ギターにのめり込むきっかけになったのは、両親がやっていた音楽とはまったく違ったけどね。

ジミ・ヘンドリックスと70年代ニューヨーク

ジョシュ:きっかけは何だったんですか?

アダム:ジミ・ヘンドリックスだよ、ジミ・ヘンドリックス。

ジョシュ:(笑)やっぱり!今日って、ジミヘンの命日じゃないですか?

アダム:そうだ!うわー、完全に忘れてた(笑)。

さっき少し触れたけど、小さい頃から父にピアノやドラムを習っていたんだ。それからピアノのレッスンにも通ったけど、本当は嫌でね。スケートボードが欲しかった僕に、父が「レッスンを受けたら買ってやる」と言ったのがきっかけだった。

ジョシュ:その手、よくありますよね(笑)。

アダム:でもジャズを習い始めてからはピアノに夢中になったんだ。マッコイ・タイナーにどハマりしてね。ギターに興味をもったのは、小学校の友達が少し弾けて、学校にあったアコースティックギターで何曲か教えてくれたのがきっかけかな。

レッド・ツェッペリンの「Over the Hills and Far Away」とか、イエスの「Roundabout」のイントロ、あと「Stairway to Heaven」、それから「Whole Lotta Love」のグルーヴも教えてくれたと思う。

アダム:当時はツェッペリンとPファンクに夢中だったからね。70年代半ばのニューヨークは、街じゅうに音楽が流れていて、マンハッタンを歩けばヒット曲が聞こえてくるような環境だった。「Flashlight」とか「One Nation Under a Groove」の頃のPファンクはラジオで大ヒットしてたから、僕と友達はその2組にのめり込んでいたんだ。

ジョシュ:だんだん見えてきました。Pファンクとツェッペリン…アダム・ロジャースのパズルが解けてきた感じです。

アダム:確かに、それは大きな要素だね。

中学の頃、同じ学校の高校生でバンドをやっている人がいたんだ。彼はその後、音楽業界でいろいろ活躍したんだけど、ヘンドリックスのレコードを聴かせてくれたのは、確かその人だったと思う。

どのアルバムだったかは覚えてないけど、1976年当時はまだ音源が少なかった。『Are You Experienced』、『Axis: Bold as Love』、『Electric Ladyland』と『Band of Gypsys』、それから曰く付きのレコーディングの『Crash Landing』と『Midnight Lightning』くらいだったと思う。

とにかく、ヘンドリックスのレコードを聴いて、僕は衝撃を受けたんだ。エネルギー、音、プレイ――全てが桁外れで、「どうやったらこれができるんだ?」と本気で解明したくなった。

そこからジャズに出会うまで、ひたすらヘンドリックスを弾きまくった。ヘンドリックス以外のレコードは全部、家の隣の本屋に持って行ってあげちゃったんだ。今思えばバカなことをしたよ。レッド・ツェッペリンとか他のレコードもたくさん持ってたのに、全部手放しちゃった。「今はヘンドリックスだけだ」って感じでね。それで毎日、ヘンドリックスの曲やソロをどうやって弾くか研究していたんだ。

LAでの最初のギターレッスン

アダム:父が1970年代にロサンゼルスでテレビ監督をしていて、夏休みは一緒にLAで過ごしてた。最初に住んだのはパシフィック・パリセーズ。近所のギターショップにいたスティーヴっていう、サーファーみたいな人からレッスンを受けたんだ。

彼はすごく上手くて、ジャズも弾けたと思う。十八番は、『The Munsters』(60年代コメディドラマ)のテーマをジャズギター風にアレンジすることだったんだ。

アダム:毎週レッスンに行くと「やあ、これ聴いてよ」って言ってさ。VANSのスニーカーにTシャツ、サンダル姿で新しいアレンジを披露してくれた。

僕が何に興味を持っているかも分かってくれて、「Little Wing」の弾き方や、ロニー・ロウズの「Valdez in the Country」、グローヴァー・ワシントンJr.の「Mister Magic」も教えてくれたんだ。

アダム:普段聴かない音楽にも触れさせてくれて、まるで理想的なギター講師のようだった。

自分でもかなりコピーしてたとは思うけど、当時はまだ音符の名前も弦の名前すらも知らなかったんだ。ただ「やるぞ!」って感じで、一日中ヘンドリックスのレコードを聴いて弾いてただけだったからね。

虜になったレコードたち

ジョシュ:ご両親は家でジャズを聴いていたそうですが、それがジャズの入り口だったのですか?

アダム:いや、まったく。耳には入ってたけど興味はなかった。当時夢中だったのはビートルズ、テンプテーションズ、フォー・トップス、それからカーティス・メイフィールド。7歳のときは『Superfly』を何度も繰り返し聴いてたよ。レコードジャケットに載ってる映画のシーンを見ながらね。

アダム:それから、フォー・トップスの『Keeper of the Castle』は録音がとにかく美しかった。確か制作はLAのABCパラマウントだったかな。

ジョシュ:彼らが移籍した後ですね。

アダム:そうそう、70年代初頭のLAで、ウィルトン・フェルダーがベースを弾いてて、トップクラスのミュージシャンが勢ぞろいだった。最近そのレコードを久しぶりに聴き返したんだけど、素晴らしい曲ばかりで、信じられないようなプロダクションだったんだ。ストリングスやホーンも入ってて、最高のグルーヴだよ。あと、テンプテーションズの『Theme from Shaft』。これは両親と一緒に行ったパーティーで、リリースされたときに聴いたんだ。ワウワウ・ギターなんてそれまで聴いたことがなくて、完全にぶっ飛んだよ。

アダム:あのサウンドに完全にやられてしまって、何度も何度も聴いていた。あの時代の優れたプロダクションや音作りに、当時から惹かれていたんだと思う。ファンクはずっと僕を夢中にさせてきたし、『Superfly』やデヴィッド・ボウイの『Fame』を初めて聴いたときのことは今でも覚えてるよ。

アダム:LAのパシフィック・パリセーズにいたとき、誰かがラジオで流してて、もう夢中になったんだ。ファンクのグルーヴっていうのは、とにかく僕の心を掴んで離さなかったんだ。

ジョシュ:あのプロダクションとポップなセンス、そしてグルーヴ、本当に素晴らしいですよね。

アダム:そう、それにビートルズもね。今聴いても、4歳の頃と同じくらいワクワクするんだ。

ジョシュ:7歳で『Superfly』にそんなにハマるなんてすごいですね。

アダム:たぶんそれが僕の音楽との関わり方なんだと思う。ハマったらとことん聴くタイプなんだよね。ニューヨークでは通りを歩けばいつも音楽が流れてた。店からも、みんなが持ってたラジオからも。ラジオから流れる曲は、街全体のサウンドトラックみたいなものだった。

それで、ああいうレコードに完全に虜になったんだ。『Keeper of the Castle』はいま聴いても色あせない名作だよ。

ジョシュ:フォー・トップス、信じられないグループですよね。リーヴァイ・スタッブスは史上最高のシンガーの一人ですよ、疑いようもなく。

アダム:家にはカウント・ベイシーやビル・エヴァンス、マイルス・デイヴィスのレコードもあったし、父はハンク・ジョーンズと共演したこともあった。でも子供の頃は、そういうのにあまり興味がなくて、流行のポップスを聴いてたんだ。それでも、ジャズがそばにあった経験は、後の僕のジャズへの没頭につながったと思う。

ジャズへの扉を開いたアーティストたち

ジョシュ:最初に「これは学ばなければ」と思うような、ジャズとの出会いは何でしたか?

アダム:いくつかの出来事が重なった感じかな。まず、ジョージ・ベンソンの『Breezin’』を聴いたときの衝撃。何が起きているのか分からなかったけど、「これは何だ!?」と一気に惹き込まれた。

アダム:それから、ペパーミント・ラウンジでのロック・ギグあと、サックス奏者アーサー・ブライスのプロモ盤をもらった。LA出身の素晴らしいアルト奏者で、数年前に亡くなってしまったけど、当時コロンビアと契約していたんだ。

もらった『Illusions』はすごく意欲的なレコードだった。片面はストレートアヘッドな感じなんだけど、ビバップの焼き直しではなく、当時の空気感をまとっていた。そしてもう片面はファンク。そこに参加していたのが、ギタリストのジェームス・ブラッド・ウルマー。編成はチューバ、チェロ、ドラム、アルトサックスという異色の組み合わせで、ブラッドの演奏はまさに衝撃的だった。

アダム:ブラッドはヘンドリックスの影響をすごく受けてるんだけど、確かL-5かバードランドみたいなホロウボディのギターで弾いてたと思う。

この2枚を聴いたことで、音楽に対する考え方が変わってきたんだ。

それと、ハービー・ハンコックの『Head Hunters』もよく聴いた。何が起こってるのかは分からなかったけど、ファンクを通じて自然と入り込めたんだ。

アダム:そして、父が買ってきたウェザー・リポートの『Heavy Weather』。ある日、ラジオから「Birdland」が流れてきて、「このベーシストはチェックしなきゃダメだ」って父が言ったんだ。

ジョシュ:ラジオで「Birdland」が流れてくるなんて、今では考えられませんね。

アダム:当時のLAにはKKGOという局があって、ポピュラーなジャズが流れてたんだよ。それで『Heavy Weather』に入ってる「Havona」のジャコのソロに完全にやられた。あんなベース、聴いたことがなかった。

アダム:そのあと、父と一緒にビーコン・シアターでウェザー・リポートを何度か観に行った。『Mr. Gone』が出た後と、『Night Passage』か『8:30』が出た後だったかな。ライブはロックコンサートさながらで、巨大なスクリーンにスライドが映し出され、ジャコはステージを駆け回りながらヘンドリックスの「Third Stone from the Sun」を弾く。あれは完全に別格の体験だった。

アダム:完全にノックアウトされたよ。だからウェザー・リポートにすごくハマったんだ。ごめん、こんな長々と話しちゃって。

ジョシュ:いえいえ、もっと聞かせてください。どうやって自分の音楽を見つけ、今のスタイルを築き上げてきたのか、その過程を知りたいんです。ミュージシャンになる上で、とても大切なことだと思うので。

アダム:本当にそうだね。僕もそう思うよ。

決定づけたチャーリー・パーカー

アダム:当時、いつも一緒にいたのが親友のトビー。彼はアルトサックス奏者で、僕の大切な音楽仲間でもあるドラマーのベン・ペロウスキーの父親に習っていたんだ。ちなみにベンと僕は、ほかの仲間と「Lost Tribe」というバンドを組んでいた。

ジョシュ:そうだったんですね。

アダム:ベンの父、フランクは素晴らしいサックス・クラリネット奏者だった。で、トビーが何をしていたかというと、ひたすらチャーリー・パーカー(通称バード)のソロを吹いていた。おそらく、それが即興演奏だとすら知らなかったんじゃないかな。

トビーはよく、「お前はまだロックなんかやってるのか。これを聴けよ」って、ちょっと見下したように言ってきてさ。僕は意味が分からなくて、よく口論になったよ。彼の家で、バードのソロを吹いてる後ろでフレディ・グリーンみたいに弾いたりもしたけど、知っていたのはバレーコードだけ。全然うまくいかなかった。

でも、彼が聴かせてくれたレコード、バードのサヴォイ・セッションとか、マイルス・デイヴィスの『’Round About Midnight』や『Milestones』、コルトレーンの『Giant Steps』を聴くうちに、その時代のジャズにすごく興味を持つようになったんだ。

アダム:信じられないほどの洗練と演奏能力。完全に理解することはできなかったけど、何かとてつもなく高度なことが起きているのは分かったんだ。

80年代初頭の時点で、バードの音源はすでに録音から40年近く経っていたのに、メカニズムが分かり始めると、むしろ未来の音楽のように聴こえたんだ。僕がそれまで聴いていたどんな音楽よりもずっと洗練されていた。

ヘンドリックスはポピュラー音楽の中で革新的だったし、9thや13thを使って新しい領域を切り開いていたのは理解していたけど、ジャズにはもっと別の何かがあった。

それで、「何が起こっているのか解明しなきゃ」と強く思ったんだ。そこから本格的にジャズを学び始めて、素晴らしいジャズギタリストたちにレッスンを受けるようになった。そして、ひたすらレコードを聴き続けていたんだ。

レコード体験の価値

アダム:特に聴き込んだのは、バードのサヴォイ・セッション、マイルスの『’Round About Midnight』、『Milestones』、コルトレーンの『Giant Steps』、それとウェス・モンゴメリーの『Smokin’ at the Half Note』。これは友達から…まあ、借りパクしたんだけどね(笑)。

アダム:当時はレコード1枚6ドルくらいで、中流家庭の僕らにとっては高価だった。次にどのレコードを買うかは真剣勝負で、投資みたいな感覚だったよ。

ジョシュ:なるほど。

アダム:ウェスのレコードは2枚組で、高すぎて手が出なかった。だから友達から借りて、そのまま…(笑)。何度も「返せ!」って言われたけどね。今はクリック一つで何でも聴けるけど、当時はそうじゃなかったんだ。

ジョシュ:それが、新しい世代との価値観の違いですよね。最近、息子と話したんですが、彼はきっと「レコードを所有する」という体験をしないでしょう。発売日に並んで手に入れるあの高揚感を、もう味わえない世代です。

アダム:時代とともに、音楽との関わり方も変わるんだろうね。僕は若い頃にそういう体験ができて良かったと思ってる。オンラインで音楽を聴くこともあるけど、夢中にはなれなかったんだ。もちろん大事なのは中身だけど、レコードを探すワクワク感や、偶然の出会いがくれる一枚の特別感は、やっぱり格別だよ。

僕自身、最近またアナログ盤への情熱が再燃しているんだ。70年代後半はアナログ盤が主流だったし。

ちょうど先週、ペンシルバニアの田舎のレコード屋で見つけたんだけど、ジョシュに送ったチェット・アトキンスのレコード、あれなんて最高だったよ。聴いたこともなかったし、そもそも見つけ方すらも知らなかった。まるで宇宙が「これだよ」って手渡してくれたみたいな、こういう体験が好きなんだ。

ジョシュ:誰にも教わらずに偶然何かに出会うのは本当に特別なことですよね。子供の頃、レコード屋でレイ・チャールズがサックスを吹いているジャケットを見て、そのレコードを買ったんです。家に帰って聴いたら、彼がサックスを吹いているのは2曲だけだったんですけど、それでも「誰も知らない秘密の宝物を見つけた!」って興奮したのを覚えてます。

アダム:昔、ブートレグ専門の店で、真っ白なジャケットに、変なコピーのインサートが入ったヘンドリックスのレコードを見つけたんだ。その音源は、他では聴いたことがないような、最高にヤバいやつだった。もちろん、ネットでもそういう出会いはあるんだろうけど、やっぱり僕にとってはリアルの出会いの方が断然魅力的だった。

そういうわけで、バードのサヴォイ盤、マイルスの『’Round About Midnight』、『Milestones』、コルトレーンの『Giant Steps』、ウェスの『Smokin’ at the Half Note』と『Full House』。この辺りを何度も聴き込んでいたよ。

アダム:楽譜は読めなかったから、耳で何が起こっているかを必死に掴もうとしてたんだ。

恩師たちとの出会い

アダム:すごくいいジャズギターの先生がいたんだ。ハワード・コリンズという人で、60年代初頭の数多くのセッションで活躍していたプレイヤーだよ。典型的な“昔気質のジャズマン”で、いつも「楽譜を読め!」って怒られてた。

ギターの楽譜は読めなかったけど、クラシックピアノを習っていたから、音符や音価、音部記号は理解していた。でも、それをギターにどう応用するかが分からなかったんだ。

ある夏、父を訪ねてLAに行ったんだ。1980年頃だったかな。数ヶ月滞在する間、ギターレッスンを受けたくて、GIT(現Musicians Institute)にいたトニー・バルソ(Tony Baruso)っていう先生を見つけたんだ。どうやって出会ったかは覚えてないんだけど。

彼はパット・マルティーノの影響を強く受けていて、その頃パット本人もGITで教えていたと思う。神経系の病気のリハビリ中だったはず。

トニーは本当に素晴らしい先生で、ジャズを理解するのに欠かせない理論を教えてくれた。代理コード、アッパー・エクステンション、モード、オルタード・スケール…それまで何一つ理解できなかった概念が、彼のおかげでスッと頭に入ってきたんだ。本当に感謝してる。

そして不思議なことに、「楽譜が読めればもっと多くの音楽を学べる」と気づいた瞬間から、楽譜が読めるようになったんだ。

僕は、目標が見えないとやる気が出ないタイプでさ。高校のときなんてひどいもので、「何のためにやってるのか」が分からないと、全く手がつかなかったから。そのせいで大学までは大変だったけど。

ジョシュ:その気持ち、よく分かります。「B評価を取るために、どれだけ楽できるか」ばかり考えてました。

アダム:僕はそこまで計算高くなかったけど(笑)。でも、「楽譜を読めればもっと多くの情報を得られる」って気づいてからは、かなり早く読めるようになったんだ。

それからは、オムニブックでバードのソロを弾いていた。それが僕にとっての教則本みたいなものだったね。だから、レコードに合わせて弾けるまで練習して、ジャズを浴びるように聴き続けた。

そのうちに、ジャズの伝統の根底にある「何か」、自分が感動していたそのコンセプトが、だんだん見えてきたんだ。そこからは一直線だったね。持っていたソリッドボディのギターは全部手放した。ストラトも、ギブソンの“ザ・ポール”っていう、シンプルなデザインのレスポールも売ったんだ。

ジョシュ:ええっ!

アダム:どれも良いギターだったけど、ホロウボディじゃなかったからね。その代わり、ハグストロームのジミー・ダキストのホロウボディを手に入れた。当時はウェスに夢中で、2年間くらい親指だけで彼のソロをコピーしてたんだ。それが全てだった。こうして、僕はジャズにどっぷりはまっていったんだよ。

右手の秘密

ジョシュ:今のピッキングスタイルは、いつ頃確率したんですか?

アダム:正直、よく覚えてないんだ。大学ではクラシックギターを専攻していて、それが唯一体系的に学んだものだった。それ以外は、あちこちから影響を受けて、自分なりに取り入れてきた感じかな。

最初にウェスのサウンドを真似してよかったと思うのは、親指だけでは弾けそうもないソロ、例えばバードのソロなんかを練習するとき、「目指す音」が自分の中にあったことだよ。いつもウェスのあの“ファット”な音を出そうとしていたからね。

それで、ピックを使ってもその音を目指してたんだと思う。だから今のピッキングがどう身についたか、自分でも説明できないんだ。誰かに教わったわけじゃなく、いつの間にかそうなっていたから。

ジョシュ:大学でのクラシックギターの経験も、今のスタイルにつながっていますよね?

僕はピックガードに手を固定してピックだけで弾いてたんです。でもダニー・ガットンを聴いてから一夜にしてハイブリッドピッキングに切り替えたんです。それが今の基礎になっていて、テクニックと知識、そしてブルースのバックグラウンドが混ざり合ったんです。

あなたの演奏を見ていると、エコノミーピッキングが本当に信じられないほど素晴らしいです。

アダム:ありがとう。どうやっているのか自分でもよく分からないんだけどね。もっと客観的な方法論があればいいのにと思うことがある。音楽に対する感じ方が変わるにつれて、テクニックも変わっていくから、「15年前は何をやってたんだろう?」って思っても、全然分からないんだ。それでも、自分が音楽的に前に進んでいることを願ってるよ。

クラシックギターからの影響

アダム:クラシックは左手のテクニックに役立ったけど、右手のピッキングは指弾きで別物なんだ。実を言うと、大学時代も路上やクラブでエレキをピックで弾いてたから、クラシック奏法の習得にはむしろ障害になったんだ。

ピック用の筋肉ができていたせいで、人差し指と中指を使うクラシックの速弾きは全然できなかったんだ。

でも、クラシックギターから学んだ「良い音の出し方」や「音の響かせ方」は、トランペットや弓楽器に近い感覚を得られたし、練習方法も役立った。

クラシックの練習って、やるべきことが明確に区切られていて、客観的に整理しやすいんだ。同じ曲をたくさんの人が練習するから、目標に向かう道筋がはっきりしてる。

例えばスケール練習では、指の組み合わせを変えて弾くんだ。中指+人差し指、中指+薬指、人差し指+薬指…といった具合に。同じフレーズを別のやり方で練習する。それをピック奏法にも応用した。

例えばオルタネイトで弾いたら、次はダウンストロークだけ、その次はスウィープを混ぜて…というふうにね。そうやって練習を重ねるうちに、自然と今のピッキングスタイルが生まれたんだ。

僕はピックガードに小指を置いて弾くんだけど、後になってそれがベンソンと同じだと気づいた。でも彼の真似をしたわけじゃなく、自然とこのスタイルになったんだ。

結局、一番大事なことは、「頭の中で鳴っている音楽を、そのまま再現すること」。やり方はなんでもよくて、大切なのは自分の音楽をどう実現するかなんだ。どんな方法でも、目的にたどり着けるなら、それが正解だと思う。

エレキギターの面白さであり、教える難しさでもあるのは、ピアノのような共通の基礎教育がないことなんだ。ピアニストに話を聞けば、誰もが共通の基礎を持っている。ブラッド・メルドーだろうとクラシックのピアニストだろうと関係なくね。

でも、ギターの場合、クラシックギターを学ばない限り、みんな独自の学び方をするんだ。その自由さこそが、ヘンドリックスやウェス・モンゴメリー、ヴァン・ヘイレンのような革新的なプレイヤーを生み出したんだと思う。

とはいえ、初心者に教えるときは課題にもなる。「基本的な音の出し方」が身についていない人も多いから、それをどう補うかが重要なんだ。僕自身も教師としてその壁に向き合ってきたし、これからも生徒を支えていきたいと思っている。

先人たちの革新

ジョシュ:エレキギターは比較的新しい楽器で、チャーリー・クリスチャンが登場するまでは、真っ白なキャンバスのような状態に近かったですよね。

アダム:そうだね。どこで読んだか忘れたけど、レス・ポールの素晴らしいインタビューがあってね。彼がチャーリーについて語っていて、その内容があまりに的を射ているんだ。今でもチャーリー・クリスチャンを聴くと、「当時、一体どこからこんなアイデアを思いついたんだ?」と驚かされる。

レス・ポールは「地域性」という話もしていた。昔は「どこで育ったか」が音楽的な背景に大きく影響したけれど、今は北京でもサンフランシスコでも、同じ情報にアクセスできるから、その意味は薄れてきたのかもしれないね。

チャーリーはオクラホマで育ったから、ボブ・ウィルズのテキサス・プレイボーイズやブルーグラスなど、ギターを巧みに操るプレイヤーを聴いていた。彼らはジャズを演奏していたわけじゃないけれど、とても技巧的だったんだ。

さらに、ラジオでカウント・ベイシー楽団のレスター・ヤングの演奏を聴いた。レス・ポール曰く「彼はきっと、ジャンゴ・ラインハルトやエディ・ラング、他の名手たちの演奏も聴いていただろう」と話していたんだよ。

ジョシュ:Tボーン・ウォーカーとも親しかったそうですね。テキサスで偶然出会ったとか。

アダム:そうそう。だからチャーリーは、多様な音楽的影響を受けていたんだ。ニューヨーク育ちのミュージシャンとはまったく違う環境が、新しいスタイルを生み出すきっかけになったと思う。彼がギターで創り出した音楽は、今聴いても信じられないほど革新的だよ。

ジョシュ:ギターの技術的な進化は本当に速かったですよね。他の楽器が何十年もかけて発展したことを、わずか数年でやってしまった。チャーリー・クリスチャンからB.B.キングまで5年。その後、さらに5年でエリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスが登場する。まさに瞬きする間に世界が変わったような。

アダム:まったくその通りだね。ある意味、20世紀の技術進化のスピードをそのまま反映していると思う。一つの扉が開くと、次々に新しいものが生まれる。ジャズの歴史も同じで、もちろんルーツはもっと古いけれど、この100年の間にメロディやハーモニーの面で、クラシック音楽が500年かけて築いたものを一気に駆け抜けたんだ。そこには技術やコミュニケーションの進歩が大きく関係しているよね。ラジオの登場なんて、まさに革命だった。

たとえば、2020年から1920年を振り返ってみると、その100年間にどれだけの変化があったかがよく分かる。さらに、1920年から1820年の変化と比べると、その進歩のスピードの違いに驚かされるよね。

ジョシュ:ルイ・アームストロングやバディ・ボールデンが即興演奏を始めたころ、その音楽が西海岸に届くまでに、どれだけの時間がかかったのか…。存在を知るだけでも一苦労だったなんて、今では想像もつきませんね。

徹底解剖Q&A

ジョシュ:ギターを始めた頃、「これだ!一生弾き続けるぞ」と思わせた曲やフレーズはありましたか?

アダム:正確には覚えていないけど…。レッド・ツェッペリンの「Over the Hills and Far Away」を聴いたときは「うわ、めちゃくちゃカッコいい!」って思ったよ。でも、本格的にギターにのめり込ませたのは、きっとジミ・ヘンドリックスだったと思う。

「Purple Haze」や「Hey Joe」のように、そんなに高度な技術がなくても弾ける曲があって、それが「もっと弾きたい!」という気持ちを強くしてくれたんだ。

ジョシュ:僕は6歳からギターを始めて、10歳でB.B.キングのスローブルースを弾けた瞬間、「これだ!一生これをやる」と決めました。

アダム:B.B.キングはどうやって知ったの?

ジョシュ:父ですね。演奏はしませんが音楽が大好きで、大量のアナログ盤を持っていました。オールマン・ブラザーズ、ストーンズ、ヘンドリックス、ザ・フー、B.B.キングやアルバート・キングもよくかけていたんです。母はブルース・スプリングスティーンが好きで、スタックスやモータウンをよく聴いていました。だからいつも家の中は音楽が流れていたんです。

印象的な出来事があって。8歳か9歳の頃に飼い始めた犬が、留守中にレコードを引っ張り出してしまって。アルバート・キングの『Live Wire/Blues Power』のジャケットをボロボロにしたんです。それを見て「父さん、このレコード何?」「聴いてもいい?」ってなったのがきっかけで、「Blues Power」に夢中になりました。

アダム:子どもの頃にそんな名盤を聴けたなんて最高だね。僕がアルバート・キングをちゃんと意識して聴くようになったのはずっと後だった。最初はヘンドリックスから入り、そこから他のギタリストに広がっていったんだ。

ジョシュ:父のコレクションのおかげで、あらゆるジャンルのレコードを聴きました。棚から何かを引っ張り出しては「よし、今日はこれを聴いてみよう!』を聴こう」という感じで。ジャズのセクションもあって、『Giant Steps』や『Kind of Blue』を聴いたのをよく覚えています。それから、フレディ・ハバードのレコードもあって、度肝を抜かれました。そういう偶然の出会いが、自分の音楽観に影響していると思います。

アダム:まさにそうだね。

初めて完コピしたソロは?

ジョシュ:初めて完璧にコピーしたソロは何ですか?

アダム:たぶんヘンドリックスのソロ。でも具体的にどれかは覚えていないんだ。14歳のときに録音したテープがあるんだけど、そこにはずっとヘンドリックスのフレーズを弾いている僕がいる。

当時はストラトにMXRのディストーション・プラス、ローランドのジャズコーラスを使って、友達の家でジャム三昧。ソロという概念もよくわかっていなくて、「聴こえるものは全部弾く」という感じだったよ。

ジョシュ:ヘンドリックスの曲は今でも頼まれたらすぐ弾けそうですね。体が覚えているタイプの記憶ですよね。

アダム:どうだろう…さすがに40年前だから全部は無理かもしれないけど(笑)。

ジョシュ:僕は14歳のときにもらったスティーヴィー・レイ・ヴォーンの1984年イタリアでのブートレグ。そのソロは今でも指が覚えてるんですよ。きっとヘンドリックスの、あの3枚のレコードの曲ならほぼ完璧に弾けますよね?

アダム:そうだね、たぶん弾けると思う。今でもヘンドリックスの音楽から影響を受けているし、自分の曲にもそのエッセンスは入っている。時々「あの曲どうだったっけ?」と思って、また聴き直して練習することもあるよ。

普段どんな曲が頭の中に鳴っている?

ジョシュ:普段の生活の中で、頭の中ではどんな曲やリズムが鳴っていますか? 僕はいつもシャッフルのリズムで、キーはBbが多いんです。

アダム:いろんなものが鳴ってるよ。最近は、ストラヴィンスキー後期の「Movements for Piano and Orchestra」を聴いていて。彼が12音技法を使ってた頃の作品なんだけど、これが頭の中で鳴ることもあるし、コルトレーンの曲やエルヴィン・ジョーンズのビートが鳴ってることもあるよ。

アダム:「これだけ幅広く聴いてるんだ」って自慢するわけじゃないんだけど、日々聴く音楽が変わるから、頭の中のBGMもどんどん入れ替わるんだ。

ジョシュ:頭の中の音楽が止まることはありますか?

アダム:ないね。今はマイルス・デイヴィス・クインテットの「Budo」でのコルトレーンのソロが鳴っているよ。

アダム:『’Round About Midnight』のセッションからだと思うんだけど、レコードには入らなかった曲だね。最近、1955〜56年頃のコルトレーンにハマってて、「Budo」のソロをコピーしてるんだ。だから、それが頭の中でずっとループしているよ。

「自分の声」を見つけた瞬間は?

ジョシュ:ギターで「自分の声」を見つけたと感じたのはいつですか?「これだ!」と思って、この道をもっと掘り下げていこうと決意した瞬間はありますか?

アダム:面白い質問だね。何度かあったよ。劇的な変化というよりは、プレイスタイルに対する視点が少しずつ変わっていった感じかな。たしか90年代初めに、何かを掴み始めたと感じた。その頃の経験が、今も大きな糧になっているんだ。

中でも親友で音楽仲間のデヴィッド・ビニーとの関係が大きかった。一緒に「Lost Tribe」というバンドをやっていて、ある日、彼の家で演奏しているときに「もっと間を意識して演奏してみたら?」とアドバイスをくれたんだ。

それまでの僕は、ただがむしゃらに弾いてばかりだったけど、その言葉を受けてプレイを変えてみた。そしたら、あるソロで「これだ!」と思える瞬間があった。録音を聴き返して「これは面白い」と感じたんだ。

実はそのときビル・フリゼールの『Before We Were Born』というアルバムを勧められて。歪んだ音だけど、間の取り方が絶妙ですごく影響を受けたよ。プログラムされたグルーヴの上に奇妙なサウンドが重なり、ジョーイ・バロンがドラムを叩いている。

アダム:その頃、ジェフ・ベックの『Guitar Shop』もよく聴いてた。今でもあのレコードは大好きだよ。僕はジェフ・ベックの大ファンだったからね、『Wired』は一日中聴いてたよ。

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アダム:その時期のいろんな要素が絡み合って、「ああ、自分の音が見えてきたかもしれない」と思えた。楽器の音が“声”として響いてくる感覚というか。コルトレーンやバードからの影響が、自分の中で整理されていったんだ。それまでは、とにかくたくさんの音を詰め込むことしか考えてなかったけどね。…この感覚、伝わるかな?

ジョシュ:分かります。

アダム:その頃はちょうど、エレキギターと再び向き合い始めた時期でもあったんだ。「これがサックスの美しい響きをギターで再現する方法かもしれない」と感じて、セミホロウやホロウボディのギターを使い始めた。ジャズを始めた頃に慣れ親しんだ音だったからね。

60年代のマイルス・デイヴィス・クインテットを聴く中で、自然とポリリズム的なアプローチも身についた。そうした要素が重なって、「ようやく自分の声に近づいてきた」と感じられるようになったんだ。

ジョシュ:言いそびれましたが、あなたのタイム感は本当に異次元です。

アダム:どうもありがとう。でも、自分ではあまり実感がないんだよね。


弱点はなんですか?

ジョシュ:ギターを弾く上で苦手なことはありますか?僕の場合はアコースティックギターでのセッションなんですが。

アダム:うーん…ものすごく速いオルタネイトピッキングかな。

ジョシュ:そうなんですね。

アダム:一本の弦上でならできるんだけどね。でも、スピーディ・ウェストとジミー・ブライアントのフレーズをコピーしようとすると、「いや、これは無理だな」って思うんだ。僕なりのやり方でなら弾けるけどね。そういう「ごまかし」は得意だから(笑)。

でも、彼らのピッキングでは弾けないんだ。何度か挑戦したけど。

ジョシュ:あのプレイは本当に難しいですよね。

アダム:そう、難しい。時々イラっとするのは、テクニックを自在に切り替えられないことなんだ。スケールやアルペジオの練習でもいろいろ試しているけど、最終的には自分のスタイルになっていく。理想とする音が出るようにピッキングするからね。でも、その方法が必ずしも全てのケースに適用できるわけじゃないんだ。

ジョシュ:すごく分かります。

アダム:例えば、世界最高のサックス奏者に「全部ダブルタンギングで演奏して」って頼んでも無理だと思う。それをやるには、演奏そのものを変えなきゃいけない。同じように、ブルーグラスの名手に「ホールズワースみたいに弾いて」と頼んでも、まったく違う世界だからできないんだよね。

ジョシュ:僕もホールズワースのようには絶対に弾けませんし、アル・ディ・メオラのようなオルタネイトピッキングもできません。でも、彼らにはできないハイブリッドピッキングはできます。弱点を聞くのって面白いんです。実際には弱点じゃない場合も多いので。

アダム:そうだね。

意外なギタリストの影響

ジョシュ:大きな影響を受けたけれど、他の人が意外に思うようなアーティストはいますか?

アダム:ジョニー・キャッシュのオリジナル・ギタリスト、ルーサー・パーキンスかな。彼の演奏は聴くたびに感動する。サン・レコードの50年代の音源もいくつか持っているけど、60年代にプレスされた音のいい盤があってね。

サン・スタジオのあの音も大好きで、聴くたびに「どうやって弾いてるんだ?」って思って練習しちゃう。彼は残念なことに、タバコの不始末による火事で亡くなってしまったけど…。

最近、ジョニー・キャッシュの『Live at San Quentin』を手に入れたんだ。これはカール・パーキンスが参加してる。

アダム:もう一人、ルーサーの後任ギタリストであるボブ・ウートンもいて、この2人が信じられないほど素晴らしいサウンドを出してるんだ。『Live at Folsom Prison』以上に、ジョニー・キャッシュが囚人たちに語りかける姿が印象的なレコードなんだよ。

アダム:あの独特の“味”というか、ゴツゴツした感じが本当に好きで、どうやったら再現できるのかを探っている。僕のようなジャズミュージシャンが聴くと、「これは何だ!?」ってなるんだ。で、そのサウンドやアプローチを再現しようとするんだけど、結局は「誰が弾いているか」で決まるんだよね。友達もそう言ってた。プレイヤーの個性がすべてなんだ。

例えばハウリン・ウルフの「Back Door Man」なんてずっと聴き続けてる。

アダム:あのドラムのグルーヴは本当に絶妙で、楽譜には書き起こせない。128分音符を使ったって、あのニュアンスは再現できないよ。でも、どうにかして自分のものにできないかって分析しちゃう。そういう細部のニュアンスが、たまらなく魅力的なんだ。

ジョシュ:ルーサーのソロは、すごくシンプルだけど的確ですよね。必要なことを言って、それで終わり。でもしっかり主張になっている。

アダム:そうだね。

最高のギターか最高のアンプか?

ジョシュ:「最高のギターとひどいアンプ」、それとも「ひどいギターと最高のアンプ」、どちらを選びますか?

アダム:うーん、難しいな。最高のギターかな。

ジョシュ:なるほど。

アダム:正直ちゃんとした答えはないんだ。いいギターしか持ってないし、それでひどいアンプを使うのは世界一ストレスがたまることだから。

ジョシュ:そうですよね。だから僕は逆ですね。もし選ばなきゃいけないなら、最高のアンプを選びます。ギターは何でもいい。それくらい、アンプのほうが大事だと思ってるんです。

アダム:すごくわかる。ジョシュの考えを聞くと、「最高のギター」って答えたのが間違いだったかなって思えてくる。でも、演奏する音楽のジャンルにもよるよね。ジャズならひどいアンプでもなんとかなる場合もある。でも、ひどいセミアコやフルアコで速いフレーズを弾くのはつらい。

例えばES-335を弾くときは、アンプを歪ませないことが多いから、PA直でも弾ける。もちろんベストではないけど。ソリッドステートでもチューブでも、あまりドライブさせないなら使えるかもしれない。

ただ、ストラトやテレキャスをひどいアンプで弾くのは本当につらい。僕は普段オーバードライブペダルを使わず、アンプで歪みを作るから、ペダルに頼るとサウンドの一体感が損なわれる。だから結論は…「状況による」だね(笑)。

モチベーションを保つ秘密

ジョシュ:演奏者としても学習者としても、とても意欲的だということが伝わってきました。今までインタビューしてきたギタリストたちにも共通していたのは、本当に努力を続けているということです。

音楽を愛しているからこそ、ずっと努力し続けられる。それが何より大切なことだと思います。では、何があなたをそこまで駆り立て、今日よりも明日、さらに上を目指させるのでしょうか?

アダム:理由のひとつは、これが僕の「仕事」だからだね。

ジョシュ:まさに、使命であり天職ですね。

アダム:そうだね。すごく単純に言えば、生活のため。屋根の下で暮らし、食事をするためだよ。これだけ聞くと普通のことに聞こえるかもしれないけど、僕にとってはそれ以上の意味があるんだ

こうして音楽をやれていることを、本当に恵まれていると感じている。音楽を通して素晴らしい人生を送り、世界中を旅して、即興演奏しながら信じられないような体験をしてきた。これが僕の人生の中心なんだ。

もちろん、簡単な道のりじゃなかったし、大きな挑戦もたくさんあった。それでも毎日音楽と向き合い続けなきゃと思っている。今は演奏する機会が減ってしまったけれど、それでもこの道を続ける責任があると思ってるんだ。

ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけれど、僕にとって「精神的なプロセス」でもある。誰も聴いていなくても、見ていなくても、練習をやめない。それはメダルや称賛のためじゃなく、自分がそうあるべきだからなんだ。

もしかしたら来週、急に「ロケット科学を勉強しよう」と思うかもしれないけれど(笑)、まあ、それはたぶんないね。それまでは音楽を続けるしかない。演奏しなかったり、音楽に触れなかったりすると、水を与えられていない花みたいになってしまうんだ。

ジョシュ:パンデミックを経験して気づいたことがあります。「演奏してる?仕事してる?」と聞かれれば、「うん、プロデュースしたり、セッションしたり、練習したり、いろいろやってるよ」と答える。それで「それはいいね」と言われても、なんだか自分らしく感じないんです。

僕も即興演奏で生きてきて、この半年間、他のミュージシャンと演奏したのは片手で数えられるほどです。自分を構成する大きな部分が抜け落ちたような感覚があります。家族との時間は充実していますが、自分の「核」がなくなった感じで…これはなかなか他人には伝わらないと思います。

アダム:すごくリアルな話だよね。僕は視野が狭いのかもしれないけど、このパンデミックが始まったとき「これが世界中の人を団結させるきっかけになったら素晴らしいのに」って思ったんだ。

だって、僕らは今、体に入り込んで害を与えようとする別の生命体と戦っているわけだから、「みんなで力を合わせよう!」ってなるのが自然なんじゃないかって。

ジョシュ:もしこれが映画なら、地球に小惑星が迫っていて、今ごろベン・アフレックが宇宙に向かっていますよね(笑)。

アダム:(笑)。とにかく今はやるべきことをやっているよ。練習して、曲を作って、録音して。

何度か仲間と集まって演奏する機会があったけれど、そのたびに「ああ、これが恋しかったんだ」って思った。練習では得られない感覚があるんだよね。ライブやセッションでしかつかめないものがあって、それが失われると本当に寂しい。

でも、この期間を通して、そういう機会を今まで以上に大切に思うようになったとも言えるよね。誰もこの状況に直面したことがなかったからこそ、演奏できるありがたみをより強く感じるようになったんだ。

ジョシュ:ええ、同感です。

終わりなき音楽の探求

ジョシュ:5年後、ミュージシャン、あるいはギタリストとして、どんな自分を思い描いていますか?

アダム:正直、明確な目標を立てるタイプじゃないんだ。もっと目標志向になるべきかもしれないけど。僕はただ成長し続けたい。曲を書き、演奏し、進化を続けていきたい。今よりもっと成長が加速しているといいけど、結局は「今の自分」から始まるんだ。このプロセスを止めず、新しいことを学び続ける。それが僕の願いだし、そうしていれば自然と多くのものを吸収できると信じている。

ジョシュ:素晴らしいですね。そして、その学びには終わりがない。

アダム:本当にそう。40年間、ほぼ毎日こうして音楽を続けてきた。もちろん、数週間とか、場合によっては1〜2か月休むことはあったかもしれないけれど、それ以外はずっと演奏し続けている。そして、そこまで膨大な時間を費やしてきても、まだやったことのない新しい何かを見つけられるんだ。

ジョシュ:分かります。ギターには無限の可能性がありますよね。

僕は野球が大好きで、昨日息子と試合を見ていたら、ヤンキースが1試合で6本ホームランを打ったんです。その前日は7本、さらにその前は6本。しかも昨日は1イニングに5本打ったんです。3連戦19本塁打はメジャー新記録だったそうです。

100年以上続いてきたスポーツなのに、まだ誰も見たことのないことが起きる。それってすごいですよね。ギターも同じで、「こんなアイデア、今まで思いつきもしなかった!」という瞬間がありますよね。

アダム:そうだね。しかもギターはスタイルごとにまったく違う世界がある。あるジャンルで煮詰まっても、別のスタイルに目を向ければ新しい景色が広がる。それがギターの魅力のひとつだね。

ジョシュ:今日は本当にありがとうございました。大げさじゃなく、あなたは僕にとって最も尊敬するミュージシャンのひとりです。こうして話を聞けたことが光栄でした。世界が元に戻ったら、ぜひ一緒に演奏しましょう。

アダム:ぜひそうしよう!こちらこそ本当にありがとう。

Josh Smith (Guitarzan) YouTubeチャンネル

今回の対談を行ったジョシュ・スミスの公式YouTubeチャンネルでは、このインタビューの動画版をはじめ、メンバー限定で楽しめる特別コンテンツも配信中です。

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