チャーリー・パーカー×ポール・デスモンド:音楽の本質を語る【1954年インタビュー全文翻訳】

1954年1月23日、ボストン。ジャズ史上最も重要なインタビューが収録されました。

語り手は、モダンジャズの父「バード」ことチャーリー・パーカー。そして聞き手は、同じくアルトサックスの巨匠ポール・デスモンドと、ラジオDJのジョン・マクレランです。

デスモンドのバードに対する深い敬意が、パーカーから貴重な言葉を引き出し、1日15時間の練習や、音楽に対する真摯な哲学が語られます。

※本記事は、音声資料をもとに翻訳・編集したものです。


目次

ジャズへの影響

ポール・デスモンド(以下ポール): あのレコードには素晴らしいプレイヤーがたくさん参加していますが、あなたのアルトのスタイルは、それまでのものや共演者たちのものとは全く異なっています。

当時、自分がジャズに与える影響を自覚していましたか? その後の10年で、シーン全体を変えてしまうことになると。

チャーリー・パーカー(以下チャーリー): そうだな、こう言っておこうか。いや、全く。自分のやっていることが、そこまで周りと違うなんて思いもしなかったよ

ジョン・マクレラン(以下ジョン): ひとつ質問を挟ませてもらえますか。それまでアルトサックスといえばジョニー・ホッジスやベニー・カーターのような吹き方が主流でした。あなたのプレイは、単に楽器の奏法だけでなく、音楽全般に対する全く新しいコンセプトのように思えます。

チャーリー: あれは最初から僕のコンセプトだったんだ。音楽はそうあるべきだと思っていたし、今でもそう思っている。音楽にはまだまだ改善の余地がある。おそらく25年後、あるいは50年後には、誰か若者が現れて、このスタイルを継承し、本当に素晴らしいものに進化させるだろうね。

僕が音楽を聴き始めた頃からずっと考えていたのは、音楽というものは、無駄のない、研ぎ澄まされたものであるべきだということ。できる限りね。そして、聴く人に届くもの、理解できるもの、美しいものであるべきなんだ。

音楽という言語を使えば、本当に数え切れないほどの物語を語ることができる。たしかに音楽の基本はメロディ、ハーモニー、リズムだ。でも、人は音楽を通じてもっと多くのことができるはずさ。あらゆる人生の歩みや、ありとあらゆる場面を、鮮やかに描き出すことさえもね。そう思わないかい、ポール?

ポール: ええ、あなたの演奏には「ストーリー」があります。聴くたびに、いつも深く感銘を受けるんです。

チャーリー: それが僕の目指すところなんだ。音楽のあるべき姿だと思っているよ。

驚異的なテクニックの秘密

ポール: あなたの演奏を語る上でもう一つ外せないのが、誰も真似できない驚異的なテクニックです。あれは練習によって身につけたものなのか、それとも演奏を重ねるうちに徐々に進化していったものなのか、ずっと気になっていました。

チャーリー: それは難しい質問だね。自分では、それほど驚異的だとは思っていないんだ。ただ、楽器の研究にはかなりの時間を費やしたよ。昔、中西部に住んでいた頃、練習の音があまりにうるさくて、近所の人たちが「引っ越してくれ!」と母に迫ったこともあったくらいだよ。サックスの音で気が狂いそうだ、ってね。当時は少なくとも1日11時間から15時間は吹いていたからね。

ポール:なるほど、そうでしたか。

チャーリー: それを3、4年は続けたね。

ポール: ああ……それが答えですね。

チャーリー: そうだね(笑)。

ポール: 数ヶ月前、今まで聴き逃していたあなたの古いレコードを聴いたんですが、クローゼの教則本から引用した2小節ほどのフレーズが聞こえてきて、なんだか懐かしい気持ちになりました。

チャーリー: ああいうのは全部本から身につけたものだよ。タネも仕掛けもない。ひたすら教則本と格闘した結果さ。

ポール: それを聞いて安心しました。というのも、あなたは生まれつきテクニックを持っていて、維持するための苦労なんてしたことがないんじゃないか、と思っていたものですから。

ジョン: 多くの若いミュージシャンは、そういった努力は必要ないと思いがちですからね。

ポール: そう、彼らはただセッションに出て、ジャズマンらしい生活を送ればいいと思っている。教則本を相手に1日11時間の練習なんて、誰もやっていない。

チャーリー:ああ、間違いないね。どんな形であれ、学ぶことは絶対に欠かせないよ。人が生まれ持った才能というのは、上質な靴みたいなもので、磨きをかけてこそ光るんだ。世界中のどんな才能も、教育や学びによってその輝きが引き出される。アインシュタインだって教育を受けただろう。もちろん彼自身の中に紛れもない天才性があったわけだけど、学ぶということは、この世で最も素晴らしいことの一つなんだ。

Night and Day

ジョン: さて、ここでチャーリーが選んだ曲を聴いてみましょう。『Night and Day』です。これはバンドとの共演ですか、それともストリングスですか?

チャーリー: これは19人編成くらいのビッグバンドだったと思う。

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ディジー・ガレスピーとの出会い

ポール: ディジー・ガレスピーと初めて会ったのはいつですか?

チャーリー: ちゃんと顔を合わせたのは、1939年、ニューヨークのサヴォイ・ボールルームのステージ上だった。僕が参加していたジェイ・マクシャン・バンドで初めてニューヨークに来た時のことだよ。僕自身は、それ以前にもニューヨークにいたことがあったんだけど、一旦中西部へ戻ってバンドに復帰して、みんなと一緒にニューヨークへやって来たんだ。

ディジーは当時キャブ・キャロウェイのバンドにいたと思うけれど、ある夜、僕らのバンドに飛び入りしてくれたんだ。僕は彼にすっかり魅了されて、すぐに親友になった。それは今でも続いているよ。

ポール: その頃の彼は、今と同じような吹き方だったんですか?

チャーリー: 正確には覚えていないけれど、ジャズ仲間の言葉を借りるなら『ブー・クー』ってやつだよ——とにかく圧倒的な演奏だったね。

ポール: ブー・クー?

チャーリー: そう、ホーンで出せる音を全部一気にぶつけてくるような感じさ。

ポール: なるほど。

チャーリー:それから二人であちこちへ行って、ジャム・セッションをした。あの頃は本当に楽しかったよ。

マクシャン・バンドで再び西部へ向かい、またニューヨークに戻ってきたら、ディジーがアール・ハインズの楽団にいた。1941年のことだ。僕もそこに加わって、ふたりで一年くらいいたかな。

アール・ハインズ、ディジー・ガレスピー、サラ・ヴォーン、ビリー・エクスタイン、ゲイル・ブロックマン、トーマス・クランプ、シャドウ・ウィルソン……今では誰もが知っている名前が、あのバンドにはたくさんいたんだ。

ポール: それはすごいメンバーですね。

チャーリー: そのバンドはその年に解散し、1942年にディジーがニューヨークの「スリー・デューシズ」でコンボを結成した。僕はそこに加わった。これからかける「Groovin’ High」は、その頃にニューヨークで録音したものだね。

ポール: 僕が初めてそのコンボを聴いたのは、LAのビリー・バーグスに来た時でしたか?

チャーリー: ああ、あれは1945年だね。それはまた後で話そう。

ポール: いかに僕が遅れていたかを証明してしまいましたね。

チャーリー: そんなこと言わないでくれよ。謙遜は損のもとだよ(笑)。

Groovin’ High

*ここでギターを演奏しているのはRemo Palmieri(レモ・パルミエ)です。

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1942年のニューヨーク

ポール: 1942年頃のニューヨークは、かなり盛り上がっていたと言っていましたね。

チャーリー: ああ、まさに「古き良き時代」だったよ。わかるだろう? 陽気な若者たちの時代さ。

ポール: ぜひ詳しく聞かせてください。

チャーリー: 若さと勢いだけはあった——お金はなかったけどね。

ポール: パーカーじいさんが語り始めましたよ(笑)。

チャーリー: 演奏する以外にやることはなかった。とにかく吹くことに夢中だったよ。数えきれないほどのジャム・セッション、夜更かし。それと美味しい食べ物、そして健全な生活、なんてね(笑)。まあ、要するに貧乏だったってことさ。

ポール: それはそれでいいですよ。悩みもなくて。

チャーリー: まあ、そういう時期も人生には必要さ、間違いなくね。

ポール: あの頃の暮らしがずっと続いてほしいと思いましたか?

チャーリー: そう願ったかどうかはともかく、実際ずっと続いたわけだからね(笑)。でも、ようやく一段落して良かったと思っているよ。まあ、完全にとは言えないけれどね。

今の生活の方がずっと楽しいよ。こうして素晴らしい仲間と一緒に仕事ができるし、新しく出てくる若いミュージシャンとも出会える。ポール、君もそのひとりだよ。

ポール: ありがとうございます。

チャーリー: 一緒にプレイできて本当に楽しかった。これ以上ない喜びだよ。デイヴ・ブルーベックもそうだし——あれから素晴らしいミュージシャンがどんどん出てきた。それを見ると、自分のやってきたことが無駄じゃなかったって思えるんだ。本気で何かを証明しようとしてきたことがね。

ポール: 間違いなく証明しましたよ。この10年で、あなたほどジャズの歴史に決定的な足跡を残した人はいません。

チャーリー: ああ、一応はね。でも、まだやりたいことがあるんだ。もっと学びたいし、まだ終わったつもりはない。学ぶのに年を取りすぎたなんて、これっぽっちも思っていないよ。

ヨーロッパ計画

ポール: 多くの人が、あなたが次に何を打ち出してくるのかに興味を持っています。僕もその一人です。何か計画していることはありますか?

チャーリー: 実は、ヨーロッパへ留学しようと思っているんだ。ニューヨークでエドガー・ヴァレーズというフランス人のクラシック作曲家と出会ってね。素晴らしい人物で、「ぜひ教えたい、君のために曲も書きたい」と言ってくれた。僕の音楽を真剣な芸術として見てくれているんだ。もし彼に師事できたなら、その後にパリの音楽院に進める可能性もある。今でも、音楽を学ぶことが一番の関心事だからね。

ジョン: 演奏を学ぶのですか、それとも作曲ですか?

チャーリー: 両方だよ。サックスは絶対に手放したくないからね。

自身のバンド

ジョン: 少し話が前後してしまいますが、マイルス・デイヴィスについて話してもらえますか?

チャーリー: ああ、マイルスとどう出会ったか話そうか。まず背景から話すと、1944年にビリー・エクスタインが楽団を結成したんだ。ディジーもいたし、ラッキー・トンプソン、アート・ブレイキー、トミー・ポッター、他にもたくさんの連中がいた。そして最後に、一番下っ端の僕が加わったというわけさ(笑)

ポール:謙遜は損のもとですよ。

チャーリー: 初めてマイルスに会ったのは、エクスタイン楽団のツアーでセントルイスを訪れた時だった。まだ学校に通っている若者でね。その後、彼はニューヨークへ出てきて、ジュリアードを卒業した。ちょうどその頃、僕も自分のバンドをまとめ始めたところでね。あちこちのハコで5人編成を試しながら、ようやく形にして「スリー・デューシズ」に7、8週間出演したんだ。

その頃、エクスタインのバンドが解散して、ディジーも自分のバンドを結成しようとしていた。ほんの数ヶ月の間にいろんなことが一気に起きたから、説明するのも難しいくらいだよ。

とにかく、その最初のバンドは一旦バラして、1945年にディジーと一緒にカリフォルニアへ行ったんだ。それで1947年の初めにニューヨークへ戻ってきて、今度こそ本格的にバンドを持とうと決意した。そのとき初めてマイルスを迎えたんだよ。メンバーはマイルス、マックス・ローチ、トミー・ポッター、アル・ヘイグ。もう一つ別の編成もあって、そっちは、マイルス、スタン・レヴィ、カーリー・ラッセル、ジョージ・ウォリントンだった。

これから聴く『Perhaps』は確か、マイルス、マックス、トミー、そしてデューク・ジョーダンだったかな。1947年頃、ニューヨークのブロードウェイ1440番地にあるWNEWで録音したものだ。これが僕のバンドリーダーとしてのキャリアの始まりだよ。

Perhaps

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音源リンク

インタビューで名前が出てきたミュージシャンの音源リンクです。

ジョニー・ホッジス

ベニー・カーター

ジェイ・マクシャン・バンド

以下は1941年、ジェイ・マクシャン・バンドでのチャーリー・パーカーのソロが聴ける音源

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以下は1941年2月6日録音

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キャブ・キャロウェイ

ディジー・ガレスピーが1939〜1942年まで参加していたキャブ・キャロウェイの音源。

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1953年のインタビュー翻訳

ボストンのラジオ局に生出演したときのインタビュー記事はこちら