コラム

【日本語訳】ポール・ジャクソン・ジュニア インタビューPart2:ソロキャリアへの挑戦、音楽への愛と未来を語る

Part2では、ソロアーティストとしての一面、自身の音楽に対する洞察、ファンクへの愛情、そして未来への展望を語ります。

セッション界のレジェンドが見つめる自身の音楽世界とは?そして、彼が若き才能たちへ送るメッセージとは?ポール・ジャクソン・ジュニアの核心に、さらに深く迫ります。

*本記事は、主催者であるScott Goldfineスコット ゴールドフィン氏より許諾を得て、日本語に翻訳・編集したものです。

セッション時代の思い出

—— セッションワークが中心だった頃、実際にステージに立つ機会は多かったのでしょうか?それとも、ほとんどスタジオにいたのでしょうか。

ポール: ほとんどスタジオにいたね。でも、レイ・パーカー・ジュニアやジョージ・デューク、クルセイダーズとはツアーもしたよ。だから、時々はステージに立つ機会もあったけど、そんなに多くはなかったかな。

—— ツアーでの印象的な出来事はありますか?

ポール: あるよ!1983年、ジョージ・デュークとの日本ツアーのときだね。当時、レーザーディスクの撮影をしていたんだ。ライブレコーディングに動画ついたものだね。たくさんのカメラが入って、大掛かりな撮影だった。でも、コンサートが進むにつれて、次から次へと機材が壊れ始めたんだ。ベースアンプが落ちて、キーボードが鳴らなくなって…考えうる限りのトラブルが全部起こったんだよ(笑)。

レコーディングエンジニアのトミー・ブカーリは「これはひどい…」って言ったら、日本人のプロデューサーが振り返ってこう言ったんだ。「でも、直せるんでしょ?」ってね。

結局、もう一度撮影し直すことになったんだ。だから、世に出たあのビデオは実は2回目のテイクなんだよ。最初のテイクは文字通り炎上しちゃったからね(笑)。でも、それも今では良い思い出だよ。

—— 撮り直しのために追加公演をしたのですか?

ポール: いや、もともとたくさんショーが予定されていたから大丈夫だったよ。

—— そのときが日本へ初めてのツアーでしたか?

ポール: あれは確か、ジョージとの3回目の日本だったと思う。レイ・パーカー・ジュニアとも行ったし、ジョージとも一度来ていたはずだから、3回目かな。

レイ・パーカー・ジュニアから学んだ「心地よさ」

—— レイ・パーカー・ジュニアは本当に多才で、ソロになる前のレイディオ時代の作品も素晴らしいです。彼のスタイルの何が特別だと思いますか?

ポール: レイは「曲を心地よく感じさせる術」を完全にマスターしているんだ。そして、それは最も重要なことなんだ。パートがどうとか、音符がどうとか、音数が多いとか少ないとか、そういうことじゃないんだ。それが最大の特徴だと思うな。もちろん、音の選択やハーモニー、リズミックなアプローチも素晴らしいけど、何よりも曲を心地よくする術を心得ているんだ。

音楽への道と家族のサポート

—— 若い頃から音楽に熱中されていましたが、学校生活への影響やご両親からのプレッシャーなどはありましたか?

ポール: いや、全くなかったよ。よく話すんだけど僕の最初のローディー(楽器の運搬やセッティングをする人)は母だったんだ。彼女が普段使ってるシボレーのバンが、僕らのバンドの機材車だった。友達とバンドをやってて、いつも機材を彼女の車に積んでたんだ。

僕がセッションの仕事を始めたときも、母さんが僕の機材を全部車に積んでスタジオまで送ってくれて、彼女はそこから仕事に行く。そしてセッションが終わったら、また迎えに来てくれる。両親は昔も今も、本当に協力的だよ。

16歳のクリスマスの話なんだけど、父がボーナスでギブソンES-335を買ってくれたんだ。そのギターは今でも持ってるよ。でも考えてみてよ、16歳の若造が音楽で成功する保証なんてどこにもないじゃないか。でも父さんは、僕を信じて買ってくれたんだ。そのことは毎日思い出すね。「待てよ、16歳だぞ?良いミュージシャンになる保証なんてないのに」って。本当に、ものすごく協力的だったんだ。

ソロアーティストとしての歩み

—— 様々な経験を積んで、満を持してソロデビューされたときの心境はいかがでしたか?

ポール: 怖かったよ。よく車のレースファンに例えるんだけど、僕はプロストックカーについて色々語れるんだ。「500立方インチのオールアルミエンジンを積んでて、ミッションはリバティ社の5速で、馬力は今の時代だと…2500馬力くらいかな。クォーターマイルは5280フィートで…」ってね。プロストックカーについてたくさん知ってる。でも、一度も運転したことはないんだ(笑)。

自分の作品に責任を持つということは、それと似たようなものなんだ。ギターパートというひとつの要素を担当するのとは訳が違う。曲を書き、演奏し、レコーディングで良い音にし、ミキシングし、そして完成したプロダクトを自分のキャリアや個人的な創造性の集大成として提示するというのは、全く別の話で、努力して身につけなければならない。

幸い、何年も前から自分のデモを作ってはいたんだ。当時はテープだったから、たくさんを買っては曲を作り、ひどい曲はダメ出しされて…っていうのを繰り返していた。だから、実際にレコード契約を結ぶ頃には、ある程度身についてはいたんだけど、それでも全くの別物だったね。

—— 音楽以外の慣れない仕事も増え、「一体何に足を踏み入れてしまったんだ?」と戸惑うことはありましたか?

ポール: もちろんだよ。僕は一体何をしてるんだ?ってね。でも、とにかく信じて前に進むしかない。うまくいくことを願いながらね。

初めてのソロアルバム~グラミーノミネートとミキシングの現実

—— ソロアルバムが完成したとき、その出来栄えの満足度はいかがでしたか?

ポール: すごく満足していたよ。ひとつ覚えているのは、それまでミキシングというものをやったことがなかったんだ。だから、ミキシングをしたらものすごく素晴らしいサウンドになるんだろうなって思ってた。でも、実際にミキシングをしてみたら、完成間近だったトラックが「ちょっとだけ良くなった」だけだったんだ。ミキシングで曲が別物に生まれ変わるわけじゃないんだなって思ったよ。それで、ミキシングの前に、曲を完全に仕上げておかなきゃいけないんだなって学んだんだ。

でも、最初のアルバムはグラミー賞にノミネートされて、自分が進んでいる方向は間違ってないと確信させてくれた。だから、本当に嬉しかったね。

—— ツアーはされたのですか?

ポール: 限られた本数だけね。いくつかライブはしたけど、もっとできたはずだとは思う。

—— テレビ出演やミュージックビデオは?

ポール: ビデオはいくつか撮ったよ。テレビも少しだけ出たかな。ソウル・トレイン・アワードのフューチャーアーティストとして紹介されたのは、すごく楽しかった思い出だね。ジョージ・デュークや他の人たちと一緒でさ。

今振り返ると、もしスタジオワークとツアーを同時にできる方法があったなら、それが最高だっただろうなと思うよ。

多忙な日々~セッションワークとソロ活動の両立

—— ソロアルバムを制作するために、セッションの仕事はどのくらい減らしたのですか?

ポール: 幸運なことに、テレビの仕事や他のプロジェクトも続けながらやることができたんだ。当時はたくさんのことを同時にうまくこなせていたね。

—— 現在までに8枚のアルバムをリリースされていますが、お気に入りの作品はありますか?それとも、全てが我が子のように可愛いですか?

ポール: 最初の7枚の中では『Still Small Voice』かな。タイトル曲「Still Small Voice」に聖書とのつながりがあること、それから、僕にとって大きなシングルになった「It’s a Shame」という重要な曲が入っているからね。だから、『Still Small Voice』が一番思い出深いかもしれないな。

—— アルバム『Never Alone: Duets』の制作は大変だったのではないでしょうか?

ポール: ああ、もろもろの準備の点ではね。でも幸いなことに、僕にはたくさんの、本当に良い関係を築いている仲間たちがいるんだ。だから、ハワード・ヒューイットを呼ぶのも簡単だったし、ジョージ・デュークやシーラ・Eに電話するのもね。いつも一緒に仕事をしている仲間だから。

ナジーもそうだし、僕のプロデューサーのオーリー・E. ブラウンはデトロイト育ちで、リール・クルーと一緒に育ったから、彼らに参加してもらうのも簡単だった。ジェフ・ローバーや他の人たちとも仕事をしてきたしね。

だから幸い、これは僕が既に築いてきた人間関係の延長線上にあったんだ。トム・スコットとは、彼のレコードだけでなく、彼が音楽を手がけた映画でもたくさん仕事をしたしね。だからトムを呼ぶのも自然な流れだった。みんなが思うほど大変じゃなくて、友達に電話して「ねえ、今レコード作ってるんだけど、弾きに来てくれない?」って言う感じだったんだよ。

ミュージシャンの「個性」と人間関係

—— これまで一緒に仕事をした中で、「風変わりな天才だ」と思うような人はいますか?

ポール: たぶん、僕が一緒に仕事をするほとんどの人がそうじゃないかな(笑)。みんなそれぞれ、いわゆる「風変わり」な部分を持っていると思う。その理由も、なんとなく分かってきたんだ。

ミュージシャンになると、何時間も、何時間も、何時間も、たった一人で練習するわけだ。あるいは、自分と全く同じことをしている他の人たちと多くの時間を過ごす。だから、対人スキルやコミュニケーション能力、人と関わったり状況に対処したりする経験をあまり積まないんだよ。

それが、他の面、つまり彼らの個性として現れるんじゃないかな。だから、僕のミュージシャンの友達はほとんど、ちょっと普通とは違う人たちだと思うよ。

マイケル・ジャクソンツアー辞退と家族への愛

—— これまでの仕事を振り返って、断ったプロジェクトや、参加できなかったけれど本当はやりたかったと思うものはありますか?

ポール: ひとつ大きなものがあるよ。87年だったかな、マイケル・ジャクソンのヴィクトリー・ツアー。ギタリストのデヴィッド・ウィリアムスが他の仕事の都合で6、7ヶ月ツアーに参加できない期間があったんだ。それで、僕に代役を頼んできた。

でも、行けなかった。理由は二つあってね。ひとつは、ちょうどソロアルバム『I Came to Play』の契約を結んだばかりだったこと。そしてもうひとつは、1988年に娘が生まれることになってたから。ツアーに出て1年後に帰ってきて、娘に「ねえ、この人だれ?」なんて言われたくなかったんだよ。だから断った。

両方できたら最高だったけど、でもね、結果的にはこれで良かったんだ。娘とは素晴らしい関係を築けているし、今もレコーディングを続けている。それに、マイケルとはその後もたくさん仕事ができたからね。全て順調さ。

—— もし娘さんが言うことを聞かなかったら、いつでもその話を使えますね。

ポール: その通り!(笑)。

マイケル・ジャクソンという「天才」

—— マイケル・ジャクソンはどのような人物でしたか?

ポール: 一言で言えば「天才」。音楽の天才だよ。楽器は演奏しなかったけど、頭の中にはたくさんの音楽が駆け巡っていた。それに、アイデアを記録することにとても熱心だった。曲のアイデアが浮かんだら、すぐに書き留める。紙切れに走り書きしたり、テープレコーダーに歌ったり、ボイスメモに録音したりね。

リズムのアイデア、メロディのアイデア、さらにはコードのアイデアまで、全部頭の中にあった。そして、頭の中で鳴っている音が現実になるまで、とことん努力し続けるんだ。それが、彼と一緒に仕事をしていて本当に感心したことのひとつだね。

—— 仕事中毒で完璧主義者だったというのは本当ですか?

ポール: 本当だね。彼の成功は決して偶然じゃない。彼はほとんどの人よりも、いや、圧倒的多数の人よりも努力していた。

僕の相棒のリッキー・マイナー(直近だとオスカーの音楽監督を一緒にやった)が10年前に本を書いたんだけど、タイトルが『There’s No Traffic on the Extra Mile(誰も行かない努力の道に渋滞はない)』っていうんだ。

その考え方は、「他の人が持っていないものを手に入れたいなら、他の人がやろうとしないことを進んでやらなければならない」ということ。まさにマイケル・ジャクソンを表しているよ。

スタジオ黄金時代

—— セッションミュージシャンの仲間には、仲間意識や絆のようなものがあると思いますが、それはどのようなものでしょうか?

ポール: 楽しいものだよ。ジェイ・グレイドンと話していて、彼が言ったことで気づかされたことがあるんだ。彼は「僕たちは、サイドマンとしてたくさんのヒットレコードで演奏することができた時代に生きていたんだ」と言ったんだ。

考えてみてよ。30年代、40年代、そして50年代でさえ、ミュージシャンはビッグバンドやレビュー(演芸)の一員だった。彼らは一緒にレコードを録音して、一緒にツアーに出る。あるいは、バンドに所属しているから、バンド全員でスタジオに入って、またツアーに戻る。スタジオミュージシャンという存在はあまりいなかったんだ。

その後、スタッフミュージシャンという存在が現れた。例えば、トランペット奏者のボビー・ブライアント・シニアは、NBCオーケストラの最初のアフリカ系アメリカ人スタッフミュージシャンだった。そういったスタッフたちが、街に来たアーティストや特定の番組に出演する人たちと演奏していたんだ。

そして僕らの時代、たぶん1965年頃から1990年頃までかな。考えてみれば、たった25年くらいの期間だけど、僕らはたくさんの異なるスタイルの音楽を、たくさんの異なる人々と演奏する機会に恵まれたんだ。

ドラムマシンやセルフプロデュースが主流になる80年代後半には、スタッフミュージシャンは衰退していったからね。だから、僕らの間には「僕たちは本当に恵まれていたし、他の人が経験できないことができた、二重に幸運だった」という仲間意識があるんだよ。

「スムーズジャズ」というジャンルについて

—— 「スムーズジャズ」という言葉やジャンルに分類されることについて、どうお考えですか?

ポール: 僕は自分自身をスムーズジャズミュージシャンだとは思わないし、自分の音楽をスムーズジャズだと分類してもいない。ただ「音楽」だと分類しているだけだよ。いろんなアプローチがあると思うんだ。特定の呼び方をするのは、それが何であるかという心構えを持つためだと思う。

例えば、「チョコレートケーキ」じゃなくて「チョコレートカップケーキ」と言われたら、「ああ、これくらいの大きさで、チョコレート味で、たぶんチョコレートのフロスティングが乗ってるんだろうな」って想像がつくじゃないか。でも単に「ケーキ」と言われたら、ムースケーキかもしれないし、トゥインキーかもしれないし、いろんな可能性がある。

だから、「スムースジャズ」という言葉は、その広い意味を少し絞り込むためのものなんだと思う。「スムースジャズなら、たぶんグルーヴがあって、R&B志向なんだろうな」と、リスナーが聴く前にどんな音楽なのか、ある程度分かるようにするための言葉なんだと思うよ。

—— レコード会社は、どの程度の創作の自由を与えてくれましたか?

ポール: ほとんど無限だったよ。創造的な表現の自由はなきゃだめだからね。考えてみてよ、ウェス・モンゴメリーがクリード・テイラーのCTIで「Fly Me to the Moon」とかをレコーディングしたとき、ビバップ時代からのファンから「魂を売った」って見られてたんだ。

でも、あれはただ表現方法が違っただけ。彼には創造性があったし、それはクリード・テイラーが試したかったことであり、ウェスも試してみたかったことだったと思う。

僕自身に関して言えば、今は自分のレーベルを持っているからもちろん創造性は無限だけど、アトランティックやブルーノートにいたときでさえ、無限の創造性を与えられていた。

「とにかく良いものを作ってくれ」と。それが僕のゴールなんだ。特定のジャンルに収まることじゃなく、ただ素晴らしいものを作ること。それが僕の目標だよ。

創作の自由とジャズミュージシャンのプレッシャー

—— ジャズミュージシャンは、レーベルから多く売るためのプレッシャーがあるように感じます。

ポール: そうかもしれないね。でも、多くはタイミングの問題だと思うし、個人の好みの問題も大きいと思うな。

スタンリー・クラークが『School Days』をレコーディングしたとき、彼が「よし、これは僕の最も成功したプロジェクトのひとつになるぞ」なんて思ったとは思えない。あるいは、「もっと多くの人に聴いてもらうために、もっとロックンロールっぽく、もっとファンキーにしなきゃ」と考えたとも思えないんだ。彼はただ「『School Days』っていう曲を書いたから、やってみよう」って思っただけだと思うよ。

スタンリー・クラークの面白い話があってね、古いアトランティックのプロジェクトをたくさん見ると、二つのリズムセクションがあったんだ。ひとつはもちろん、バーナード・パーディとチャック・レイニー。そしてもうひとつのリズムセクションには、ビリー・コブハムという若きドラマーと、スタンリー・クラークだったんだ。

スタンリーにそのことを聞いたら、「ああ、僕たちはいろんなレコードをやったよ」って言ってた。彼はダニー・ハサウェイやニューヨークの多くのアトランティック・アーティストとレコーディングする機会があったんだ。彼はそのムーブメントの一部だった。だから、そういった経験のすべてが、ソロアーティストとしての彼のプレイに活かされているんだと思う。

だから、プレッシャーという点では、僕は何か特定の形でなければならないというプレッシャーは一度も感じたことがないな。

ファンクへの熱き魂~リズムは科学だ

—— あなたのアルバムには、必ず1、2曲はファンキーな曲が入っているように思います。あなたにとってファンクはどのような存在ですか?

ポール: 切っても切れない関係だね。僕はリズムを科学のように捉えているよ。まあ、何事もマスターすることはできないけど、僕はリズムを他の全てと同じくらい重要視している。多くの人はそう扱っていないと思うけど。

歴史的に見て、ギタリストは間違った方法で教えられてきたと思うんだ。僕らは曲を心地よくする方法を教わらない。スケールやコード、ソロの弾き方は教わるけど、その後は「自分で考えろ」って放り出される。でも本当は、自分はパズルのピースで、自分の役割は曲を心地よくすることだと理解すべきなんだ。

僕のリズムの捉え方は、まずリズムを分解することから始まるんだ。具体的には、「リズムそのものの要素」「ハーモニーの要素」、そして他の音との兼ね合いである「最適な置き場所」に分けること。それがどう収まれば、曲をより良く感じさせられるかを理解することにある。

だから僕は、ギターでできる他の全てのこと同じくらい重要なものとして、リズムに取り組んでいるんだ。それが、いわゆる「ファンク」という形で現れるんだろうね。それはアプローチであり、考え方なんだ。それが僕のやり方だよ。

—— ファンクにおいて「スペース(間)」も重要でしょうか?

ポール: それも一部だね。何を弾くか、何を弾かないか、どこで弾くか、そしてボーカルを含む他の全ての楽器との関係性の中で、どこに位置するのか。そういったこと全てが重要なんだ。

例えば、今イディナ・メンゼルのプロジェクトに参加しているんだけど、ある曲をレコーディングしたとき、アレンジャーがギターパートをボーカルの入りと同じタイミングにしようとした。だから僕は言ったんだ。「分かった、そのパートは弾くよ。でも、1拍半遅らせる。彼女の声が初めて聴こえる瞬間に、僕の演奏を被せたくないからね」って。そういう小さなこと全てが、すごく重要なんだ。

最新ソロ作『Stories from Stompin’ Willy』~ジョージ・デュークへのトリビュート

—— ジョージ・デュークとたくさん仕事をしたと思いますが、この作品は彼に捧げられたものだと伺いました。

ポール: そうなんだよ。「ストンピン・ウィリー」はジョージが僕につけたニックネームなんだ。だからこのレコードは彼に捧げたものだよ。そして、各曲にはそれぞれストーリーがあるんだ。

例えば、ジェフ・ローバーと書いた「Ocean Explorer」。これは僕にとって初めての11拍子の曲なんだ。今まで11拍子の曲なんてやったことなくてね。ジェフが来て「ねえ、11拍子の曲があるんだけど、やってみない?」って言うから、「もちろん!」ってね。あるいは「Jazz Police」のような曲での違うアプローチとかね。

それから「That’s What She Said」。これはジョージの口癖なんだ。僕は彼のアルバム『I Love the Blues, She Heard My Cry』に入っていたのを覚えていて、「この曲に取り組んでみたい」と思った。やってみたらすごく楽しかったよ。

ポール: 『I Love the Blues, She Heard My Cry』は、バイロン・ミラーがジョージ・デュークのバンドに加入して初めてレコーディングしたプロジェクトだったんだ。だから、僕のバージョンに彼が来て演奏してくれたことは、二重の喜びだった。

本当に、愛情のこもった仕事だったよ。音楽的に自分を表現するだけでなく、それぞれの曲の背景にある物語を語ることも重要だと思ったんだ。楽しかったね。

—— あなたの作品の中で最もファンキーなアルバムになったのではないですか?

ポール: うーん、どうだろう。これまでもファンキーなことはやってきたし、今回はただアプローチが違うだけなんだ。違うことを言おうとしているだけでね。だから「最も」とは言わないな。『I Came to Play』もかなりファンキーだったと思うよ。これは「ポール・ジャクソン・ジュニアという本の、次の章」とだけ言っておこうかな。

—— ジャズだけでなく、よりロックっぽいフレージングも取り入れていますよね。

ポール: ああ、そうだね。さっきも言ったように、それは全部音楽で、全部表現だからね。創造性の個人的な表現さ。だから、プレゼンテーション全体に影響を与えるために、異なるスキルセットから異なるものを引き出してくる。それが僕のアプローチなんだ。

—— デュークは、あなたに物理的に、あるいは精神的にどのような影響を与えましたか?

ポール: ジョージから学んだことは、まず第一に、さっきも言ったけど「心地よくすること」。そして、常に何かを伝えようとすること、努力し続けること、引き出しを増やし続けること。そして、これに成功したとか、あれに成功したとか、あるいはこれが得意だとか、あれが得意だという事実に決して満足しないこと。常により良いものを目指して突き進むことだ。

ジョージはいつも、僕がより良くなるようにとインスピレーションを与えてくれた。それが、僕が彼から得たものだね。

—— 最後の曲はジョージの別名「Dawilli Gonga」になっていますね。

ポール: ああ、「Reach For It」のトリビュートみたいな感じだね。あれは楽しかったよ。スタジオで書いたんだ。

ジョージはコロムビアかCBSに所属していたから、レーベルは彼が他のアルバムで演奏するのを嫌がったんだ。だから彼は参加するプロジェクトを厳選して、そこでは「Dawilli Gonga」と名乗ってたんだ。だから、その曲を「Dawilli Gonga」と名付けたのさ。

—— ボーカルは誰が担当したのですか?

ポール: キャンディ・ハサウェイ(ダニー・ハサウェイの娘)、ニック・クーパーという僕の相棒、そして僕の娘のリンジー・ジャクソンだよ。『I Came to Play』のレコーディング中に生まれたって話した、あの娘だよ。

—— 彼女も音楽をやっているんですね!お子さんは何人いらっしゃるんですか?

ポール: 二人だよ。二人とも音楽をやっている。息子はEDMミュージックの熱心なファンで、娘は歌が上手くて、プロツールスも使いこなす。障害を持つ人のための学位も持っているし、UCLAで音楽の学位も取得したんだ。だから、2人ともとても音楽的だよ。僕の誇りだね。

現在進行形のプロジェクト

—— 「Jazz Funk Soul」にはどのような経緯で関わることになったのですか?

ポール: これはちょっとほろ苦い話なんだ。

もともとジェフ・ローバーとエヴァレット・ハープは、チャック・ローブと一緒にライブをやっていた。そこに居たShanachieレーベルの人が「ウチからアルバムを出さないか?」と言って、彼らは『Jazz Funk Soul』を制作した。そして、もう一枚『More Serious Business』というアルバムも作ったんだ。

ポール: チャックはジェフとエヴァレットと演奏すると同時に、フォープレイのメンバーでもあった。もしフォープレイのギグと重なったときは、僕が代役でジェフとエヴァレットと一緒に演奏していたんだ。

その後、チャックは癌になってしまって。彼が演奏できないときに僕が代役を務めてたんだ。でも、残念なことに、彼は亡くなってしまった。

ジェフとエヴァレットはしばらく時間をとって考えた末に「チャックもこのバンドは続けてほしいと思っているはずだ。ぜひ君に加入してほしい」と言ってくれたんだ。だから僕は「イエス」と答えた。そうして僕らは活動を続け、『Life and Times』をリリースしたんだ。

—— このプロジェクトに参加してみてどうでしたか?

ポール: 最高に楽しかったよ!ジェフとは長年、僕のレコードでも彼のレコードでも、たくさんの曲を一緒に書いてきたからね。だから、その延長線上って感じだった。エヴァレットともジョージの仕事や他のいろんなプロジェクトで一緒にやってきたんだ。

だから、愛情のこもった仕事だったし、彼らとスタジオにいるのは本当に楽しかった。僕にとっては、創造的な時間であり、自分を音楽的に押し上げるチャンスだった。本当に楽しかったよ。

—— 彼の音楽も、間違いなく心地よい音楽ですよね。

ポール: その通りだね。彼には、そしてチャックにも、グルーヴのある曲の中にたくさんのビバップを注ぎ込むユニークな才能があるんだ。それが、僕がこのグループを楽しんでいる理由のひとつだよ。ハーモニー的にどこへでも行けるのに、「心地よい音楽」であり続けられるんだ。

作曲のインスピレーションと今後の活動

—— ギターソロを入れるかどうかは、どのように決めるのですか?

ポール: ええと、ギターソロは全ての曲に入っているから、それは簡単だね(笑)。

ソロの長さについては、曲ごとに違うね。曲がどこへ向かうのか、僕が何を伝えようとしているのか、コード進行はどうなっているのか、そういったことに基づいて決まる。全ては曲次第だよ。

以前、誰かに「どうやって良いギターパートを思いつくの?」って聞かれたことがあるんだけど、僕は「良い曲を書くことから始めるんだ」って答えたんだ。本当に、曲が全てを決めるんだよ。

—— 何があなたの作曲のインスピレーションになりますか?

ポール: 自然と降ってくるものだね。先日も「どうやって曲を書くんですか?」って聞かれたんだけど、下から積み上げていくこともあれば、上から下ろしていくこともある。メロディが聞こえてくることもあれば、コード進行が聞こえてくることもある。ベースラインが聞こえてくることもあれば、ドラムビートが聞こえてくることもある。だから、本当に様々なことから生まれるんだよ。

—— 歌詞も書くのですか?

ポール: いや、いつも作詞家と仕事をするようにしているよ。僕はかなりクリエイティブな人間だけど、全てはできないから、「それは得意な人に任せよう」と思っている。

—— ライブはどのような感じですか?

ポール: ライブはだいたい75分から90分くらいかな。アルバムの雰囲気と似ていて、僕たち全員が演奏し、お互いに影響を与え合うんだ。でも、ライブの良いところは、ソロを短くする必要がないことだね。ラジオで流すための4分半とか、何かのための4分半とか、そういう制約の中にいる必要がない。

だから、もっと多くのインタープレイがあるし、ライブ音楽の抑揚という点でもっと多くのダイナミクスがある。聴いていてとても楽しいし、演奏していてもとても楽しいよ。

—— Jazz Funk Soulのライブで、ご自身のソロ曲を演奏することはありますか?

ポール: メンバーそれぞれ、自身のプロジェクトから1曲ずつ持ってきてるよ。だから、ジェフの曲も、エヴァレットの曲も、ポール・ジャクソン・ジュニアの曲も聴ける。残りは三人で作った曲だね。ソロ曲の良いところは、他のメンバーが演奏することなんだ。

つまり、僕の曲ではジェフのソロやエヴァレットのソロが聴けるし、エヴァレットの曲では僕やジェフのソロが聴ける。そういう風になっているんだ。だから、自分の曲は持ってくるけど、「決まり」は、他のメンバーが演奏できるパートがあることだね。

—— ベースやドラムは固定メンバーですか?

ポール: 各ギグごとに異なるベーシストとドラマーが参加するよ。

—— どれくらいの頻度でツアーに出る予定ですか?

ポール: 今年の残りは、ほぼ毎週末だね。フェスティバルやいくつかのクラブに出演する予定だよ。来年はまたクルーズにも出る。今年はデイヴ・コズのクルーズに出たから、来年はスムースジャズ・クルーズに出るんだ。楽しみな予定がたくさん控えているよ。

最近のギタリストとキャリアの振り返り

—— 過去5年から10年くらいで、感銘を受けたギタリストはいますか?

ポール: ああ、いるよ。マーカス・ミラーとよく演奏しているアダム・ロジャース。ジョン・“ジュブ”・スミス。クリス・ペイトン。そしてアイザイア・シャーキー。アイザイアは本当に素晴らしい若手ギタリストだよ。他には…何人かいるけど、すぐに思い浮かぶのは彼らだね。エリック・ウォールズも素晴らしいギタリストだ。

—— これまでの活動の中で「これは完璧だった」と思えるソロはありますか?

ポール: いや、まだ弾けていないと思うよ。「うわー、これはすごすぎて、ジェームス・ブラウンみたいに飛び上がって自分にキスしたくなるくらいだ!」なんてものは、まだない。それに向かって努力しているところだよ。

もし「やった、あのソロは完璧だった」って思えるポイントに到達したら、それはたぶん辞める時だと思うんだ(笑)。よく言うんだけど、楽器をマスターしたと感じたら、もうそれ以上何も学べないんだから、辞めるべきなんだよ。だから、まだ弾けていないと思う。

— もしそうだとしたら、あなたがそのソロを永遠に弾かないことを願っています。ずっと続けてほしいです。

ポール: ありがとう。

—— ご自身のキャリアにおける全ての功績を振り返って、最も誇りに思うことは何ですか?

ポール: 「誇り」というよりも「感謝」という言葉の方が適切かな。

まず、楽しいキャリアを歩ませてくれた神様に感謝している。聖書に「あなたの賜物があなたのために道を開き、偉大な人々の前にあなたを導くだろう」という記述があるんだけど、ギターを弾くことで世界中を旅することができた。グラミー賞、エミー賞、アカデミー賞、『トゥナイト・ショー』、『アメリカン・アイドル』にも出演できた。

南アフリカ、日本、パリ、ポルトガル、南米…。何十万人もの人々の前で演奏することができた。ギタリストとして、最も多くレコーディングしたミュージシャンの一人になれたかもしれない。神様がそれをさせてくれたことに感謝している。

そして両親に感謝している。友人の多くは、親から「音楽なんてダメだ。ミュージシャンはいつもドラッグをやっている」とか「何かあったときのために手に職をつけろ」とか「ちゃんとした仕事に就け」って言われていた。

でも僕の両親は決してそんなことは言わなかった。彼らが僕に言った唯一のことは、「勉強を続けなさい」ということだけだった。 だから、「誇り」よりも「感謝」だね。この道に進ませてくれた神への感謝と、チャンスを与え、犠牲を払って僕にそれをさせてくれた両親への感謝だよ。

ファンへのメッセージ

—— 今後の予定について教えてください。

ポール: 今取り組んでいる新しいアルバムが、来年にリリースされる予定で、タイトルは『More Stories』になるよ。今週はアトランタに行って「Sweet Food Lounge」というクラブで演奏する。木曜日のジャズシリーズだね。Jazz Funk Soulとのツアーもあるし、8月の第2、第3週には教える仕事に戻る。だから、たくさんのことがあるよ。イディナ・メンゼルとのレコーディングもまだあるし、良いことがたくさんだね。

—— 新しいアルバムのメンバーは決まっていますか?

ポール: まだ決まってないよ。音楽が誰に参加してもらうかを決めると思っているから、まだ分からない。ただジェフ・ローバーとは既に曲を書き始めているから、彼は参加するだろうね。

—— 最後に、ファンの皆さまへメッセージをお願いします。

ポール: 聖書に「あなたの全ての道において主を認めなさい。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされるだろう」という言葉がある。そして「正しい人の歩みは神によって定められる」ともね。だから、何をしていても、主を認めれば、主が正しい方向へ進むようにしてくださる。

そしてもうひとつは、さっきも話したけど、「他の人が持っていないものを手に入れるには、他の人がやろうとしないことにも進んで挑戦すべきだ」ということ。周りの人はきっと「狂っている」とか「視野が狭い」とか「オタクだ」とか「非社交的だ」とか言うだろう。大金を稼ぐまでずっとね。

でも、そんな声はただの雑音として聞き流して、まっすぐに進むんだ。

僕がいつも、みんなに伝えるのはこの言葉だよ。

「神の御加護がありますように。そして、ファンキーであり続けて!」。

番組ホストより:インタビューを終えて

ポール・ジャクソン・ジュニアさんからあふれるエネルギーとポジティブな雰囲気が伝わったのではないでしょうか。

あれほど多くのレコーディングセッションをこなし、数々のレジェンドたちと共演してきた彼が、これほどまで地に足のついた人物だったことが何より印象的でした。

きっと、ご両親の強力なサポートという揺るぎない土台があったからこそだと思います。そして何より、彼自身がどこまでもプロフェッショナルであること。今もなお、自分の技術を磨き続け、新しい音楽の可能性に挑戦している姿勢に、ただただ感動しました。応援せずにはいられない、そんな魅力的な方です。

改めて、数々のストーリーを惜しみなく語ってくださったポール・ジャクソン・ジュニアさんに、心から感謝申し上げます。

そして、いつもこの番組を応援してくださっている皆さんにも、改めてお礼を伝えたいです。視聴してくださる皆さんのおかげで、番組は続いています。本当にありがとうございます!

もし「The Stuff Channel」をまだ登録していない方がいらっしゃいましたら、ぜひこの機会にチャンネル登録をお願いします。ジャズ、R&B、ファンクの魅力を伝えるアーティストたちを、これからも一緒に応援していただけたら嬉しいです。

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