【全訳】チャーリー・パーカー 1950年プライベート・インタビュー
1950年、ジャズ研究家マーシャル・スターンズによってプライベートに録音された、チャーリー・パーカーの貴重なインタビュー音声を日本語に翻訳しました。
妻のチャンが同席する和やかな雰囲気の中、カンザスシティ時代の失敗談から、スタジオでの珍事、レコード業界の裏側まで。バード自身が飾らない言葉で、時に笑いを交えながら語っています。
ステージから追い出された日
マーシャル・スターンズ(以下マーシャル): 17歳のとき、車で移動中に事故に遭われたんですよね。カンザスシティでのことですか?
チャーリー・パーカー(以下チャーリー): そうだよ。カンザスシティとミズーリ州ジェファーソンシティの間でさ。
マーシャル: 仕事に向かっていたんですか?
チャーリー: ああ、サンクスギビングの仕事に向かう途中だったよ。
マーシャル: そうでしたか。肋骨を骨折されたとか?
チャーリー: そう、3本かな。脊椎も骨折したよ。
マーシャル: その若さでそんな大怪我をするなんて、本当に大変でしたね。
チャーリー: まあね。みんな、もう二度とまともに歩けないんじゃないかって心配してたんだけどさ、なんとかなったよ。
16歳の大失敗
マーシャル: それで、その後はどうなったんですか?仕事を見つけて練習を続けたとおっしゃっていましたが?
チャーリー: ジェファーソンシティで仕事をもらったよ。でも、俺が猛練習するようになったのは、その前にみんなから笑い者にされたからなんだ。
当時はスケールを覚えて、「レイジー・リバー」の最初の8小節と「ハニーサックル・ローズ」を通して吹けるようになってたんだ。サックスでD、コンサートピッチでFの調だけでね。他の調のことなんか、これっぽっちも頭になかった(笑)。
それで、よく顔を見かける連中が集まってるクラブにサックスを持って乗り込んだんだよ。そしたら最初に始まったのがスローバラードの「ボディ・アンド・ソウル」でさ。でも俺は「ハニーサックル・ローズ」を吹いたんだ——そんなの合うわけがないから、もうひどく笑われてさ……
マーシャル: いやはや、すごい話ですね(笑)。まさに無知の悲劇。
チャーリー: ボロボロにやられたよ。まったく。
マーシャル: どんなバンドに乗り込んでいったんですか?
チャーリー: カンザスシティあたりで活動してた若い連中だよ。あのときはジミー・キースのバンドだったな。キースと、ピアノのロバート・ウィルソン、ジェームズ・ロス、シップリー・ギャヴァンだったはずだよ。
マーシャル: それでその一件の後、とことん練習しようと決心したんですね?
チャーリー: ああ、しばらく時間をかけてみっちりやったよ。なんとしても吹けるようになりたかったからね。
マーシャル: 2、3ヵ月、街を離れていたそうですね?
チャーリー: ああ。
マーシャル: どこに行っていたんですか?
チャーリー: ミズーリ州のエルドンっていう町で仕事が入ってね。ジェファーソンシティから35マイルくらいのところ。
マーシャル: 演奏の仕事ですか?
チャーリー: そうだよ。夏のリゾート地でさ。
ジェームス・マーハー(以下ジェームス): 実戦経験を積みながら、じっくり腕を磨ける環境だったんですね?
チャーリー: そうだよ。
マーシャル: そのとき何歳でしたか?
チャーリー: 16か17くらいだったかな。事故の1年くらい前だよ。
楽器との出会い
マーシャル: 最初のサックスはどこで手に入れたんですか?
チャーリー: 13、14歳くらいの頃に母が買ってくれたんだ。でもそのときは全然興味がなくて。高校でバリトンに興味を持ち始めて、それからようやく本気になったんだよ。
ジェームス: 高校はどこに通っていたんですか?
チャーリー: ミズーリ州カンザスシティのリンカーン高校だよ。
ジェームス: 高校のマーチングバンドで演奏していたんですよね?
チャーリー: うん。
ジェームス: シンフォニーバンドもありましたか?
チャーリー: あったよ。
ジェームス: そこでも演奏していたんですか?
チャーリー: ああ。バリトンホルンでね。
ジェームス: マーチングバンドでバリトンホルンを演奏していたんですか?
チャーリー: そうだよ。高校に入って、音楽に興味が出てきてね。マーチングバンドに入ったら、アルトホルンを渡されたんだ。「ップップ、ップップ、ップップ」って演奏するやつ。でも、俺はバリトンホルンの方が好きでね。バリトン吹きの先輩が卒業したときに、すかさずその後釜に入って引き継いだのさ。
ジェームス: チューバぐらい大きなあの金管楽器ですか?
チャーリー: チューバほど大きくはないよ。ピストンが3つあってさ。チューバとアルトホルンの中間くらい大きさかな。まあ結構デカいけどね。こんな風に抱えてさ(笑)。
マーシャル: あなたがそれを吹いてる姿なんて想像もつきませんね!
友人に貸したサックス
マーシャル:リード楽器に移行したのはいつですか? お母さんがくれたサックスを使ったんですか?
チャーリー: いや、そのサックスは貸してたんだ。友達がサックスを吹いていてね。そいつがバンドをやっていたから、俺の楽器を貸したんだ。しかもやつめ、2年以上も借りっぱなしでさ。俺が高校を出たのは35年だったけど、そこからさらに1年くらい持ってたんじゃないかな。
1936年は本当に怒涛のようにいろんなことが起きたんだ。楽器が戻ってきて、結婚もしたしね。
マーシャル: 何年生まれでしたっけ?
チャーリー: 1920年だよ。
マーシャル: いやあ、ずいぶんとお若い!(笑)。結婚はカンザスシティでですか?
チャーリー: ああ。
マーシャル: 実は1940年頃にカンザスシティに行って、ハーラン・レナードとジェイ・マクシャンを観たんですよ。もしかしたら、あのときあなたはマクシャンのバンドにいたのかもしれませんよね。当時そのことに気づけなかったことを、ずっと悔やんでるんですよ。
チャーリー: ちょうどその頃はマクシャンのバンドにいたよ。
マーシャル: ジョージ・アヴァキアンと一緒に観に行ったんですよ。
チャーリー: あの頃のマクシャンはビッグバンドじゃなかったよね?
マーシャル: ええ、7、8人編成の小さなバンドでした。
チャーリー: ああ、そのバンドにいたよ。カンザスシティのずっと外れにあった「ザ・プラザ」で演奏してたよ。
マーシャル: そうです、町外れまで行かないと観られなかったんですよ。そこで演奏を聴いたというのに気づけなかったとは……
バードの家族
チャン: バードが息子にアルトを買ってあげたのよ。
ジェームス: 息子さんは何歳ですか?
チャーリー: 14歳だよ。
ジェームス: 14歳?もう吹いているんですか?
チャーリー: いや、まだちゃんと吹いてるわけじゃないよ。そもそも、買ってあげるまで楽器すら持ってなかったんだから。まずはライブに楽器を持ってこさせて、俺の演奏をじっくり聴かせるところから始めてるんだ(笑)。あんな年頃の息子がいると、なかなか楽しいもんさ。
マーシャル: うちの娘は12歳なんですが、本当に楽しい年頃ですね。目を離した隙に、こっそり私のCメロディ・サックスを吹いてるんですよ(笑)。そういえば、あなたが子供の頃はCメロディなんてなかったですよね?
チャーリー: いや、あったよ。 当時はアルトよりも人気だったくらいさ。1932年とか33年頃、ちょうどガイ・ロンバードが人気になってきた頃で、彼の楽団でも使われてたからね。
マーシャル: そういえばフランキー・トランバウアーもCメロディを吹いていましたね。
チャン: 息子さんをフランスの音楽学校に入れるつもりなの?
チャーリー: すぐにでもそうしたいね。
チャン: 一緒に行くの?
チャーリー: そうさ、フランスに渡って、音楽学校で一緒に学ぶ予定さ。
父はダンサーだった
マーシャル: 父親の記憶はありますか?子供の頃、一緒に暮らしていましたか?
チャーリー: 一緒にいた時期もあったよ。亡くなったのは、俺が結婚して子供が生まれたくらいの頃だったかな。
マーシャル: どんな仕事をされていたんですか?
チャーリー: 現役で働いていた頃はサンタフェ鉄道の列車でウェイターをやってたよ。カンザスシティからシカゴ、ロサンゼルス、フロリダ、テキサスなどへ行ったりする路線でね……教養のある人で、2、3ヵ国語を話せたんだよ。
マーシャル: 何か楽器はやっていたんですか?
チャーリー: いや。若い頃はダンサーだったんだ。
マーシャル: そうなんですか!
チャーリー: ああ、各地を回ってたよ。TOBA(黒人パフォーマー向けのツアー)やリングリング・ブラザーズでね。あのサーカス、覚えてるだろ?
ジェームス: 聞いたことはあります。キース・オルフェウム・サーキットが全盛だった頃に。1920年代後半にはすっかり下火になっていましたが。
62歳で看護師になった母
マーシャル: ご両親はカンザスシティで出会ったんですか?
チャーリー: ああ、そうだよ。
マーシャル: 母親は何をされているんですか?まだご存命ですか?
チャーリー: ああ、元気にしてるよ。すごく元気でさ(笑)。ちょうど2ヵ月前に看護学校を卒業したんだよ。
マーシャル: それはすごい!
チャーリー: 卒業式の招待状が来たから、お祝いに時計を贈ったんだ。
マーシャル: おいくつなんですか?
チャーリー: 62歳だよ。とにかく活動的で、立ち止まらずに進み続けてるんだ。何事にもくよくよせずいつも笑顔でさ。病気だって滅多にしないね。気候のいい田舎に住んでいて、自分の健康管理もしっかりやってる。持ち家もあってさ。悠々自適な暮らしをしてるよ。
マーシャル: あなたの熱量は母親から来ているのかも?……(笑)お父さんはダンサーだったわけですし、リズムが体に染みついてたんでしょうね。
ご兄弟はいますか?
チャーリー: 兄が一人いるよ。カンザスシティの郵便局で検査員をやってる。
スウィング全盛期
ジェームス: 1936年当時、あなたと同世代の若者たちはみんなスウィング・バンドに夢中になっていましたよね。
私が高校生だった頃、先ほどマーシャルが名前を挙げたバンドを、高校のダンスパーティーに呼ぶことができたんです。彼らはニューヨークから来ていたんですが、ジミー・ランスフォードなんか、バンド丸ごと一晩わずか210ドルで呼べましたからね。
それに、ウィリー・ブライアントとタフト・ジョーダンもいましたね。あの頃、土曜の午後のラジオで彼らが演奏していたのを、あなたもよく覚えているでしょう?
あの頃はとにかく、ビートにきっちり乗ったビッグバンドのアレンジが大流行りでした。当時の高校生やアマチュアバンドたちは、レコードを手に入れて、必死に耳コピして練習してたもんです。
マーシャル: 今の若い子たちは、ビバップをコピーしないといけないからずっと苦労しているでしょうけどね。
[12:15~13:32:ここで6歳の頃の写真や、テナーサックスを吹いている写真についての雑談が入ります]
スタジオ秘話とレコード業界
マーシャル: Clyde Hart’s All Starsのレコーディングでのラバーレッグス・ウィリアムズの話は本当に傑作ですよね。
チャーリー: ああ、彼がやらかしたんだよ。どういうわけか、コーヒーがすり替わっちゃってね。俺は自分のカップに印をつけておいたのにさ。
スタジオで出前を頼んだからコーヒーもサンドイッチも全部同じような容器だった。だから俺は、椅子の横に自分のカップを置いて、その中にベンゼドリン(覚醒剤の一種。当時は市販薬として販売)を落としたんだ。で、それが溶けるのを待ってたわけさ。
そしたら、腹を空かせたラバーレッグスが自分の分を取りに行って、どういうわけか俺のコーヒーを取り違えて飲んじゃったんだよ。
で、20分もすると、あいつ完全にキマっちゃってさ。あの時のあいつの姿、見せてやりたかったよ。もう自分でも抑えが効かなくてさ。とにかくテンション上がりまくって大騒ぎさ、分かるだろ?(笑)いやあ、あれは笑ったね!(笑)
マーシャル: 彼本人は大真面目に歌ったんですよね? ウケを狙ってふざけていたわけじゃないでしょう?
チャーリー: ああ、まったくふざけてなんかいなかったよ。もしあれ(クスリ)がなかったら、あんな風に暴走することもなく、まったく違うスタイルで歌っていたはずだからね。
マーシャル: まったく違う?
チャーリー: ああ。あいつが「普通」のときのレコードと聴き比べれば分かるよ。
ジェームス: もっとずっと自然で滑らかな歌い方ですよね。
チャーリー: そうだね。
マーシャル: Clyde Hart’s All Starsにはトラミー・ヤングが代役で歌っている曲も入っていましたよね。マナー・レーベルから出ていた……
チャーリー: いやあの日のレコーディングはコンチネンタル・レーベル向けだったよ。トラミーが歌ったのは「Dream Of You」、「Seventh Avenue」と他に2曲あったかな。
名義変更されたレコード
マーシャル: ビッグバンドで演奏していて楽しかったのは、アール・ハインズとビリー・エクスタイン、どちらでしたか?
チャーリー: エクスタインの方が楽しかったな。でも完成度はハインズの方が高かったよ。
マーシャル: ビリーはすごく気さくなリーダーで、みんな楽しんで演奏していましたよね。
チャン: 最高にスウィングしてたわ!
マーシャル: 話は変わるけど、タイニー・グライムスと「Red Cross」や「Tiny’s Tempo」を録りましたよね。あれ、後になってあなたの名義で発売されたんですよ。
チャーリー: そうなの?
マーシャル: ええ。その方がレコードが売れると考えたんでしょうね。最初はタイニー名義で出たのに。
チャーリー: 本来はやっちゃいけないことなんだろうけど、まあ、ハーマン・ルビンスキー(サヴォイ・レコードの社長)は、やっちゃいけないことを山ほどやってるからね。
ジェームス: レコード会社の連中はみんなやってることですよ。昔からよくある話です。レーベル(商標)の著作権は取れても、演奏自体の著作権は取れない。あの日、ギャラをもらって自分の時間を売り渡してしまったら、もう……。
チャン: あの社長、帳簿を11種類も持ってるって聞いたわよ。誰が帳簿を見にくるかに合わせて使い分けてるんですって(笑)。
ジェームス: まるで1920年代のアーヴィング・ミルズ(印税を搾取したことで有名なマネージャー)と同じですね。
Mop, Mopはカンザス生まれ
マーシャル: 「Mop, Mop」はもともとあなたの発想だったんですか?レナードによると、あなたが吹いていたものを誰かが書き留めたということですが。
チャーリー: そうかもしれないな。昔、カンザスシティでよくやってたからさ。
マーシャル: カンザスシティで「Mop, Mop」をやってたんですか?
チャーリー: そうだよ。4小節のドラムパターンに合わせて、[パーカーが歌う]って吹いてるだけだからね。
ジーン・ローランド・ビッグバンド
チャン: そういえば、ジーン・ローランドのバンドの話は聞いた?
マーシャル: いえ。
チャン: バード、彼に話してあげて。リード楽器が8本もいたのよ。
チャーリー: 27人編成のリハーサルさ
マーシャル: いつ頃の話ですか?
チャーリー: 1ヶ月くらい前かな。リード楽器8人に加えてトロンボーンが6人、ブラスが8人もいた。
マーシャル: どこのレーベルで録音したんですか?
チャーリー: 録音ではなく、ただのリハーサルだよ。
チャン: 参加してたのは、ソニー・リッチ、エディ・バート、ズート・シムズ、ジョン・シモンズ、アル・コーン、バディ・ジョーンズ。それからトランペット・セクションはリハーサルのたびに違う人が来てたわ。ジョン・ニールソン、ソニー・リッチ、マーティ・ベル、レッド・ロドニー、アル・ポルチーノ。あとはドン・ランフィア、ジョー・マイニね。
マーシャル: すごい!どんな音だったんですか?
チャーリー: 8本のサックスは重厚で、ワイルドだったよ。
マーシャル: ドラマーが3人って……アレンジは誰がやってるんですか?
チャーリー: ジーン・ローランドだよ。録音はしたけど、テープレコーダーでね。バランスが悪くてさ。場所はノラズ(Nola Penthouse Sound Studios)だよ。
チャン: ジーンがテープを持ってると思うわ。
マーシャル: ニューヨークでビッグバンドを録るのは本当に難しいですよね。適した部屋が少なすぎますから。
チャーリー: その通り! よく、ちゃんとした音響を得るには、吸音材みたいな柔らかいものをたくさん置いた、デッドな部屋じゃなきゃダメだっていうのが定説だったけど、それは違うと思うんだ。だってヨーロッパじゃ俺たちより全然いいバランスで録音してるじゃないか。古い神殿、大聖堂、古い教会、裏庭、いろんな場所で録るんだよ。吸音なんか全くなし。ただの空間、反響する空間。それなのに、レコードにはものすごく豊かで大きなサウンドが録音されてるんだから。
ジェームス: 狭い部屋だと、特に高音域が全部圧縮されて潰れちゃうんでしょうね。
チャーリー: そうだね、なんか詰まった感じになるんだよ。