コラム

【ポール・ジャクソン・ジュニア インタビューPart1 日本語訳】音楽キャリアの原点とセッションワークを語る

「世界で最も多くのレコーディングに参加したギタリスト」と称されるPaul Jackson Jr.ポール ジャクソン ジュニア

そのギターは、マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、エルトン・ジョン、ダフト・パンクなど、数々の名曲を支えてきました。

なぜ彼は、これほど多くのトップアーティストに信頼され、名盤に名を連ねてきたのでしょうか?

この記事では、ポール・ジャクソン・ジュニアへの貴重なインタビューを翻訳。彼の音楽的ルーツ、現場での哲学、レジェンドたちとの秘話など、成功のヒントに迫ります。

*本記事は、FUNKNSTUFF.NETのYouTubeチャンネルで公開されたインタビュー動画を元に、主催者であるScott Goldfineスコット ゴールドフィン氏より許諾を得て、日本語に翻訳・編集したものです。

番組ホストより:ポール・ジャクソン・ジュニアとは

「トゥルース・オブ・リズム」へようこそ!この番組は、コンテンポラリーミュージックの第一線で活躍するグルーヴの巨匠たちへのインタビューシリーズ。

今回は、セッション界のレジェンド、ポール・ジャクソン・ジュニアです。

彼は、ギタリストであると同時に、プロデューサー、作曲家、アレンジャーとしても活躍。引く手あまたのそのスキルで、ジャズやポップス、R&Bを含むさまざまなジャンルに参加し、セッションプレイヤーとして10年間を過ごしました。

1980年代後半にジャズ、R&Bのフュージョンギタリストとしてソロキャリアをスタート。現在までに8枚のソロアルバムを発表。最新作『Stories from Stompin’ Willie』は、故ジョージ・デュークに捧げた作品です。

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それでは、最も有名なセッションプレイヤー、ポール・ジャクソン・ジュニア(またの名をジョージ・デュークが名付けた「ストンピン・ウィリー」)とのセッションに入りましょう!

音楽を志すきっかけ~母の一言と恩師たち

— 早速ですが、音楽的な原点についてお伺いします。最初にギターやジャズに興味を持ったきっかけは何ですか?そして、音楽の基礎はどうやって学びましたか?

ポール: 僕がギターを始めた理由は、母がドラムセットを買ってくれなかったからなんだ(笑)。

子供の頃、ショーウィンドウに飾ってあった369ドルのメタルフレークのドラムセットが欲しくてたまらなかったんだけど、母は「これは無理ね」と。でも、店に入って「他に何か気に入ったものはある?」と聞かれて、天井からぶら下がっていた20ドルのギターを指差したんだ。それが、僕の音楽人生の始まりさ。

12歳のときにゲイリー・ベルという素晴らしい先生に師事し始めて、演奏テクニックやコード、ジャズの弾き方、コードメロディ、クラシックの基礎まで、本当に多くのことを教えてもらった。僕の成功の多くは、両親のサポートと、ゲイリー・ベル先生が持てるもの全てを注ぎ込んでくれたおかげだと思っているよ。

16歳の時には、グレッグ・ペレットという友人とクラシックを学び始めた。彼とは後にテレビ番組の音楽を一緒に作ることになったんだ。

そして、高校卒業後に僕を自分のバンドに入れてくれたパトリース・ラッシェン*。彼女は僕にさらに多くのことを教えてくれたし、今僕は南カリフォルニア大学で教えていて、パトリース・ラッシェンの下でポップス学科の非常勤教授をしているんだ。だから数年経った今でも、彼女はずっと僕のボスなんだ(笑)。

僕は自分自身を「永遠の生徒」だと思っている。音楽は決してマスターできるものではなく、常に学ぶべきことがあるからね。

[*注]
Patrice Rushenパトリース ラッシェン グラミー賞にもノミネートされたシンガーソングライター、キーボーディスト、作曲家、プロデューサー。「Forget Me Nots」(1982年)などのヒット曲で知られ、ジャズやR&Bシーンで高い評価を得ている。ポール氏のキャリア初期における重要なメンターの一人。

— 家族にミュージシャンはいましたか?

ポール: うん、兄はキーボードを弾くし、姉はパーカッショニストで、サウスウェスト交響楽団で活動している。だから家族バンドもやっていたんだ。結婚式やパーティーなんかで演奏してね。家にはいつも音楽があったよ。

— ところで、ヘッドハンターズなどで活躍したベーシストのポール・ジャクソンと混同されることはありませんか?

ポール: ああ、よくあるね(笑)。彼は僕より10〜13歳くらい年上かな。面白いことに、彼の名前もポール・ジャクソン・ジュニアで、ミドルネームのイニシャルがJ、僕はMなんだ。でも彼は「ジュニア」をあまり使わなかった。だから僕が使うことにしたんだ。

初期の影響とステージへの意識

— プレイヤーとして初期に影響を受けたのは誰ですか?

ポール: たくさんいるよ。アール・クルー、ジョージ・ベンソン、ウェス・モンゴメリー、リー・リトナー。リズム面では、当時アース・ウィンド・アンド・ファイアにいたアル・マッケイ、「ワッツ・103rd・ストリート・リズム・バンド」のチャールズ・ライト、そして最も影響を受けたのはレイ・パーカー・ジュニアだね。

— ステージに立つようになったのはいつ頃ですか?それはあなたにとって簡単なことでしたか?

ポール: いや、今でも簡単なことではないよ。ステージに立てることを当たり前だとは思っていない。いつも「前より上手く演奏したい」「やったことのないことをやりたい」と思っているし、自分自身に対しては一番厳しい批評家かもしれないね。「OK、ポール、何か他のことをやれ、違うことをやれ、もっと良い演奏をしろ」ってね。でも、それが僕の40年以上のキャリアを支えてきたんだと思う。「よし、これはもうお手の物だ」と感じたときが、物事が衰退し始めるとき。だから、僕にとっては決してそうならないことを願っているよ。

— リードギターとリズムギター、どちらの演奏が好きですか?

ポール: 全部好きだよ。レコーディングもライブも、そして面白いことに教えることもね。こんなに教えることが好きだとは思わなかった。新しい音楽や新しい機材を見つけるのも好きだ。音楽には本当にたくさんの発見があるから興奮するんだ。

他の素晴らしいミュージシャン、例えばラッセル・マローンの演奏を聴くのも大好きだよ。彼とはFacebookで友達で、何度か一緒に演奏する機会もあった。全てが僕を刺激してくれるまさに天職だよ。

超一流の現場哲学~セッションワークとジャンルへの挑戦

— ソロの最中、頭の中ではどんなことが駆け巡っているのでしょうか?

ポール: 全てのコードチェンジ、タイミング、フレージング、サウンド、そしてプレゼンテーションだね。自分が気に入るものを創り出すことと、それをステージから観客に届けることは別物なんだ。

ライブでは、僕とギターの間だけでなく、僕と観客の間で音楽が生まれるように意識している。それが挑戦でもあるけど、プレゼンテーション、フレージング、サウンド、音の選択、そういったことを常に考えているよ。

— 特定の曲でのサウンドメイクは、どのように決めているのですか?

ポール: 曲ごとに、ケースバイケースで考えている。どんな状況にも合うリズムパートやリードの音色なんてものは存在しないからね。全てを個別に、その状況に応じて判断するんだ。『アメリカン・アイドル』の仕事では、たくさんの異なる音色が必要だったから多くのギターを使ったけど、普段のライブでは不必要にギターを持ち替えることはしないよ。

— プロとしての最初の仕事は何でしたか?

ポール: 16歳の時に、ジミー・“プリーチャー”・ロビンスというオルガン奏者のセッションをやったのが最初だね。ギターの先生だったゲイリー・ベルがヴィンテージのテレキャスターを貸してくれてスタジオに行ったんだ。確か1976年のことだよ。

— そこからどのようにしてキャリアを重ねていったのですか?

ポール: あの最初のセッションは、正直言ってかなり悲惨な出来だったんだけどね(苦笑)。でも数年後、モータウンの作曲家の一人だったフランク・ウィルソン(「Keep On Truckin’」などで知られる)と出会った。

彼がモータウンを離れて他のプロジェクトをプロデュースし始めた頃で、当時はまだプロツールスなんてなかったから、全ての曲をデモにする必要があったんだ。16、17歳の僕は彼のためにデモを作っていた。そして18歳の時に、実際のレコードで僕を使い始めてくれたんだ。

同時期に、リー・リトナー、レイ・パーカー・ジュニア、アル・マッケイといった素晴らしいギタリストたちとも出会った。彼らはそれぞれの活動でとても忙しかったから、自分たちでこなしきれない仕事を僕に回してくれるようになったんだ。神様のお恵みで、そこから定期的にレコーディングの仕事ができるようになっていった。

— その時点で、自分の演奏能力にどれくらい自信がありましたか?

ポール: 全然だよ!僕はまだ青二才で、熟していないバナナみたいだった。でも、故ワー・ワー・ワトソンやレイ、ジェイ・グレイドン、キーボーディストのサニー・バークやクラレンス・マクドナルドといった多くの先輩たちが、僕を弟子のように可愛がってくれて、何をすべきか、何をすべきでないかを教えてくれたんだ。

例えば、ジーン・ペイジ(アレンジャー)のセッションで、彼がリードシートにギターパートの楽譜を書いていたことがあった。後で聞いたら、「あれはレイ(パーカー・ジュニア)ならこう弾くだろうと思って書いたんだ」と言っていたよ。レイが僕をジーンに推薦してくれたからね。楽譜が読めたから対応できたけど、そういう経験を通して現場で多くを学んだんだ。ワー・ワーからは、曲を心地よくするための「スペース(間)」の概念や「コールアンドレスポンス」について本当に多くを学んだね。

「自分らしく弾け」~シグネチャーサウンドの確立

— どのようにして自身のスタイルを培っていったのですか?

ポール: ただひたすら曲を書いていたよ。あるときレイ・パーカー・ジュニアが「ポール、本気でやる気があるのか?」と聞いてきた。「はい」と答えると、彼は「それならレコーディング機材を手に入れて、曲を書き始めろ」と言ってくれたんだ。だから僕は持っていたお金を全部はたいて、テープマシンと小さなコンソールを買って、とにかく書き続けた。

1987年頃に「I Came to Play」という曲がシルヴィア・ローン(当時のレコード会社重役)の耳に留まり、レコード契約につながったんだ。「僕はジョージ・ベンソンでもアール・クルーでもないし、こんな方向に行くつもりはなかったけど、神様が導いてくれたんだから、やってみよう」と思った。

そして、僕の音楽的ゴッドファーザーでもあるドラマーのレオン・チャンクラーには、「ポール・ジャクソン・ジュニアのように弾け」と言われたことがある。彼に「いつになったら君のバンドで弾けるかな?」と聞いたら、「ポール・ジャクソン・ジュニアのように弾けるようになったらな」と返されたんだ。「それがどういう意味か分からないけど、見つけてやる」と思って、数年後、彼のバンドに加わった。その時、彼は観客に「彼がポール・ジャクソン・ジュニアのように弾ける方法を見つけた時に、バンドに誘ったんだ」と言ってくれた。

これは現在進行形のプロセスなんだ。常に最高のポール・ジャクソン・ジュニアになれるように努力している。だから、まだ完全には習得していないと思うよ。それは絶えず進化し、絶えず向上し、願わくばどんどん良くなっていることだね。

— セッションプレイヤーとして、自身の個性を出すことは可能なのでしょうか?

ポール: そう思うよ。幸運にもヒットレコードで演奏できると、人々は「あのレコードで上手くいったあの感じを、僕のレコードでもやってくれないか」と言ってくる傾向がある。だから、「彼らが気に入ったのは、僕が何をしたからだろう?」と振り返って考え、レコードで上手くいったアプローチを自分のスタイルとして育てていくんだ。重要なのは「何を弾いたか」より「どう弾いたか」だよ。

ジャンルの壁を越えて~音楽を「仕分け」しない

— あなたの演奏クレジットを見ると、ジャズからポップス、R&Bまで本当に多岐にわたっています。どのようにして、それら全てを繋いできたのですか?

ポール: 僕は音楽をジャンル分けしてアプローチしないんだ。全てを「音楽」として、全てを「スキルセット」として捉え、全力で取り組む価値があると考えている。昔のR&Bのギタリストたちの多くは、ジャズ、ブルース、ゴスペルのバックグラウンドを持っていた。彼らはそのスキルをR&Bに持ち込んだんだ。ファンク・ブラザーズのギタリストだったジョー・メッシーナなんて、今でもビバップのフレーズを弾くくらいさ。

音楽やミュージシャンをジャンル分けすることはできないと思う。スキルセットを身につけ、できるだけ多くの知識を取り入れれば、それは自然と絡み合い、あなたが演奏するあらゆるタイプの音楽に影響を与えるんだ。ジェームス・バートン(エルヴィス・プレスリーのギタリスト)とR&Bのセッションをしたことがあるけど、彼はカントリーやロカビリーのフィーリングを上手くR&Bに融合させていたよ。目標はただ「心地よくする」ことだからね。

— レコード業界は音楽をジャンル分けしようとしますが、その中でジャンルを分けない考え方を持ち続けるのは難しくないですか?

ポール: もちろん、曲のタイプとしてR&Bやロック、カントリーといったものは存在する。でも、それらのジャンルの中に「ジャズのコード」や「ファンクの音符」があるわけじゃない。ただ「コード」があり、「音符」があるだけさ。ミュージシャンとしてのスキルセットは、異なるタイプの曲の制約の中でさえ、あらゆる分野から知識と経験を引き出して、自分がやっていることに注ぎ込むことなんだ。

— あなたにとっての「スイートスポット(最も得意とする領域)」はどこですか?そして、現在も挑戦していることは?

ポール: 僕のスイートスポットは、おそらくビバップのニュアンスがあるコンテンポラリージャズかな。今も毎日ジャズを練習している。終わりのない探求だね。

現在の最大の挑戦は、速いコードチェンジでアドリブすること、ドイル・ダイクスやチェット・アトキンス風のフィンガーピッキング、そしてクラシックミュージシャンだった頃のレベルに戻ること。それとスティールギターも練習しているよ!

レジェンドたちとのスタジオ秘話

— これまでに共演したアーティスト…本当に錚々たる名前が並びます。特に記憶に残っているセッションでの特別な思い出はありますか?

ポール: 本当に素晴らしいアーティストたちと仕事をさせてもらったよ。いくつか例を挙げると…

エラ・フィッツジェラルド

19歳の時、エラ・フィッツジェラルドがジョビンの曲をレコーディングしたレコードで共演したんだ。ジョー・パスもトニー・ベネットもその場にいた。レジェンドたちに会えたのは最高の経験だった。

ジャクソンズ

ジャクソンズの「This Place Hotel」で、マイケル・ジャクソンのためにソロを弾いた時だね。スタジオに入るとマイケルが「これを弾いてほしい」と言ってテープをかけ、レコードに入っているあのギターソロを彼自身が一音一音歌って聴かせてくれたんだ。あれは本当に驚くべき体験だった。

B.B.キング

クルセイダーズがプロデュースしたB.B.キングのレコーディングに参加した時。スタジオには僕とディーン・パークス、B.B.キング、そしてクルセイダーズのメンバー(ジョー・サンプル、ウィルトン・フェルダー、スティックス・フーパー)がいたんだ。

ホイットニー・ヒューストン

南アフリカでホイットニー・ヒューストンと10万人の観客の前でステージに立ったこと。

マイケル・ジャクソン

スタジオで僕とクインシー・ジョーンズ、そしてブルース・スウェディーン(エンジニア)だけで、マイケル・ジャクソンの「P.Y.T. (Pretty Young Thing)」のギターパートを全て考え出したこと。

本当にたくさんの思い出があるよ。

— スタジオでのクインシー・ジョーンズはどんな感じでしたか?

ポール: いつも楽しかったよ。彼はマスター、いわば「船長」みたいな存在で、その曲に必要な人材を完璧に把握しているんだ。そして、自由に演奏させながら、曲が進むべき方向へ導いてくれた。 『スリラー』のレコーディングがまさにその状況だった。

もう一つ忘れられないのは、ジェームス・イングラムとパティ・オースティンと「How Do You Keep the Music Playing」という曲で作業していた時だ。リズムセクションは、ネイザン・イースト、デヴィッド・フォスター、レオン・チャンクラー、そして僕だった。 最後のコーラスに入る時のドラムフィルは決して忘れない。彼のタイミング、感覚、すべてが完璧だった。

そういったことがクインシーの現場であった。彼はただ自由に創造させてくれるんだ。それがいつも素晴らしかった。

— 彼はたくさんテイクを重ねていましたか?

ポール: いや、そんなに多くないよ。せいぜい2、3回かな。彼は常に耳を傾けるタイプの人だから、自分の求めているものが分かっていたんだ。逆に、「The Greatest Love of All」を書いたマイケル・マッサーのような人は、何度も何度も、異なるキーで、異なるモジュレーションで、異なるアプローチでテイクを重ねるけどね。

いずれにせよ、プロデューサーの仕事は「これだ」というものを見つけることだと思うんだ。そのために、いろいろな方法があるけど、根底にある目的は同じだと思う。

トップセッションマンの条件とは

— スタジオで一緒になって、「ワオ、この人はすごい!」と思った人はいますか。

ポール: マイケル・ジャクソンはそうだった。ジョージ・ベンソンもそうだった。スタンリー・クラーク、ジョージ・デュークと仕事をするたびにそう思った。プロデューサーのデヴィッド・ギャムソンもそうだね。彼はスクリッティ・ポリッティでキャリアをスタートさせて、その後チャカ・カーンやたくさんのレコードをプロデュースした。アリフ・マーディンもそうだった。ダフト・パンクの連中も同様の状況で、彼らのアプローチには本当に驚かされたよ。

— 本当に頼りになるセッションマンであるために、最も重要な資質は何だと思いますか?

ポール: 最も重要な資質は「同化(Assimilation)」と「解釈(Interpretation)」だと思う。つまり、曲を深く理解し、曲がどこへ向かっているのかを把握し、そして曲をさらに良くするためのパートを素早く思いつく能力だ。

1曲のパートを考えるのに何時間もかけるわけにはいかない。15分くらいしかないかもしれないんだ。だから、「この曲はどんな感じで、どこへ向かっているのか?」「僕が何を加えれば、現状からほんの少しでもレベルアップできるのか?」ということを瞬時に考える。それは1つのパートかもしれないし、サウンド、いくつかのパート、あるいはコンセプトかもしれない。さまざまな要素が絡むけど、考え方は常に同じだ。

— 多くのミュージシャン、特にスターたちは少し風変わりだったり、奇抜だったりすることで知られていますが、セッションマンにとって、そういった「遊び」の余地はどれくらいあるのでしょうか。

ポール: いや、全くないね(笑)。焦点は常に音楽にあるし、全てがビジネスだからね。僕が始めた頃は、スタジオの時間は1時間200ドルもしたんだ。だから、誰かの予算で無駄な時間を過ごすわけにはいかない。集中して、準備を万端に整え、そして聞き上手であること。幼稚園の成績表に書かれる「他の子と上手く遊べます」という言葉、あれが本当に重要なんだ。協調性を持ち、この場では自分がスターではないかもしれないこと、自分のパートが表面上最も重要なパートではないかもしれないことを理解することだ。

例えるなら美味しいケーキを焼くようなものだね。ベーキングパウダーをそのまま食べる人はいないけど、適切な量のベーキングパウダーは素晴らしいケーキを作る。ベーキングパウダーが多すぎるとひどいケーキになるし、少なすぎると平らなケーキになる。だから、今回はベーキングパウダーかもしれないってことを理解することだね。

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