ディジー・ガレスピー 1972年インタビュー|ジャズの起源と、音楽がもたらす「愛」

1972年に放送された対談番組「Conversation」より、ビバップの巨匠ディジー・ガレスピーのインタビューを日本語に翻訳しました。

自身のルーツ、若い才能への眼差し、あの「曲がったトランペット」の真実、そして音楽を通じた世界平和のビジョンを包み隠さず語っています。

卓越した知性とユーモア、そして底知れぬ「愛」で周囲を魅了し続けたディジーの素顔に迫る、貴重な記録です。

※本記事は、ウィスコンシン大学ミルウォーキー校(UWM Libraries)から正式な許諾を得て、アーカイブ映像を日本語に翻訳したものです。


登場人物:
ジム:ジム・ペック(WTMJ-TV ミルウォーキー)
ジョン:ジョン・ボッグス(ウィスコンシン大学ミルウォーキー校音楽学部助教授、UWMジャズ・アンサンブル指揮者)
ディジー:ディジー・ガレスピー(ミュージシャン)


目次

ジャズの高みと影響力

ジム: こんにちは、ジム・ペックです。本日はウィスコンシン大学ミルウォーキー校音楽学部助教授でUWMジャズ・アンサンブルの指揮者、ジョン・ボッグス先生と、そしてディジー・ガレスピーをお迎えしています。

ディジー: 博士だ。

ジム: 失礼、博士。

ディジー: そう。ジョン・ガレスピー博士だ。

ジム: すみません、うっかり肩書きを言い忘れました。

ディジー: ラトガーズ大学から名誉博士号を授与されたんでね。それから、これも付け加えておいてくれ。「リズムが私の本業だ」ってね。

ジム: 博士、音楽を始めた頃、ジャズが大学の授業になり、ご自身が博士号を取る日が来るなんて想像していましたか?

ディジー: 私にはジャズに対する数え切れないほどの構想があってね。私はジャズを、音楽の中で最高の次元にあるものだと考えている。豊かで、躍動感に満ち、そして土着的(大地に根ざした)な魅力を持っているからね。だからこそ、ジャズをもっとずっと高いレベルで捉えているんだ。ジャズが本来到達すべき高みを見据えているし、それは今の現状よりも、はるかに上にあるんだよ。

ジム: あなたが音楽を始めた頃、当時の流行音楽に飽き足らない若者は、こぞってジャズの道へ進みました。しかし今はロックがあります。とても華やかで、大きく稼げる。今の若者はジャズに進むと思いますか?

ディジー: どうだろうね。ただ言えるのは、今最も成功しているロック・バンドはジャズ志向だということだ。ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズや、チェイスのトランペット奏者たちがそのいい例だ。

Blood Sweat & Tears - Lucretia Mac Evil (Live 1970)
Bill Chase - Get It On (Live 1971)

チェイスのアルバムを聴いたとき、トランペット奏者たちがものすごい高音域を使っていた。「あのアルバムの曲を吹いたら首にヘルニアが6つもできちまうぞ」と言ってやったくらいだ。でも彼らは、別に好き好んで高音を吹いていたわけじゃないんだ。

とにかく、今成功しているロック・グループは皆ジャズ志向で、私たちが生み出したジャズのフレーズをふんだんに取り入れて、ロックのビートに乗せている。それはちっとも悪いことじゃない。

同じことが、私たちの音楽とボサノバの間にも起きた。実は、この国で最初にボサノバを演奏したのは私たちなんだ。私たちが最初に南米を訪れていたからね。他には誰も行っていなかった。

「one note samba」や「Chega de Saudade」も、ヒットレコードが出る前から演奏していた。でも当時、私にはレコード契約がなかったから録音できなくてね。機会は逃したが、それでも私たちが最初にボサノバを演奏したという事実は変わらない。

南米の連中は独自のリズムを持っていたが、ハーモニーに関しては、ビバップ時代(1940年代)に私たちが作ったもののコピーだった。彼らはそれを模倣し、さらに発展させた。素晴らしいことだと思うよ。

誰かが何かをコピーするのはよく分かる。誰だって参考にする相手が必要だからね。「自分の音楽は空から降ってきたんだ」なんて言う奴がいたら、そいつは嘘つきだ。どんなに偉大なミュージシャンだって、基準にする誰かがいたはずなんだ。何もないところからポンと生まれるものじゃないんだよ。

ジョン: 私からも少しコメントさせてください。今おっしゃったように、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズやシカゴのようなグループは、ジャズとロックを融合させる動きが目立ちます。そもそも彼らは優れたジャズ・ミュージシャンで、純粋なジャズより稼げるからロックもやっているわけです。

とはいえ、ジャズがロック・シーンに多大な影響を与えてきたことは確かで、今後も続くでしょう。7、80年にわたるジャズの歴史を振り返ってみると面白いもので、様々な評論家たちが、ディキシーランドやスウィング、そしてビバップといった、細かな時代区分を当てはめてきました。今の時代を何と呼べばいいのかは分かりませんが……。

「ビ・バップはもう終わった」と言う人もいます。しかし私は、ビバップが終わったとは思っていませんし、ディキシーランドだって終わっていないと考えています。モダン・ジャズの潮流が続く中で、ジャズ・ミュージシャンたちは常に新しい美学、新しい土台を築き上げ、前進し続けようとしています。

ジャズのルーツと太鼓

ジョン: ジャズはこれからどこへ向かうと思いますか?

ディジー: 私に言えるのは、ジャズが今日までどんな道を歩んできたかということくらいだ。ジャズという音楽の全体像を、その始まりから見つめ直してみるといい。ジャズはどうやって生まれたのか? そう、黒人の奴隷たちから始まったんだ。つまり、そこがすべての原点なんだよ。

ジョン: ブルースと——

ディジー: そう。それが原点だ。すべての基礎なんだよ。なぜジャズが現在のような特徴を持つに至ったのか。なぜブラジルやキューバ、西インド諸島やハイチの音楽と同じような道を辿らなかったのか。それは、この国の奴隷主たちが、奴隷に太鼓(トーキングドラム)を持つことを禁じたからなんだ。

太鼓はリズムの根幹であり、すべての基礎だった。だから彼らは、音楽で自分たちを表現するための「別の手段」を探さなければならなかった。

そこで彼らは、畑で声を上げたんだ。私も南部でしょっちゅう目にしていた光景だよ。綿花畑での労働のさなかに「オー、ノー、ノー、ノー、ハッ」と歌う。鉄道の線路敷設なんかでも同じだ。さらに彼らは、白人たちの交響楽のコンサートをこっそり覗き見て、その音楽を耳にする機会があった。そこで気づいたんだ。「ああ、太鼓以外にも楽器というものがあるんだな」とね。

なにしろ彼らにとっては太鼓こそがすべてであり、太鼓で音楽を奏で、太鼓で踊ってきたんだから。だからこそ、アメリカの黒人には独自の民族舞踊すら存在しない。本当に嘆かわしいことだよ。

ブラジルにはサンバがある。キューバにはルンバがあり、西インド諸島にはカリプソがある。ハイチにも独自の民族舞踊がある。なのに我々にはそれがない。奴隷主たちが恐れて、太鼓を取り上げたからなんだ。

ジョン: 奴隷たちに意思疎通されることを恐れたんですね。

ディジー: ああ、彼らは本当に太鼓で会話をしていたからね。今となっては、そのアフリカの影響を最も色濃く残している場所は、ジョージア州のシーアイランドくらいだ。

それには理由があってね。あの小さな離島で奴隷を所有していた白人たちは、現地には住んでいなかったんだ。代わりに監視人を置いていたんだが、その監視人たちは細かいことまで気にしなかった。だから奴隷たちは比較的自由に振る舞うことができ、多くのアフリカの伝統を保持できたんだ。

実は最近、イェール大学のウィリー・ラフと一緒にそこで映画の撮影をしてきたところなんだ。私たちの音楽のルーツについて、これらすべてを網羅した長編映画を作っていてね。太鼓の歴史を辿るつもりだよ。というのも、私が叩くような太鼓は、西洋のドラムとは別物だからね。私たちが今知っているドラムというのは、白人の発明品なんだ。我々黒人は昔から、手を使って叩いていたからね。西洋の太鼓では「言葉を伝える」ことができなかったから、奴隷主たちもそれを持つことだけは許したんだ。だから彼らは、洗濯たらいをひっくり返して低音を出すような、そういう代用品を太鼓代わりにするしかなかったんだよ。

この音楽がどのように生まれ、どのように発展し、最終的にヨーロッパの音楽に追いついていったか、その歴史を知ることは、本当に興味深い。

ちなみに、私が「白人の音楽」と言うとき、肌の色の話をしているわけじゃない。ヨーロッパの音楽という意味だ。ヨーロッパ人の多くが白い肌を持っているからそう言っているだけでね。私に偏見はないよ。私はバハイ教徒だからね。我々は誰かに説教などしない。人類は一つだという教えを説いている。だから私は非難しているのではなく、ただ音楽がどう始まり、どこへ向かっているのかという歴史的な事実を語っているだけなんだ。

さて、リズムの話に戻ろう。一人の人間であれ、バンドであれ、音楽の根本であるリズムから背を向けた瞬間に、音楽そのものを見失ってしまう。いいかい、これは宗教と同じなんだ。私は信仰を持っているし、自分の音楽の中にもそれを見出している。神は「楽器を演奏することは礼拝の一形態である」と言っているからね。私は生涯を通じて礼拝してきたわけだ。最近になってやっと、その本当の意味が分かってきたところだけどね。

私たちの音楽が、どうやって今の段階まで発展してきたか、その全体像を見てほしい。我々の音楽の歴史には、常に「メッセンジャー(使者)」たちが存在してきた。

たとえば、バンク・ジョンソンというメッセンジャーがいた。彼の役割は、我々の音楽の発展において、特定の期間だけ続くように定められていたんだ。そして、キング・オリヴァーが来て、ルイ・アームストロング、ロイ・エルドリッジ、私、マイルス、クリフォード・ブラウン、そしてフレディ・ハバードの後に続く誰かが現れる。

我々バハイ教徒は、宗教においてもまったく同じように考えている。神から直接遣わされた存在として、アブラハムが影響をもたらしたようにね。モーセ、イエス、ブッダ、ゾロアスター、クリシュナ、そして我々の預言者であるバーブやバハオラも同じだ。

つまり、あるメッセンジャーの影響力は、特定の期間のためだけのものだと我々は信じている。そしてまた別の誰かが現れ、前の者がもたらした基礎を受け継ぎ、さらに先へと発展させていくんだよ。

だから、もし君が私のことを「ルイ・アームストロング」と呼んだとしても、私は「やあ」と返事をするよ。なぜなら、我々は皆一つであり、同じだと分かっているからだ。モーセもイエスも、バハオラもムハンマドもアブラハムも、すべて同じであるようにね。

リズムと愛をもとめて

ジム: あなたはミュージシャンに何を求めますか? 誰かがあなたのところにやってきて、「ディズ、あなたのバンドで演奏したいんだ」と言って目の前でプレイしたとします。その際、あなたは何を見て、何を聴き取ろうとするのでしょうか?

ディジー: 彼ならではの「独自の個性」を探すね。演奏を聴いたときに私の中に湧き上がる、ある種の直感みたいなものかもしれない。それさえあれば、たとえ彼にできないことがたくさんあっても構わないんだ。

まあ、そのせいで苦労することもあるけどね。なにしろ、できないことが多すぎる奴もいるからさ。雇ったはいいけど、楽譜がまともに読めないなんてこともある。それでも見捨てずに寄り添って、楽譜の読み方を教えるんだよ。

なぜなら、彼には私の気に入る「何か」があるからだ。たとえばドラマーなら、他の誰よりも私を心底シビれさせる「何か」を持っている。ある程度の期間プレイしてきた人間なら、私の琴線に触れるような「何か」を必ず自分の中で育てているはずなんだ。

だから、私はそういう特別な個性を好むわけだが、何よりも重視するのは「リズム」だ。彼のリズムがどれほどのレベルにあるか、そこを見る。リズムさえ良ければ、私は大満足さ。リズムさえしっかりしていれば、一晩中音を外しまくったって一向に構わないんだよ。

ジョン: では、即興演奏についてはどうお考えですか?

ディジー: 他の人の演奏を聴いて、コピーして、自分のものにしようとすることから生まれてくるものだね。というのも、若いうちは自分がどこに向かっているのか、本人にも分からないものだからね。私が雇う若いミュージシャンのプレイは、まだあちこち模索している段階なんだ。

今のバンドには、アレックス・ブレイクという20歳になったばかりのベーシストがいる。彼のプレイは、まさに「あちこち模索している」真っ最中さ。ジミー・ブラントンを聴き、リチャード・デイヴィスを聴き、オスカー・ペティフォードを聴き、ミンガスを聴く。ありとあらゆる巨匠を聴き込んでいるから、まだ自分自身のスタイルを固めきれてはいない。

だが彼には、他のどのベーシストも持っていないものがある。彼がベースを持つと、彼自身が一つの「リズムの塊」になるんだよ。今度、私がバンドを連れてきたら、君も彼の演奏を聴くことになる。彼は一味違うぞ。だからこそ、私はそういう部分を探すんだ。何よりもまず、リズムを見るのさ。

ジョン: アフリカ系アメリカ人音楽の核心ですね。

ディジー: 他のすべてを手に入れていても、リズムがなければ何の意味もない。それは人生もまったく同じさ。他のすべてを持っていても、そこに「愛」がなければ、すべてを失っているのと同じだろう。

今のバンドはね、見ていて本当に微笑ましくて、私はいつも笑顔なんだよ。周りのみんなからも「ディズはいつも笑ってるな」と言われるくらいさ。本当にたくさんの愛が溢れていて、お互いを深くリスペクトし合っている。

演奏中もね、時々ドラマーがベーシストを小突くのが見えるんだよ。ベーシストのアレックスは若くて血気盛んだから、プレイ中についあちこち弾きすぎちゃうんだな。するとドラマーがペダルから足を外して、彼の脚をちょんと蹴る。「ほら、しっかり戻ってこい」って合図するわけだ。

そういう愛を目の当たりにするのは、本当にいいものだよ。ここでハッキリ断言しておこう。私のバンドには、100人編成のビッグバンドにも負けないほどの大きな愛が詰まっている。たった5人しかいないのにね。

ジム: 世界中のどんなバンドにも、愛の大きさなら勝てると。

ディジー: その通り。どんなバンドにも勝てるさ。どこへ乗り込んでいこうと、「俺たちの愛には誰も敵わないぞ」って言ってやるよ。

前衛ジャズと温かみ

ジム: そうした才能は「生まれつき」のものだと思いますか?鍛え上げて磨くことはできても、結局のところ、その素質を「初めから持っているか、いないか」のどちらかだと。

ディジー: いや、そうは思わないね。結局は環境だよ。どういう環境で育ってきたかがすべてさ。私は、教会音楽やラテンで育ってきた連中が好きでね。

ベーシストのアレックスはパナマ出身で、ラテンの環境で育ってきた。ピアニストのマイク・ロンゴはシンシナティ出身で、フロリダのフォート・ローダーデールで育った。以前はキャノンボール・アダレイとも一緒に演奏していたんだけど、ルーツはゴスペルにあってね。彼の弾くゴスペルは本物だよ。彼をピアノに座らせて、「ゴスペルを弾いてくれ」とでも言ってみなさい。素晴らしいものを聴かせてくれるはずさ。

ジョン: この「愛」の話を聞いていて、今のジャズ・シーンで起きている現象について考えていました。これまでジャズの中に存在してきた豊かな感情やソウル、そして「愛」。そうしたものに思いを馳せながら、最近耳にする新しいレコード——いわゆる「アヴァンギャルド」などと呼ばれるものを聴くと、その多くは、芸術的に見てとても無機質で、冷え切っているように感じられるんです。

ディジー: お互いに怒り狂いながら演奏しているように聞こえるからね。

ジョン: まったくです。とても殺伐としていますよね。

ディジー: (アヴァンギャルド・ジャズの不協和音を真似て叫ぶ)

ジョン: ああいうものはジャズにとって良くないと思うんです。

ディジー: だから私は「愛」が好きなんだ。私は「愛」でいくよ。今の私のグループは、黒人が2人に、イタリア系が2人という編成でね。私自身が何者かはよく分からないが、とにかく私がその真ん中にいるわけだ(笑)。そこには、人種やあらゆるものを超越した愛がある。

彼らのうち誰か一人でも欠けたら、本当に胸が痛むだろうね。みんな素晴らしいミュージシャンであると同時に、愛そのものみたいな連中だからさ。

ステージの上でも、いつも冗談ばかり言い合っているんだ。私がマイクの前に立ってMCを始めようとすると、後ろでドラマーが笑えることを言ってきたりしてね。もうおかしくて最後まで話せなくなってしまう。でも、そういう楽しい空気が重なり合って、客席にも伝わっていくんだ。

ジョン: それこそがコミュニケーションですね。

ディジー: そうなんだ。俺たちが楽しんでるってことは、お客さんにもちゃんと分かるんだよ。

それで思い出した。昔、あるトーク番組に出たときのことなんだけどね。自分の信仰について説明していたら、インタビュアーの男がこう聞いてきたんだ。「あなたはいつも冗談ばかり言って、人をからかうことで有名ですよね。今話していることが本気だなんて、どうやって信じろと言うんですか?」とね。

だから私はこう言ってやった。「私が話しているときの顔を見ればいい」と。なぜなら、私がバハイの信仰についてどれほど真剣か、顔を見れば一目瞭然だからね。どんなテーマを話しているときでもそうだ。私がただふざけているのか、本気で語っているのかは、見れば分かるはずなんだよ。

もしそれが分からないというなら、それはその人自身の心の中に「真実」がないからだ。自分自身が普段から人をからかってばかりいるから、相手の真剣さが見抜けないんだよ。

ジョン: まさに私が言いたかったのはそれなんです。その感情的な「真実味」、ソウル……つまり、「私は自分のやっている音楽を信じている。だから、皆さんにも同じように感じてほしい」と訴えかけるような特質のことです。

ジェームス・ブラウンやB.B.キングは、ステージで純粋に自分自身を表現していますよね。一方で、クラシックのコンサート・ピアニストや、素晴らしいテクニックを持ったバンドのことを考えると……彼らにはどういうわけか、その「コミュニケーション」が欠けているように思えるんです。音楽そのものはそこにあるのに、あの「温かみ」が足りないというか。

ディジー: 彼らは、観客を音楽に巻き込んでいないからね。

ジョン: ええ。その通りです。

音楽外交と愛の力

ディジー: デューク・エリントンの晩餐会に出席したとき、ニクソン大統領と話をしたんだ。国務省の使節として再び海外ツアーに行く可能性についてね。大統領は、私が過去に2度ツアーに行っていることをご存知だった。

そこで私はこう言ったんだ。「大統領、私はもう、海外のファンの『ために』演奏しに行くことには、興味がありません。ですが、海外のミュージシャンたちと『一緒に』演奏することなら、ぜひやりたいです」と。すると彼は「それは素晴らしいアイデアだ」と言ってくれたよ。

だから、今私がやるべきことは、タイプライターの前に座り、きちんとした手紙を書いて、このアイデアを説明することだけだ。実際そうしようと思っている。音楽を通じて、どうやって国境を越えた絆を深められるかを説明するんだ。なにしろ、自分のバンドのコア・メンバーだけを連れてパキスタンへ行き、現地のミュージシャンを入れて一緒に演奏する……あれほど素晴らしい経験は他にないからね。

「しかし、あなたの求めるレベルのミュージシャンを現地で集めるのは苦労するのではないですか?」と大統領が聞いてきた。

だから私はこう答えた。「今や我々のジャズは世界中に広まっています。たとえば日本です。フィラデルフィアに行って5人のメンバーを集めるよりも、日本で探した方が、よっぽど優秀な5人を集められますよ。しかもれっきとした日本人です。驚くかもしれませんが、日本には100以上のビッグバンドがあるんですよ」とね。

だから、優秀なメンバーを集めること自体は何の問題もないんだ。唯一の課題があるとすれば、リハーサルを通じて、自分の求めている音楽を彼らとどうコミュニケーションしていくか、それだけさ。

ジョン: ご存知の通り、アメリカが全世界の音楽に対して貢献できた唯一のものがジャズだと考えています。それはクラシックの有名な楽曲や作曲法などではありません。黒人によって発展を遂げてきた、この芸術形式こそが……

ディジー: だからこそ、大切に守られなければならないんだ。本当にね。実際のところ、私ならキッシンジャーよりもずっとマシな外交使節になれるよ。なぜなら、私は何も要求しないからだ。私が求めているのは、彼らからの愛。それだけさ。いいかい、私が歩いていく姿を見たその瞬間に、彼らには分かるはずだ。私が愛をもたらしに来たということがね。

キッシンジャーが語るのはビジネスのことや、どれだけの利益をもたらせるかといった話ばかりだろう。だが、私は愛をもたらす。彼らにもそれが伝わるはずさ。そして、愛より強いものなど、この世には存在しないんだ。

ゴスペルと世界共通語

ジム: 先ほどミュージシャンのバックグラウンドについてお話しされていましたよね。マイク・ロンゴはゴスペル出身のミュージシャンだと。では、あなた自身のルーツはどこにあるのでしょうか?

ディジー: 私のルーツも、やはりゴスペルがベースにあるね。サウスカロライナで生まれ育ち、「サンクティファイド・チャーチ(熱狂的な礼拝を行う教会)」の人たちにすっかり魅了されたんだ。その教会は、うちから1000メートルくらいのところにあってね。……おっと、「メートル」だなんて、今の私はヨーロッパ人みたいな話し方をしているな(笑)。

ジム: (笑)

ディジー: でもね、これから世の中がどうなっていくか分かるかい? さっき私は「メートル」で話したけれど、「リットル」なんかにしても同じさ。いずれ我々もそっちに移行することになる。これからはグラムだ、メートルだってね。

そしてさらには、世界中のあらゆる誤解やすれ違いをなくすために、「世界共通の補助言語」を持つようになるんだ。

ジム: 今の単位にやっと慣れたと思ったら、また変わるんですね。

ディジー: ああ。バハイ教は、地球上のすべての学校で教えられる「世界共通の補助言語」の確立に力を注いでいるんだ。そうすれば、たとえば私がアフガニスタンに行って「ヘイ、マン」と声をかけて通じなくても、その「もう一つの言語」を使えば、相手は理解してくれる。

考えてもみてくれ。今のこの世界情勢の中で、もし我々が世界共通の補助言語を知っていて、中国人も、ロシア人も、キューバ人も、誰もがその言葉を知っていたとしたらどうなるかを。そうなれば、通訳なんて一切必要なくなる。

というのも、「通訳」というものについて、話しておきたいエピソードがあってね。昔、南米に行った時のことだ。当時私のバンドでピアノを弾いていた、ラロ・シフリンの話さ。

私たちがブエノスアイレスに着いた時、今日みたいなインタビュー番組にたくさん出たんだ。現地では私にスペイン語で質問し、ラロがそれを英語にして伝えてくれた。まあ、どのみち彼の英語はひどかったんだけどね。そして、私が英語で答えたことを、ラロがまたスペイン語にして彼らに伝えるわけだ。

そこで私はラロに言ってやったんだ。「なあラロ、私が『通訳』ってやつをどう思っているか教えてやろうか」とね。

「フルシチョフが国連に来た時のことだ。あの時、奴は靴を脱いで、バンバンと机を叩いていただろう? そして通訳は、彼がアメリカに向けて『お前たちを葬り去ってやる』と言っていると訳した。だが、フルシチョフは『葬り去ってやる』なんて一言も言ってなかったんだ。彼は『アイ・ラブ・ユー』と言っていたのさ。アメリカを憎んでいたのは、フルシチョフじゃなくて、あの『通訳』の方だったんだよ!」

(一同大笑い)

ディジー: 私の言いたいことが分かるだろう? だから私はこう思っているんだ。通訳ってやつは、決して物事を正確に伝えやしないってね。

ジム: 机を叩いたフルシチョフにはリズム感がありましたか?

ディジー: ああ。なにせ彼には「コサック」のリズムが流れているからね(笑)

曲がったトランペット誕生

ジョン: あなたはもともと、トロンボーンから音楽を始めたんですよね?

ディジー: そうだ。トロンボーンから始めることになったのは、私がとても小柄だったからでね。目ぼしい楽器はすべて体の大きな連中に持っていかれてしまったんだよ。まあ、どのみち自分でも何をやりたいのかよく分かっていなかったから。ただ、「何でもいいから楽器をやりたい」とだけは思っていた。というのも、生後9ヶ月か1歳くらいの頃から、ずっとピアノで遊んでいたからさ。鍵盤に手を伸ばしてはこんな風に音を出したりしてね。

自分には音楽が必要だと分かっていた。おそらく、父がそうしたものを私の周りに置いておいてくれたんだろう。父はミュージシャンでね、私の兄や姉たちにも音楽をやらせようとしたんだ。だが、彼らはまったく興味を示さなかった。父は手を上げてでもやらせようとしたが、それでも誰もやりたがらなくて、今でも兄弟の中でミュージシャンは一人もいないよ。

唯一ミュージシャンになったのが私だが、父は私がミュージシャンになる姿を見ることはなかった。私が10歳の時に亡くなってしまったからね。それでも、音楽は私の中に深く刻み込まれていたんだと思う。だから、バンドで使えるなら楽器は何だってよかった。「それを貸してくれ!」という感じでね。

たしか、最初に与えられたのはトロンボーンじゃなくてペックホーンだったと思う。トロンボーンじゃない。ペックホーンを知っているだろう? ベルがこんな風に上を向いているアルトホーンのことだよ。

あれをほんの少しの間だけ吹いていた記憶がある。しばらくして、隣に住んでいた男の子がトランペットを手に入れたんだ。彼の家族が買ってあげたものでね。その音を聴いた瞬間、「おおっ!」と思って、「それで練習させてくれないか」と頼み込んだんだ。彼は快く貸してくれたよ。

それから北部へ引っ越すまで、私は一度も自分のホーンを持ったことがなかった。高校時代はあちこちのバンドで吹いたし、ローリンバーグ・インスティテュートには音楽の奨学金で進学したけれど、それでも自分の楽器はなかったんだ。いつも借り物の楽器を吹いていてね。フィラデルフィアにたどり着いた時、周りの連中が質屋へ行って、私に一本買ってくれたのさ。

ジョン: その時、すでにベルを曲げていたんですか?

ディジー: いやいや、その頃は真っ直ぐなやつだよ。ごく普通の、真鍮でできた長いトランペットさ。

ジム: いつからベルを上に向けるようになったんですか?

ディジー: だいたい15年くらい前のことだと思う。壊れたのがきっかけだね。あるパーティーでのことだった。ニューヨークの54丁目にある『スヌーキーズ』という店で演奏していてね。日付は1月6日。正確に何年だったかは覚えていないが、とにかく15年ほど前だ。月曜日の私のオフの日に、そこで妻の誕生パーティーを開いていたんだよ。

その日、私はインタビュー番組の仕事が入っていてね。それで、自分のホーンをスタンドに立てっぱなしにして出かけたんだ。よくある、ホーンを固定しておくあのスタンドに。

その時ステージには、サックスのイリノイ・ジャケーたちと一緒に、スタンプ&スタンピーっていう二人のコメディアンが上がっていた。彼らがステージの上でワチャワチャとふざけ合っていて、一人がもう一人を突き飛ばしたんだ。すると突き飛ばされた奴が、後ろ向きに私のホーンの上に思いきり倒れ込んだ。

普通、誰かがぶつかったら100回中99回はスタンドごとパタンと倒れるものだろ? スタンドの頭がベルの中にこれくらい入り込んでいるだけだからね。ところが、彼が倒れ込んだ角度が本当にたまたま絶妙だったんだな。

バルブがこう上を向いていて、底がこうなっていたんだろうな。もし違う向きだったら倒れていたはずだが、あの向きだったから耐えちゃったんだ。おそらく彼のコートか何かに引っかかったまま、グニャリといきやがった。

私が現場に戻ってきたときには、ホーンがこんな風に上を向いていたのさ。

ジム: それを見た瞬間、最初に何を思いましたか?

ディジー: 最初は、ぶっ殺してやろうかと思ったよ(笑)

(一同爆笑)

ディジー: 信じられないだろうけど、本当に最初にそう思ったんだ。イリノイ・ジャケーなんて、あんな風に上を向いてしまったホーンを一目見るなり、店から逃げ出したからね。「俺はこの後の大惨事の現場には居合わせたくないからな」と言ってね。

結局、翌日には修理に出して真っ直ぐに直してもらったんだが、その夜のステージはあの曲がった状態のままで吹いたんだ。そしたら驚いたよ。ベルがこんな耳のそばにあるものだから、自分の出している音がダイレクトに「パーン!」と聴こえてきたんだ。「これはいいぞ」と思ったね。

今となっては、譜面台に向かって下を向いてホーンを吹く全国の学校の生徒たちに、ちょうどいい代物だろうね。顔を下に向けていても、ベルはしっかり前を向いてくれるから。

だが、私は下を向いて吹くのは好きじゃないんだ。「あなたがいつも下を向いて吹くから、それに合わせて楽器をあんな風に曲げたのか」とよく聞かれるが、それは違う。マイルスは下を向いて吹くが、私は違うんだ。私は頭を水平に保つ。そして、もしもっと高い音を出したければ、目線をある一定の高さまで上げるんだ。

いいかい、私はトランペット奏者たちにいつもこう言っている。音を外しそうになった時、たとえば高いDの音をピタリと当てなきゃいけない時は……

ジム: ディズ、今まさにピタリと当てましたね。残念ですがお時間となってしまいました。あなたが先ほど仰っていた「世界共通の言語」……それはまさに「ジャズ」と呼ばれ、ディジー・ガレスピーによって演奏されているものだと思います。
ジョン・ボッグスとお送りした対話はここまでです。お相手はジム・ペックでした。さようなら。


この番組はウィスコンシン大学ミルウォーキー校の教育メディア研究所で制作されました。人文科学国家基金(National Endowment for the Humanities)の助成によって実現しました。